音楽と「終わり方」

印刷機が発明されてから今日まで、本をめくる指は乾いていない。今回も話し手は書評家の永田希さん。聞き手に写真家の石田祐規さんで最後もお送りいたします。当連載もいよいよ最終回。テーマは〝音楽と終わり方〟。

本屋さんと文喫

永田:八百屋さんの店員さんは「今日のオススメは?」って訊いたら答えられる。答えられない店員さんもたくさんいるけど、それは悪い例。何が売れてるのかとか、僕に何がオススメかとかじゃなくて、今何が旬なのか良い産地の良い色形の品物を入れられたという話ができるかどうか。
スーパーのレジ打ちに今日のオススメを訊くなんてことはない。コンビニの店員にもそんなこと訊かない。訊いた方がいいのかもしれないけど。で、僕はほとんどの書店で店員さんに「今日のオススメは何?」とは訊けない。これもほんとうは訊いた方がいいのかもしれないけど。
「この本が欲しいんですけど」っていう質問にすら答えられない場合がある。これは特定の店舗の特定の店員さんたちの意識が低いとかという話ではなくて、そういう状況で回すのが産業としての出版界でこれまで良しとされてきたことだ、という話。大量生産品としての出版物を大量に消費させる仕組み。しかしこれだけだと本屋が楽しいわけがない。

石田:司書さんと喋った方が楽しいっていう。

永田:そう。でも図書館は図書館で本屋さんより下に見られていて。「タダで本が読める場所」としてしか認識されていない。本が集まっていることの意味を誰も教えていない。

石田:昨日ニュースで見たのが、本屋に入るのに1500円かかる本屋ができたんです。めっちゃいいなと思って。品揃えがめちゃめちゃ良いだろうし、そのハードルによってお客さんの質も高いし。

永田:文喫ですね。ゆうきくんも是非行ってみてください。お客さんのテンションを上げるお店です。ディズニーランド的な場所だと思う。行くと楽しいし、行った人と楽しさを共有できる。あれをどうやって1年とか10年とか続けていくのか、裏側がとても気になります。悪く言おうとするといくつか不満な点もないではないけど、でもそれはまずちゃんと続くか見てからだな、と思ってます。今はひたすら応援したい。

石田:1500円だとライバルが映画になってくるんで、見たい映画がなくて帰ってくるときは選択肢に入ってきますね。質のいい本だらけの空間が1500円で居放題ってヤバくないすか?

永田:Wi-fiもあるし。普通にヤバい。その上、単に本がたくさんあるのではなくて、最初に話した「書店員が選んでる」感じの見せ方がいいんです。

 

2月の新刊
書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで

永田:2月、いちばん注目しているのは『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』。出版不況と電子書籍のある程度の普及によって「書物」を見直す言説が広く語られていますよね。そこで、単なる書物メディアの歴史じゃなくて、それらがどのように失われてきたのかっていうのを追いかける本が出るのは興味深いです。本が大量に流通しているっていうのは、買いはするけど適切に保管しないで、後世に持ち越さないってカルチャーが生み出されたってことでもあるわけですよ。消滅させちゃうわけ。写真も一定期間たつと消えちゃうんですよね。劣化する。デジタル写真も、昔のデジカメ写真っていま見るとちっちゃいよね。現代の解像度と比べると、ほぼ存在していないくらい小さい。「無い」わけじゃないけど存在が小さくなってく。

石田:写真がどんどん小さくなっていくっていう(笑)

永田:拡大すると何かは写っているけど、ほぼ見えないに等しい。そういう相対的な破壊っていうのも、昔は写真撮っていたつもりが写真として機能していないっていう問題もある。そういうのが話題になってきたという話をしたいですね。

 

懐かしの空き缶大図鑑

永田:もうひとつ取り上げるのは『懐かしの空き缶大図鑑』。「たまのランニング」って言ってわかる?

石田:たまの……ランニング?

永田:「たま」っていうミュージシャンの、ランニングの人。ちびまる子ちゃんの『さよなら人類』という曲で木星についたとき、「ついたー!」って叫ぶ人。

石田:その服装がランニングってことね!

永田:そう、その「たまのランニングの人」は缶ドリンクのマニアでもあって、缶ジュースを飲んでは缶を保管している。

石田:わっ。ありがてぇ人だ。

永田:そう。そのありがたさが分かってくれる人は話が早い。缶の情報って残ってないのよ。

石田:なんで企業はデザインデータを持ってないのかっていうね。

永田:持ってなくはないと思うんだけど、保存よりも、とりあえず売るのが仕事だから。

石田:昔の映画とかみて古い缶のHi-Cとか見るとグッっとくる。

永田:わかる。缶そのもののデザインの歴史として面白いし、どんなものが飲まれてきたのかっていう歴史も面白い。ゆうきくんがいま言った映画みたいに、缶ドリンクは風景の一部なわけですよ。それを再発見するのにいい一冊だろうと楽しみなんですよね。

石田:本になると安心感がありますよね。

永田:ありますね。オンラインで見るより紙の図鑑で見たい。似たようなことを自分でやりたかったんだけど、飲んだ缶を全部とっておくみたいな持続の気合いがなくて。

石田:それはけっこう無自覚な人がやったほうがよくて、この前の友達のおじさんが死んじゃったんですけど、今まで出会ってきた「紙の箸袋」を全部とっておいてファイリングしている人がいまして。おじさんが亡くなっちゃったから、遺品整理を友達がやってて。家中そういった貴重な歴史が詰まってて。でも保管場所がないから捨てちゃったって友達が辛そうに話してて。気持ちがすごい分かって、日本、土地の狭さがあるから。アメリカだとそういう偏屈おじさんの記録とアーカイブが残ってるから、マジ悔しいな~って思ってました。その人が死ぬと同時に捨てられちゃうことが多くて。

永田:「箸袋」は書物なんですよ。

石田:んふふ(笑)

永田:字が書いてあるわけじゃん! 印刷されていて、なんなら綴じてるからね! それはさたおき、ゆうきくんが〝土地が原因だ〟って気がつくのはさすがでさ、そうなんだよ。写真家としての問題意識に繋がってるんだろうね。書物でも写真でも、アーカイブを取っておくには土地が必要で、土地がないから残せないって問題があって……。さっきの話にもつながるけど、焚書って高尚な思想弾圧というより都合が悪い場所を一旦更地にするという側面がある。僕は、土地は土地自体が書物だと思ってます。地図に書いてあるものに消しゴムをかけるってこと。

石田:面白い。地層も本みたいっちゃ本ですね。

永田:地層というよりも土地の所有権とかね。地図上に何かを書いていくって意味で土地と本はパラレルであるっていうのは言っていきたいな。それと比べると空き缶の問題ってのは、浮遊的なものなんだけど。

 

 

占いをまとう少女たち

永田:あとは『占いをまとう少女たち』。

石田:ちょっと面白そうっすね……それ。

永田:「マイバースデー」っていう、そのすじでは有名な雑誌があります。少女向けの占い専門誌で、それの雑誌の歴史を論じた本みたい。ってか、ゆうきくんってさ、占いにハマったことってある?

石田:っていうなら今っすね。鏡リュウジ的に言うならいまの占いブームって3度目なんですよ。4年ぐらい前までそういうのバカにしてたんです。非科学的でよくわかんないなって。けど渋家でプロの占い師と一緒に暮らしていた時期を通じて、それで、考えを改めて占いと真面目に向き合うようになりました。それで言い方が難しいけど占いを信じるようになりました。

永田:占いを、信じるように、なった……?

石田:それまでただの統計学だと思ってたんですよ。

永田:統計と催眠と、あとは話術だよね。

石田:そうです。コールドリーディング的なね。けど、実際はそうではなく、人間って氷山のように無意識のほうが当然大きくて、タロットがたとえ裏側でも裏の印刷ってすべて同じだと思うじゃないですか。けど、印刷なんでやっぱりミクロン単位でずれるんですよ。だから本質的には人間はカードの表面が分かっているんです、たとえ裏面だとしても。意識上は知らないけど、無意識が知っているから〝そのカード〟が引けるんだ……というレクチャーを受けた時に「ああ、そうだな。人間が本来持っているポテンシャルをバカにする行為だったな」って思って、占いをきちんとした道具として使えるようになった。

永田:「人間の無意識に対する敬意」として占いを信じるようになった、と。この本に対して一旦話を戻していうと、僕は占いを信じてはいません。ただし、人が何かを信じると言うことについては興味がある。

石田:「占いを信じるか・信じないか?」じゃないんすよね。道具として使えるようになれるか・なれないかってだけの話だけなので、それなら僕は使える人間になりたいなって3年前から思っていて、鏡リュウジさんの本を読んでます。ちゃんと勉強できてるのかって言われたら分からないけど、占いを扱いこなせるように……扱いこなせない段階でむやみに占い信じるとアレなんですよね。「今日は運勢がダメって書いてあったからダメなんだって……」

永田:扱えてませんね、それは。

石田:ちゃんと知識を持って解釈して、道具として数学・科学・占いというように並列に道具として接せられるのがデキた人間だと思って、目指してます。

永田:え、デキた人間になりたいの!?

石田:そりゃなりたいでしょ! なりたいよ! 占いを盲目的に信じる人にも、占いを非科学だって完全否定する人にもどっちもなりたくないから。占いに偏見なくフラットに接せられるようになりたいってことっす! ざっくりいうと。

永田:でも、どっちかつーと前のめり気味じゃない? ゆうきくんから見るとフラットなんだろうけど。

石田:あー、じゃあ前のめりかもしれない。でも、頼ることはない。

永田:頼るのと、使うのの違いよね。いや実は最近あらためてキリスト教のことを考えるようになってて。

石田:僕もです(笑)

永田:「信じれば救われる」って言い方があってさ、よく言われているけど意味がよく分からないっていう人がけっこういると思う。あれはむしろ「救い」の概念を変化させているんだよね。信じてない状態で考える「救い」と、信じてる人にとっての「救い」が別物になってる。
自分が救われている状態についてのモデルを想像できることを「信じる」と呼べば、「信じれば救われる」と言える。

石田:ロールモデルじゃないすか。幸せになるロールモデルを自分の中に内在化できるかってことですよね。

永田:こうなったら自分が幸せだっていうのを自分が了解していると、その通りにやれば幸せになる。その通りにやろうとしてすぐにはできないかもしれないけど、そこが「やり甲斐」とかになる。
むしろ「信じれば救われる」に対して意味がわからないってバカにする人にとっての「信じる」「救われる」ってなんだろう? ってそっち側のほうを疑っていくほうが建設的なんじゃないかなとさいきんは思ってます。

石田:永田さんって神社で「おみくじ」は引きます?

永田:引きます。毎年ってわけじゃないけど。

石田:無宗教でも僕の周りだと「おみくじ」だけは信じてるって人が多くて。年末年始沖縄にいたからかもしれないけど。

永田:そういえば2月の3冊には入れていないけど、沖縄についてはそれこそ、あれ、うたきだっけ、おたきみたいに書く…

石田:御嶽(うたき)です。

永田:そうそう。御嶽についての興味深い本が出ます。
神の森 御嶽を歩く 琉球から古代朝鮮まで

永田:あと2月の新刊で取り上げきれなかったけどチェックしてるのは、名前だけ出しておくと『モビリティと人の未来』、『ロシア構成主義』、『ハバナ零年』、それからケン・リュウっていう中国系アメリカ人SF作家による『生まれ変わり』。

石田:最近、テレビとかで中国の科学技術博覧会とか見ると、取っ手のないセグウェイみたいのに乗ってる人がめちゃくちゃ出てくるんですよ。たぶん本にも載ってると思うんですけど。あれって何の意味があるんですかね?車椅子だったら足が不自由な人が乗るから意味がわかる。椅子に座って動けるUNI-CUBだったら、立っているのが辛いご年配の方が使うのもわかる。立って乗るやつって何の意味があるんだろう? 気になってる。

永田:疲れないんじゃない?

石田:乗ったことあるけど、バランスを取るのに疲れる。歩くのと対して変わらない疲労感。

永田:さっき挙げた『ロシア構成主義』『ハバナ零年』の版元で共和国というところがあるんだけど、そこが『19世紀イギリス自転車事情』という本を出してたことがあって。それを読むと最新テクノロジーだった頃の自転車がどういう風に普及していったのかわかる。乗り物はファッションの一部であり、かつまた新興社会勢力のパフォーマンスでもあるんですよ。単なる使用価値だけが意味というわけではない。そもそも歩いて移動するだけでも『ウォークス』という本もある。
自転車とかバイクって凝るじゃん。ハマる人はめっちゃハマる。メーカーごとの違いとか、速度とか乗り心地とか微妙に違いがあるのよ。スケーターだったらスケートのテクニックだったり、そこの面白さはさっきの占いの話じゃないけど理解してもいいと思うところだと思う。

石田:なるほど……。馬とか籠とかの文脈のほうが近いのかな。誰かが言っていたのが、日本人は早く動くものよりは人の力によってゆっくり移動したい欲望があるって話をしていて。だからリニアモーターカーは普及しないけど、駅からオリンピック会場までを往復する自転車ぐらいのゆっくりな自動運転バスには人が殺到する、という発言が印象的で。確かにゆっくり動いている乗り物のほうに人が集まっているなという印象があって。

永田:歩いてるよりは早いけど、自動車や自転車よりは遅いという速度感に商圏が発生するって考え方はアリかもしれない。お年寄りとか、乗り物酔いの感覚に敏感な人の声が世に出るようになってきてるということか。移動っていうのは僕にとって重要なテーマなので、そこはちょっと今後もちょっと考えていきたいですね。

 

 

漫画

永田:漫画なんだけど、2月ね、なんかねやたら気になってる漫画が多くて書き出してみたら20冊ぐらいになっちゃって。お話するというよりかは、リストをざっと列挙しますね。

王様ランキング1,2巻同時発売
珈琲いかがでしょう 新装版(上)
はしっこアンサンブル
好きな子がメガネを忘れた
この社会主義グルメがすごい!!
夫のちんぽが入らない(2)
世界は寒い(2) 高野雀
靴ずれ戦線 ペレストロイカ(2)
ミステリと言う勿れ(4)
タイムスリップオタガール(4)
凪のお暇 最新巻
はぐれアイドル地獄変(8)
死人の声をきくがよい(12)今度こそみんな死ぬ!!編
シガレットアンドチェリー
ブルーピリオド
ソフトメタルバンパイア
狭い世界のアイデンティティ
デビルズライン
はじめアルゴリズム
前略、雲の上より

ほんとにふざけんなよってぐらい出てて。ひとつ言及するならネットでも話題になってた『王様ランキング』です。喋れない王子様が、めちゃめちゃ強い王家に生まれてしまって、王位を継承するって話です。ネット漫画でバズってて、途中まで読んだ人はかなりいると思う。いつ単行本になるのかなと思ってたらこの2月らしい。

石田:夫のちんぽが入らない』って漫画化されたんですね。

永田:ゴトウユキコさんがかなり良い感じでコミカライズしてます。
夫のちんぽは文章がうまいんですよ。ちょっと何言ってるんですかみたいな文字列になっちゃったけどこれ。ともあれ、原作の文章がちょっと信じられないくらい上手くて、すごく簡単に読めるし、扱っているテーマもすごくよい。タイトルが扇状的なのといっぱい売れちゃったせいでかえって読まず嫌いしている人はいるかもしれないけど。
しかもコミカライズが残念なことが多いなかで、1巻は良いコミカライズだと思いました。2巻も楽しみなんです。

石田:原作者のtwitterをずっと見ていて、とってもいい人間性の人だし、色んな人が手を差し伸べて伸びていくさまをずっと見てました。で、また王様ランキングに話を戻しますけど、どんなお話なんですか?

永田:けっこうねモリモリの内容なんですよ。なんでお父さんの王様がすごい強いかというと、何か超常の力を借りていて、何らかの魔力によって王様がめちゃめちゃ強かったと。どうも、それの影響で息子が超弱くなっている。タイトルの『王様ランキング』とは、いろんな王国がある世界で、どの王様が一番かってランキングする世界設定がある。強い父親が死んでしまって世界の王様ランキングが変わってしまう、そこで王位継承者であるところの主人公の、口の利けない王子はどうなるのか、という話。ところが、このランキングってのが何かきな臭いのよ。2巻でそこまで描かれるか分からないけど、単なるフワフワしたファンタジーではない。絵が下手なのか上手いのか良くわからない、あえて雑に描いている風なラフなタッチです。

石田:アカギ』的な?

永田:あそこまでは激しくないけど(笑) どっちかっていうと『ちびまる子ちゃん』に近い。お父さんがめちゃめちゃ強くってってとこだけ言うとさ、ジャンプ漫画っぽくもあって、ランキングの要素もあるからジャンプ批評漫画として読めるんじゃないかと思います。

石田:ランキングがきな臭いのは日本アカデミー賞みたいでいいですね。

永田:続いて、『前略、雲の上より』というのがおすすめの作品。空港マニアの漫画なの。

石田:空港マニア? ちょっと面白そうっすね。

永田:日本全国の空港の良さについてやたらマニアックな上司の元に、意識高いサラリーマンが配属されるという話。上司と一緒に出張に行くと、出張先の空港がいかに凄いか、そしてその空港を楽しむためにはどうしたらいいのかっていう話をすごい上から目線で語られて、だんだんそれに染まっていくって話なんですよ。

石田:面白い。なんか事件あったよな、空港の乗り継ぎのバグを利用して危険物持ちこんじゃったやつ。

永田:そういうセキュリティ的な話ではなくて、それぞれの空港の設備とか立地とかがいかに熱いかという。

石田:建築から歴史からいろいろですね。

永田:うん。でもなんか「このポジションからだとめちゃくちゃ近くに飛び立つ飛行機を感じられる」みたいな軽さです。

石田:わかんないな~。そういうのが売れるんだね、今。

永田:「いま売れる」っていう感じなほど売れてるのかはわからないです。個人的には、もっと売れて欲しい。いやほんとね、ドラマ化とかして欲しい。

石田:それいい! なんかご飯食べるものばかり流行ってた時期あったじゃないですか。それよりはこっちのほうが全然見たい。

永田:面白いと思うよ。空港とかとコラボしてさ。全国を出張しているサラリーマンとかが読めばいいのにってすごい思う。
あと『はしっこアンサンブル』。『げんしけん』の作者の新連載。合唱部を工業高校で作ろうとする話。誰得な設定がすごく良くていい。

石田:あ、もう一個だけ話きかせてください! 『好きな子がメガネを忘れた』の雰囲気を知りたいです。

永田:これもネット発の漫画だけど『王様ランキング』とはだいぶ違う。主人公の男の子は高校生で、自分の好きな子がメガネっ子なんですよ。その子がたまたまメガネを忘れて学校に来ちゃう。で、その子に話しかけるんだけど「あんた誰?」って目つきの悪い顔で言われる。で、話をすると向こうはこっちの顔を見たいからめっちゃ近づいてきて、顔が近くてドキドキしちゃう。絵が可愛くてね。あと可愛い子が顔を近づけてきてときめくってのは、仕方ない。畜生! って思いながらチェックしちゃいました。メガネユーザーとしてこの設定はどうかと思うけど。

 

 

ダークウェブアンダーグラウンド

永田:読みました?

石田:家にはあります。これ、みんな買ってんじゃ……!

永田:それな。

石田:みんな買いすぎじゃない!?

永田:僕はね、いちおう前回のときに言及してたよね。あのときはここまで話題になるって思わなかったから普通に取り上げたんだけど。
いやしかし、この本が話題になるのはよくわかる気がします。普通のインターネットはユーザーが既にもう知ってることを繰り返し何度も表示する仕様を増やしていて、インターネットはこんなはずじゃなかった、という反実仮想が求められてるんだと思う。

石田:Amazonの「これ買った人はこれも買ってます」システム使いすぎ問題。

永田:そう。そういう悪いところがネット一般に対するウンザリ感を強めていて。そのウンザリの先に荒野が広がっているよという話でも希望なんだと思う。
そしてもうひとつが、後半の部分で、現代思想系の人たちが語っている背景に繋がっていく加速主義とか暗黒啓蒙についての言及がある。そこの部分と、インターネットに飽きている話が結びついて一部の読者に深く刺さっている。Torの技術と加速主義って必ずしも繋がってはないので、インテレクチュアル・ダークウェブとダークウェブを結びつけて語るのは面白いと思うんだけど、そこの結びつきはうまく語れてない。

石田:ちょっと加速主義が分からないので簡単に説明をいただけると。

永田:1990年代イギリスにニック・ランドって思想家というか哲学者というか、そんな感じの人がいたんですよ。ランドは、ジャングル・ドラムンベース界隈に接触していた人なんです。アルトーって分かる?

石田:わからないです。

永田:精神病を発症しちゃったアイコニックなフランスの詩人。その詩をジャングルとセッションしながら白目を向いて暗誦するパフォーマンスをやっていたらしい。いま考えると面白いんだけど、当時を考えると相当サムい人だったと思う。

石田:当時としても古いアングラですよね。

永田:アングラっていうか単純にダサいんだよね。その人が、サイバーフェミニスト……。サイバーフェミニズムってわかる?

石田:わからないです。

永田:アメリカのダナ・ハラウェイって人が提唱していた思想なんだけど。それと交錯する形で、サイバーカルチュラル・リサーチユニットというのをランドがつくる。ランドはジャングルドラムンベースから、ダブステップあたりまで人脈的に深くかかわってるんだけど、コードナインとか。で、このニック・ランドは1990年代はイギリスで寒いことやってたんだけど、その後、大学をやめてジャーナリスト・編集者として上海に移住する。そこで、日本でいうならホリエモンとか落合陽一みたいなポジションの、ベンチャー社長みたいな人たちと親しくやっている。ベンチャー社長にも関わらずフランスのドゥルーズを参照したり、イギリスのニック・ランドを参照したり、そういう連中がいる。あるいはアメリカのピーター・ティール……。ピーター・ティールって分かる?

石田:わからないです。

永田:イーロン・マスクが出世頭なんだけど、PeyPalマフィアと呼ばれるものがあるの。PayPalは分かる?

石田:いろんな先端企業の社員が抜け出して作ったサービスですよね。

永田:それ逆。テスラとかをマスクが作る前に所属していたのがPayPal。PeyPalを卒業していろんな会社を卒業生が作っちゃってるから、それらをぐるっとまとめてPayPalマフィアって呼んでいて、ティールはそこのドン。イーロン・マスクを育てた人。
投資によって技術革新を促進して、自分自身は150歳まで生きるって言っている。

石田:変な投資家だ。その人がどこに投資するか発言するとネットでバズるみたいな。

永田:そう。実際に何億ドルってぶっこむ。陰謀論じゃなくて世界の未来を操作している人の1人であると言っていい。そこらへんの影響を受けてイーロン・マスクのスペースXは月に前澤社長を射出するわけだけど。そんなピーター・ティールとニック・ランドを同時に尊敬しているみたいな人が上海のベンチャー企業にいるんです。
で、加速主義って何かっていうと。抑圧されることによって失われる人間性みたいなものがあるよね、そっちを守っていかなきゃいけないよねって言って経済成長とか技術革新を遅延させていくんじゃなくて、そういうのはうっちゃって、とにかく経済活動を加速していく。とにかく行けるとこまで行くんだっていうマッチョな思想。弱いやつは知りません。強いやつがどこまで行けるかが問題なんだ。…だいぶ雑にまとめたから本当はいくらなんでもそこまで雑なことは言ってないけど、核心だけいうとそんな感じです。
この本は前半と後半に分けて、後半部分もさらにふたつに分けると、加速主義のほかに最近のオルタナ右翼界隈の話がされています。中国との経済摩擦で世界経済に悪い影響を与えるようなトランプが大統領に当選する背景にどういった追い風があったかという話が書いてある。

石田:加速主義もそれの一端を担っているんでしょうね。

永田:本当のところどうなのかはよくわからない。確かにピーター・ティールはトランプ支持です。
反トランプ的なもの、リベラルな合理主義的でグローバルな企業体が繋がって経済活動を円滑に進めていくことによって社会を良くしていくよっていう平和主義的な考え方の人たちっていうのは「両方から責められている」って言い方をする。
ひとつは、各国内部の弱者というか田舎の人達をリベラリズムは危機に追いやる。田舎の人達からするとグローバルエリートの人たちってお高くとまっていてムカつくし、保護貿易みたいなのをしてほしいと考える。

石田:うんうん。

永田:そういう「下からの反感」がある。もうひとつが、グローバルに経済活動をガンガン加速しよう的な考えの人たちからの「上からの反感」。グローバルにリベラルにやっていこうというスタンスは、お行儀よくて「遅い」。マイノリティへの配慮とかしたくない人たち。科学的なデータに基づくと女性はこういうところが劣っていますよみたいな発表をすると叩き潰されるみたいな現象があると言われていて、それが本当にあるかどうかは疑問があるところなんだけど、それによって単に自分は科学的な発表をしただけなのにフェミニストに潰されるから、学者をやめてジャーナリストになるとか言ったりする。そういうような人たちによってトランプが支持されいくという状況があって。グローバルエリート的なものが挟撃されている。

石田:はい。ちゃんと家にあるやつ読みます。

 

 

音楽の話、『鬼子の歌

永田:今回は本を持ってきてないんだけど、片山杜秀(かたやまもりひで)の『鬼子の歌』っていう真っ赤な本が出てます。近代日本は鬼子だと。鬼子とは「いらない子」のこと。世界史的に見ると、西洋という中心をなす歴史がある。西洋にとっての正統な子供っていうのは近代西洋です。さらにそこからの正統な子孫として現代西洋がある。だから、欧米人は人類代表だと思ってる。「レペゼン人類だ!」ってやっていけるんだけど、日本ってそう言い切れないところがある。

石田:うんうん。分かります。

永田:片山さんはそう言う。ある世代以降は、も若い世代にとっては幸いなことに日本が経済成長をやってくれてジャパン・アズ・ナンバーワンになっちゃって、欧米よりも俺らイケてんじゃねって空気の中で生まれ育ってたので、別に【鬼子としての日本】じゃなくて、現代日本はレペゼン日本じゃなくて、レペゼン地球でいいんじゃねって感じなんだけど。でも「おれら日本人だけどやっぱ西洋人のほうがかっこいいよね」みたいな……。ファッションモデルとかでも、日本人より西洋人のモデルのほうがかっこいいよなーって思ったりする。

石田:それは僕もあります。

永田:ほんとに? まだその感覚って生きてるんだ。

石田:アングロサクソンは人類として美しいなってのは無意識レベルであります。

永田:歴史的な言い方があるんだけど、北欧主義とかアーリア主義とかインド・ヨーロッパ語族問題とかいろいろあって。で、クラシックを輸入したての明治から昭和の日本って、音楽といえば西洋のクラシックが王様で、それを海外から輸入しちゃってるから猿が真似してるみたいで恥ずかしい、みたいな感覚があったわけ。その状況でどうしても作曲をしちゃう人たちのことを『鬼子の歌』は書いている。本当に猿真似だったら西洋の作曲家の曲を演奏するだけでいいはずなのに、猿でもなければ真似でもない、自分たちなりの作曲をしようとしてしまった人たちの話。
エモく読むとガチ泣きできる本です。片山杜秀は教養がある人が読むとちょっとエモに寄り過ぎる書き手なんだけど、それでも一般から見ると何言ってるか分からないぐらいのコンテクストなので、片山杜秀何言ってるかわかんないみたいな人におすすめしたいのが『前衛音楽入門』です。

 

 

音楽の話『前衛音楽入門

永田:丁寧にまず「前衛とは何か?」というところから書いてます。でもやっぱり20世紀の話なんだよねほとんど。21世紀の話がないわけではないんだけど。

石田:たぶん21世紀は書きにくいのかな。まだ20年だし。

永田:21世紀は書きにくいです。

石田:何が歴史に残るか誰も判断できない時期だと思うし。

永田:ちょっと違くって。まずね、前衛って言葉自体についてなんだけど、前衛の語源の話って前にしたっけ?

石田:してないけど、戦争用語ですか?

永田:前衛がなんで戦争用語から取られてるかっていうとね、かつて巨大な戦争があったの。いわゆる世界大戦のことではなくて、資本主義に対する共産主義の戦争があった。世界的にクーデターをやって、資本主義じゃなくて共産主義で全部やっちゃおうと。物持ってるやつが物を独占して、物を持ってない人を奴隷にしている世界をぶち壊して、持ってるやつらから全部いったん財産をひっこぬいて、政府から市民に与える、人々で人類の財産を分け合う、みんなで共有するって世界にバチっとひっくり返そうという戦争があったの。いわゆる前衛というのは、それの前衛。資本主義に対する、共産主義の戦争の最前線。

石田:へぇー!

永田:前衛の芸術家たちは、本物は戦争をやっているという認識で制作をしていた。それをわざわざ説明する必要のない時代がありました。100年~150年前から数十年前まで。もちろん今でもそういう気持ちで前衛芸術やっている人はいる。それがだんだん「あれ? 戦争なんすか?w」みたいな感じにだんだんヌルくなっていくのが前衛音楽の歴史であるとも言える。共産主義の思想的な戦争が敗退しさるまでを描いている悲しい本としても読める。

石田:なるほど。つまり、戦争は終わったんすね。

永田:戦争は終わってない。負けてはいる。負け戦ではあるが、それは終わったといえるのかという問題。

石田:撤退戦……!

永田:撤退戦じゃなくて。ゲリラ戦がある。「俺はまだ1人でやってるから」って戦い方がある。

石田:それはピンとくるわ。だったら今はゲリラ戦ですね。僕のずっと先輩になるんですが、外山恒一さんとか坂口恭平さんとかは1人戦争をやっている印象はあります。僕の中で。で、今まさにその時代だというのはすごくピンとくるし……。

永田:なのでまだ戦争は終わってない。でも正直、世界vs1人で戦争するのはどこまで行っても勝てはしなくないか。だから前衛音楽の話っていうのは、ガチに考えると、難しい音楽の話ってだけじゃなくて、結構本気で「音楽、どうよ?」問題なんですよ。

 

 

音楽の話、『ハーモニーの探究

永田:クラシックは形式がしっかりしてて「音楽における終わり」がけっこう重要。時間芸術の起承転結として、ちゃんとオチをつけて完結させるのか、どうかという評価の仕方があるんだけど、でもそうじゃなくって音楽を終わりまできちんと聴く場合の話じゃなくって、音楽を輪切りにして考えることもできる。

石田:音楽を輪切り?

永田:音楽の瞬間瞬間っていうのがいかに作品として成立しているかっていう話。つまりハーモニーの問題。さっき挙げた『鬼子の歌』でも文明開化直後にね、西洋人を招いて日本の音楽を紹介したときのエピソードが書かれています。そこでは雅楽を演奏したらしい。記録によると、聞いてられなくて気持ち悪くなった西洋人がいたらしい。なにがハーモニーなのか、なにが調和しているのかってのは実は文化に依存していて、聞き慣れない音楽を身体が拒否してしまった。

石田:向こうはコード進行の世界ですもんね。

永田:え~~(いろいろ言いたいけど割愛したような雰囲気で)。一旦そういうことにしようか。なんだか気持ち悪くなるところが、歴史の中でどうなっていったかというところなのね。

石田:(本をペラペラめくりながら)この本、ぜんぜん難しいな。ドに対するFとGの音の関係……。

永田:ギターがあればたぶん理解はやいかも。それからまた伊藤計劃の話をしちゃうんだけど、彼の『ハーモニー』は人類が全員首元に医療器具をつけられてすべてがクラウドで管理されて、全員が健康になっていくためのシステムって前提で語られるお話。みんなが健康になるために管理されるって世界なんですよ。共産主義的な世界観でもあるんだけど、みんなが健康って実はディストピアだよねって話があるんだが、そこで全員が幸せになることを指してハーモニーという風にも言ってて。実は未来というのとハーモニーというのは関係している。終わりの先には実はハーモニーがあるという言い方をしてもいいのかもしれない。終わりの先にハーモニーはあるのか、というか。

石田:無くは、ないでしょう。

永田:わかんないよ。

石田:これぐらいの「終わり」って人類史で4~5回は起きていてもおかしくないし、それがルネッサンスだったのかもしれないし。でも、人類は乗り越えてきたし。

永田:わかんない(2度目)。

石田:日本はダメになっちゃうかもしれないけど。

永田:そうね。

石田:どうしたら幸せになれるのか。

永田:幸せな状態っていうのが、社会とか自分との軋轢がなくなるってことなのであれば、それもひとつのハーモニーなので。

石田:ハーモニーを奏でたいよ。

永田:いや、ほんとそうよ。ギリシャから中世にいたるまで、哲学や物理学の世界にはからハルモニアって概念があって。人間の調和っていうのと楽器が奏でる調和っていうのと、宇宙の調和という3種類の調和があって、それぞれの次元で調和している状態がいいのだっていう考え方がある。人体のハーモニーっていうのは、すごく切り詰めると健康のことなんだけど、現代では人間関係の良さ、人生の良さってことだとも言えると思う。

 

 

マンガ『時を超える影 2 ラヴクラフト傑作集

永田:田辺剛の『時を超える影 2 ラヴクラフト傑作集』です。

石田:これはざっくりいうとどういうお話の漫画なんですか?

永田:ある経済学者が、ある日とつぜん講義中に倒れる。気がついたら5年経っていた。「マジで? おれいきなり5年ぶん歳をとってるんだけど!?」って息子に言ったら「お父さんどうしたの? 昨日までの記憶ないの?」みたいな話をされる。5年間ぶん、昨日までの記憶がない。息子や他の人の話を聞いてみると、5年前に倒れた直後から人が変わったみたいになっていて、倒れてから5年後であるついさっき、ようやく元に戻ったっぽい。
じゃあその5年間はなんだったのかというと、実はその間は人間じゃないものに乗っ取られていて、大学教授という社会的地位を利用して彼らの研究をしていたらしい。「彼ら」は、恐竜がいたのよりもさらに前の時代の地球を支配していた種族で、こいつらはもともと宇宙のどこかにいて時空を超越する能力をもってる。地球にやってきて住み着いて、地球で文明を作っていた。時空を超越しているから、ときどき別の時代の地球の誰かに乗り移ってそこで研究して知識を持って帰るというのをやっているんだよね。その間、乗っ取った宿主と意識を交換するから、主人公は実は5年間の記憶として、超古代の生物になっていた記憶を徐々に取り戻していく。

石田:やばいっすね、それ。

永田:で、彼らの文明はさらにヤバいやつに滅ぼされて、そのあとで人類が発展していくっていう話。

石田:完全にワクワクしかない。

永田:すごく暗い筆致で描かれていて、絵がすごい面白い。時空を超越している種族は、時空を超越できるから、自分たちが滅ぼされるのが分かって、滅ぼされる直前に人類よりさらに先の未来へタイムスリップする。人類の生きてる時間の範囲では彼らは滅びているんだけど、人類の文明が滅んだ後に、別の生物が彼らの文明に乗り移られて続いていくと。だから主人公は超古代にさかのぼったことによって、人類がいつか終わるし終わった後に自分を乗っ取ってたやつらの文明が続くらしいっていう時間の感覚を持ってしまう。考えてみると寂しいよね。人間いつか死ぬんだなっていうのを人類レベルで与えられている話。この話自体はラブクラフトという20世紀半ばには死んじゃったアメリカの作家のお話です。このラブクラフトを。さっき話題にしたニックランドやダナハラウェイたちに重要視されていて。今の時代はラブクラフトの時代だとも言われてます。

 

 

 

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー

永田:前回も言及した、『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー』です。3巻で完結じゃないっぽいわ。

石田:あら。4巻まで行く?

永田:行くかもしれない。ジ・エンドオブ・ボリュームスリーって書いてあるし、今回がセンチュリーで、いま「テンペスト」というのが原著で出てるみたいなので。

石田:これはどうやっておすすめしたらいいんだろうねぇ。

永田:Fateとか好きな人、読んで。

石田:ざっくりすぎ(笑)

永田:あと、山田風太郎とか好きな人読んで。すごいから、ヤバイから、読んで、以上のことは言いたくない。ただ、先月も言ったけど去年奇跡的に第二巻が出た『プロメテア』の第三巻、こっちは完結だとアナウンスされてるやつの邦訳が出るみたいなので、今年はほんとアラン・ムーアの年だね。

 

石田:ラブクラフトとか、アラン・ムーアとかって時代としてきてるよな。ピンと来るもんなぁ。

永田:ラブクラフトもアランムーアも時代が早すぎたんですよ。ここ20年くらい、彼らはこの世界には異質すぎるって思ってたんだけど、時代が追いついてきた感じがある。異質だけどかっこいいと思っていたものが、時代に追いつかれているって、けっこう危機感あるんですけどね。ただ、単純に時代が追いついている気がするだけで、錯覚に過ぎない可能性もある。そこはそれで自分に対して反省を促したいですね。

石田:時代に追いつかれる恐怖……。

永田:ちょっとそこ考えていきたいなって思ってます。とまあ、今回、最終回にしてようやくゆうきくんと話が噛み合った感じがあって、毎月こんな感じでやれたらよかったなと反省するところもあるけど。まあバグマガジンの汽水域はここで終わるけど、どこかでまた続けられたらいいなと思います。これまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。またどこかで。

 

 

 

 

<プロフィール>

語り手

永田希 Nozomi Nagata

寝癖の書評家。時間銀行書店店主、オススメのマンガを持ち寄ってひたすら読むだけのイベント「試読シドク」主催。「Book News」を運営している’79年生まれ男性。

Book News
http://blog.livedoor.jp/book_news/

アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は関東某県在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。

 

聞き手

石田祐規 Yuki Ishida

1989年神奈川生まれ。多摩美術大学映像演劇学科中退。 映画と演劇への興味から写真をスタート。 友人、または友人になりたい人に親友を演じてもらい撮影する。主な著書に「HAVE A NICE DREAM!」がある。

http://yukiishida.com/