東京オルタナティブ百景

第二景
東京都墨田区文花
あをば荘

 

 江戸の境界線だった隅田川を渡った向こう側は、いわゆる「墨東」である。

 東武スカイツリーラインの東向島駅に降りれば、其処はかつての岡場所であり、官未公認の私娼窟であった「玉の井」の陋巷だ。むろん東京大空襲で壊滅的に焼かれたところ、今やその名残は薄いが、うねうねと曲がりくねった狭い路地、迷路のような細い小径に、かつての面影がやはり漂う。

 その足で隅田川堤に沿うように、曳舟を経てなお行けば、もうすっかり風景に馴染んだらしい、編まれた樹木じみた電波塔の根元に広がる押上に着く。「東京ソラマチ」の営業に伴ってか、駅周辺もすっかり開発されて、真新しいビルやタワーマンションが立ち並びつつあるものの、塔を背にして奥へと向かえば、ヒビ入った家屋や商家、煤けた町工場などが、そこここに顔を覗かせる。軒先には数多の植木鉢が雑然と並べられ、まるで極小の庭園だ。季節柄、紫陽花が眼によく映える。

軒先に於ける極小の大庭園

新旧の建造物が入り混じる

塔の根元

 そんな下町の住宅街の只中、マンションの工事現場に対して「建設反対」の幟が幾つも掲げられた家並の向かいに「あをば荘」はあった。機械音を小気味よく反復させる小さな印刷工場の隣、長屋の一角である。中央で剥き出しになった蛇口が印象的なギャラリースペース、カウンターを挟んで土間、脇の細い階段を上がると住居空間になっているらしい。

クレーンと幟
「あをば荘」外観と看板

 「全部で8人いる運営メンバーがそれぞれ企画を持ち寄って好き勝手やってます」と安藤達朗が口火を切った。

 ここ「あをば荘」は、2階に住み込む安藤と佐藤史治を中心に、他のメンバーと共同で運営されている。オープンが2012年だから、今年で6年目。なかなかに老舗のオルタナティブ・スペースだ。

 発起人の佐藤は「大学生の頃から、「CET」(Central East Tokyo)のツアーに参加したり、守谷の「ARCUS」、水戸の「遊戯室」や「キワマリ荘」なんかに遊びに行ったりしているうちに、自分でもスペースを持ちたいという気持ちが湧き始めていたんです」と設立の経緯を語ってくれた。「大学院を出た後どうしようか考えていたところ、「東京アートポイント計画」の一つ「墨東まち見世」に作家として呼ばれてこの地域に来ました。町中や自宅で展示している人が多くて、卒業してからここに引っ越して来たら楽しそうやなって。」

 「僕もその展覧会を見に行って、初めてこのエリアを知った」と安藤が続ける。「ちょうどその頃、近所の「float」というスペースを施工した建築家の吉川晃司さんから、墨田区でシェアハウスみたいなものをやりたいねという話があって、「あをば荘」の初期メンバーが集まったんです。」

佐藤史治(左)と安藤達朗(右) Photo:Mai Shinoda

 筑波大学出身の二人が最初に声をかけたのは、アートマネジメントを学んできた同世代。卒業後、必ずしもマネジメントを生業にしているわけではなかった人たちが企画を打てる場所があれば、面白いと思ったという。

 これまでにメンバーの入れ替わりはあるが、遠隔地へ行ってもサテライトメンバーという形で残っている人も多い。「基本的に、定例会議があるわけでもないし、なんなら全員集まった瞬間ってまだないんです。この前初めてスカイプ上で実現した」と安藤は笑う。

 そうした「ゆるいつながり」で結びついたメンバーから、今回はアーティストの三原回と藤林悠が同席してくれた。三原は裏にあるシェアアトリエ「ドマトトコ」を借りて「あをば荘」で二度個展を開いたことがきっかけで、藤林は関わっていた別のスペースがなくなりそうになったため、新鮮な気持ちで運営に参加できそうだという理由でメンバーに加わったそうだ。

三原回(左端)と藤林悠(右端) Photo:Mai Shinoda

 それにしても、東東京エリアにはギャラリーやアトリエを問わず、オルタナティブなスペースがとても多く密集している。なぜこのような状況になっているのだろう。

 「20年くらい前から活動してきた団体に、「NPO法人向島学会」があります」と安藤が応える。「この辺りは下町として、ある領域の人たちからは注目されている地域です。それら研究の母体となってきた「向島学会」の中心人物である曽我高明さんが、かつて「現代美術製作所」というギャラリーをすぐ近くでやっていました。そこがパイオニアですね。」

 1997年から2015年まで企画展を開催してきた「現代美術製作所」は、この地域では、オルタナティブ・スペースの先駆けだという。さらに2000年の「向島博覧会」、東京芸術大学の学生たちが古い物件をリノベーションする「GTS(藝大 ・台東・墨田)観光アートプロジェクト」、サウンドアートやノイズミュージックの作家・ミュージシャンが集ったライブスペース、アーティスト・開発好明の提唱で草の根的に続く「39アートin向島」……そういった多様なスペース、プロジェクトの地道な活動によって、徐々にこの地域にはアートに携わる人が増えてきた。安藤は「一朝一夕でなく、誰かが主導権を握ったわけでもなく、皆が皆のやっていることに影響を受けてきたんです」と前のめりに語る。表現が集う場を創出しようという明確な意図が複雑に絡まり合い、歴史が積み重なった上に、今の「墨東」はあるのだ。


Photo:Mai Shinoda

もちろん現在進行形でも、青木彬と奥村直樹が主催する「spiid」を筆頭に、これからオープン予定のギャラリーなども含め、様々な毛色の場が確実に増えてきているという。やはりそれらスペース間の相互交流は盛んなのだろうか。

 佐藤は「人によるんじゃない。僕は引きこもってるから」と嘯くが、「佐藤の企画で、図師雅人というアーティストの個展をこの地域で同時多発的に開催したことがあった。そこから会期を合わせた同時開催展示が多くなったかな」と三原が返す。安藤が「アートプロジェクト「墨東まち見世」も、墨田区で活動している作家を紹介する要素が大きいので、コミュニティづくりとしての側面があると思いますね」と付け足すと、「コーディネーターが相当集まってるね」と藤林が頷いた。

Photo:Mai Shinoda

 また、筆者は以前この地域に住む友人宅に宿泊し、翌朝家を出た際、多くの「ご近所さん」に声をかけられて新鮮だった経験がある。近所付き合いに関して、安藤は「僕らから積極的に地域に向けて発信していこうという興味でやっているわけではありませんが」と断りつつも、佐藤がこう答えてくれた。「最初の「あをば荘」での企画は、「私たちがおすそわけできること」というタイトルだったんです。ここに入居を決めたきっかけも、ゴーヤができたから食べなよって隣の人がおすそ分けをしてくれたことだった。それまで僕らにはおすそ分けという概念が無かったので、それらに対して僕らには何ができるだろうと考える企画でした。だから、地域の人をほったらかしにして軋轢を生むのではなく、たくさんのアートピープルより地域の人がちょっと見に来る、そんなスペースがいいと思ったんです。」

Photo:Mai Shinoda

 では、このような地域的にも文化的にも活気溢れるエリアにおいて活動を続けてきた「あをば荘」の今後のビジョンとは、どのようなものなのか。

 「やっぱりこの界隈は可能性があるよね。人も集まってるし、レジデンス施設も増えてるから、海外の人にもっと来て欲しいな」と藤林が願望を語れば、「突破口の一つとして、そろそろコマーシャルギャラリーが一軒出来ていい。そうすれば各所でやっているオルタナティブな展示も、コレクターが循環するルートになる」と三原が重ねる。

 とはいえ、居住者の二人は意外に呑気だ。安藤は「最初にメンバーで話し合った時に決めたのは、続けること頑張らないこと。それが目標で、それくらいしか設立意思がない」と飄々としている。佐藤も「作品よりも生活することの方が大事だから」と混ぜ返しつつも、「美術なのか演劇なのか、あるいは何なのか、ジャンルにうまく分類できないものに個人的には光を当てたい」と熱っぽく語った。「メンバーの知り合いのおばあちゃんが趣味で作っていた、桐のおが屑でできた桐塑人形の展覧会をやったことがあるんです。そういうのがすごく「あをば荘」らしいなって思いますね。」


Photo:Mai Shinoda

 スペースを出ると、すぐ隣にある都営団地前の路上で、爺さん婆さんが好き好きに集い駄弁っていた。ヒトもこの街も、この地に根を張る種々の場も、一つ一つの枝葉が生き死にを繰り返しながら全体を維持する、ひとつの大きな植物みたいだ。隅田川の方を仰げば、空高く伸びる樹齢若き電波塔の後ろに、西日が沈みかけていた。

<あをば荘>
東京都墨田区文花1-12-12
Webサイト
twitter

<展示情報>
美学校ギグメンタ2018「明暗元年」
http://gigmenta.com/2018/meian

松蔭浩之と三田村光土里による講座「アートのレシピ」の20名以上に及ぶ修了生有志は、東京下町エリアの7会場を中心に、グループ展「明暗元年」を開催。今回の「あをば荘」も会場に含まれている。

会期:2018年6月30日(土)、7月1日(日)、7日(土)、8日(日)、14日(土)、15日(日)、16日(月・祝)

<著者プロフィール>

(c)Taro Inami

中島 晴矢(なかじま はるや)
Artist / Rapper / Writer
1989年生まれ。主な個展に「麻布逍遥」(SNOW Contemporary)、グループ展に「ニュー・フラット・フィールド」(NEWTOWN)「ground under」(SEZON ART GALLERY)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」など。
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