書評家の永田希さんの連載では、写真家・石田祐規さんを聞き手にお迎えして、毎月本を紹介しています。海水と淡水が入り交じるのが汽水域、刊行予定の本と刊行されたばかりの新刊とをまとめて紹介することをこの汽水域の旅にたとえています。
永田:今後の話ですが、2019年の1月新刊と2月近刊を紹介する回で、バグマガジンで連載するのは一区切り。そのあとどうなるかは、これから調整します。ウチでやらないか?というメディアの方、いらっしゃったら永田までご連絡ください。で、さっそく10月の新刊と、11月の刊行予定の本について紹介していきましょう。今回のテーマは「ニューダークエイジと合成生物学」。
ニューダークエイジ
永田:「ニューダークエイジ」というのは本のタイトルです。ジェームズ・ブライドルという1980年生まれのアーティストの、今年2018年に英語で出たものをもう邦訳するというもの。ブライドルは「新しい美学(新しい感性学)」というものを提唱している。自動運転車やIoTなど、人間を取り巻く新しい環境によって「感性」も新しくなるだろうということらしい。たとえば自動運転車は道路の白線をセンサリングしながら走っているのですが、ブライドルはこのことを逆手にとって、とあるパターンを道路上に白線で描いて自動運転車を「捕獲」してしまうような作品を発表しているんです。書名の「ニューダークエイジ」の「ダークエイジ」というのは直訳すれば暗黒時代、一般にはいわゆる中世時代が暗黒時代と呼ばれるのですが、僕もつねづね「現代は新しい中世である」と言っていて、現代は近代が終わり、かといって古典古代でもない。理性と科学がすべてを明るく照らすと思われていた近代ではなく、不可視性と盲目的な信仰や崇拝が当たり前になる中世的な世界になるという。ブライドルの本がどういう内容なのかはまだわからないけど、楽しみにしています。
自然なきエコロジー
永田:『ニューダークエイジ』と絡めて、もう1冊紹介したいのが、ティモシー・モートンの『自然なきエコロジー』。ティモシー・モートンは思想家で、青土社の『現代思想』という雑誌で何年も前からちょこちょこ論文が掲載されたり、ティモシー・モートンを紹介する本が出たりしていたんだけど、本人の単著の訳書がでるのは初めて。この「汽水域の旅」でも以前に取り上げた『「自然」という幻想』や、港千尋『風景論』にも関連する、人新世の環境思想というのがあって。
モートンはもともとはロマン主義の研究をしていた文学の人。なんでその人がエコロジーの話をしているかというと、『「自然」という幻想』でも言われていた通り、ネイチャーって語源を辿ると「生まれつきの」とか「ウブな」とか「手を加えられていないもの」って意味なんだけど、そんなものはもう無いよねっていう現代文明観がおそらく彼の文学観や世界観に通じているのだと思う。ただ彼はかなり外連味の強い人で、あっちでなんか言ってこっちでなんか言ってみたいな人なんですよ。ビョークの個展にテキストを寄せたり、グレアム・ハーマンの周囲に現れてはなんか言っていたりする、ちょっと怪しげなところもある人なんです。だからこの本が面白い本になるのか、単なる怪しい本になるのかまだ分からないところ。ともあれ、ずっと翻訳を待っていた本なのでこれもとても楽しみ。
バイオビルダー 合成生物学を始めよう
永田:あともういっこ紹介したい本が『バイオビルダー 合成生物学をはじめよう』です。本書の説明をする前になんだけど、「ムーアの法則」って分かんないよね?
石田:超有名じゃないすか。チップの集積率が18ヶ月で2倍になるってやつ。
永田:そうそうそう。その先の話も知ってる?
石田:知らないっす。
永田:ムーアの法則が提唱されたのは50年も前の話。ある程度までは集積回路の複雑さが増して性能も飛躍的に伸びていくという説に妥当性があったんだけど、目が詰まりすぎて物理的にこれ以上の加速は鈍化していくだろうという見方が2010年代になってから有力になってきているんです。いわゆるITバブルを支えてきた市場の成長もこの集積回路の爆発的な高性能化を基礎にしていたものなので、ムーアの法則が妥当しないという見通しはけっこう重大な問題なんです。これに対して、いまビル・ゲイツをはじめとして多くの人が注目している分野がこの「合成生物学」。合成生物学というのは、遺伝子操作とか遺伝子の周辺にある要素を「編集」して、新しい生物を人工的に作っちゃおうっていう領域なのね。この分野についての新しい本が出る。
あともうひとつ、『アナザーマルクス』って本も出るんだけど、これもちょっとどういう本になるのか分からないので、出るらしくて気になりますと言うだけに留めておきます。
ハードウェアハッカー
永田:10月に刊行された本で最初に紹介したいのは『ハードウェアハッカー』。ムーアの法則が有効な時代はハードウェアは日進月歩で新しくなってしまうし、新しいものは古いものよりも圧倒的に高機能ということになるのだけれど、ムーアの法則が鈍化するとハードウェアはITの初期の頃のように大事にされるし、速度以外の部分で勝負することができるようになる。ここ数年、ハッキングといえばもっぱらソフト方面に使われることが多かった印象だけど、ハードウェア方面でもハッキングがアツいという話です。
合成生物学みたいなバイオの方向だけじゃなくて、自分でスマホ作るとか、基盤からコンピューター作るだとか、Appleとかmicrosoftが黎明期にやっていたような、買った人が自由にいじれるっていう、現代だとちょっとワクワクするんだけど、もともと考えれば最初はそうだったよねってことを推進している人が書いた本。実際、すごく面白い。面白すぎて、マジでびっくりしました。
本書の著者は、2008年に発売されたChumbyというハードウェアを作った人の1人。iPhoneが2007年に発表されていて、先を越されたし機能でも勝てなくて、Chumbyは結局のところマーケットから撤退することになる。本書はこのChumbyを作ったときの、とりわけ中国での大量生産のための工場とのコミュニケーションについて書くことから始まる。これがもう面白い。中国の工場って粗悪品を濫造するっていう印象があると思うんだけど、確かにそういうタチの悪い工場はあるにはあるとはいえ、注文の出し方が悪いとか、じゃあどういう注文の仕方なら大丈夫かとか、ハードウェアを作る人だけあって非常に具体的・端的でわかりやすい内容になってる。
それから、基盤てあるじゃん。あれってハンダごてがないとできないイメージあるよね?
石田:ある
永田:紙の上にシール貼っても回路ってできるんだよね。電子回路について学ぶためにステッカーを貼って回路を作れるChibironicsというプロジェクトをやったりだとか、そのときの顛末についても書いている。
プログラム書いてどっかのサイトを落とすとかみたいな「クラッキング」じゃなくて、たとえばここにiPhoneあります、開けます、中を見ます、顕微鏡使ってもっとよく見ます、内容を理解します、それを作り変えます、これがハッキングです、っていうわかりやすさがいい。
石田:本来の意味のハッキングだ。電話を無料でかけるみたいなもんですよね。
永田:そうそうそう。よく知ってるね。それは最初期のハッキング。そういうことなんですよ。この人は中国で、マイクロSDカードかなんかのパチもんつかまされたの。普通だったらパチもんつかまされたら怒るだけじゃん。この人はパチもん売ってそうなところに行ってたくさんパチもんを買ってきて、どのパチもんがどう作られているか解析するの。
石田:うおー、おもしれー。
永田:全部基盤見て。「ここにこれがついてるってことは、どこそこの工場で作られているものだ」って突き止めて、なんで作ってるんだって探るわけ。で、なんでパチもんを作っているかっていうと、その工場は正規品も作っていて、従業員が業務時間外に非売品をパチもんに加工して流通させちゃうとか。事情が見えてくる。これは、中国の工場からスマホの海賊版とか、変なものが多様に作り出される土壌になっている。これって著作権とか保護してたりすると、なかなか発達しないから中国みたいな新興世界では法律で縛らずにほっておいたほうがイノベーション広がるんじゃないの? っていう。実にハッカーらしいことを言ってる。本書も後半になると、DNAもハックできるんじゃないのという話になっていました。とにかくスーパー面白い本です。これはぜひとも紹介したかった。
零號琴
永田:つぎに紹介するのが『零號琴(れいごうきん)』です。
石田:はい。これまったく中身が想像できないんですが。
永田:これは小説です。『グラン・ヴァカンス』って作品が一番有名で、中編で『自生の夢』がSF大賞を取っている飛浩隆という作者の最新作。現代日本を代表するといっても過言ではないSF小説家です。
石田:聞いたことあるから、なんかで紹介されてましたよね。
永田:僕の大好きな作家なんだけど、寡作なんですよ。帯に書いてあるけど「16年ぶりの第二長編」だからね。第一長編のままずっと次の長編が出ていなくて、ようやく出たと思ったら16年経ってるの。しかもこの話、ゼロ年代に連載してたのをまとめて、数年ごしでようやく完結という。
石田:長っ!
永田:読んでみると分かるんだけど内容がめちゃくちゃ緻密で。時間をかけるだけある。ファンとしても待った甲斐があったという漢字です。
本作は、ある惑星の地中に埋まっていた超巨大楽器を復元して演奏する祭りがあり、そのお祭りのためにその星に招かれた演奏家が目撃する、その「演奏」までのお話。「楽器の演奏」と「お祭り」がセットになってるのね。だから、「演奏」までの話であるのと同時に、「お祭り」の開催までの話でもある。お祭りに音楽が付き物なのは分かるよね。で、実はお祭りにはもうひとつ付き物があって、仮面劇なんですよ。本書では「假面」って書くけど。これページでちゃんと表示されるのだろうか。
で、仮面と星と楽器という3つのテーマで、あとは星の歴史やテクノロジーが結びつけられてこの分厚さになってる。これね、ちょっと紙の本でみると分厚さにびっくりするかも知れないけど、本の中を見てもらうと分かるとおりラノベみたいに改行が多いので読みやすいから安心してください。この作者はもともと重い文体を使う人だし、さっきの「仮面」の表記みたいに本作中でもちょっと変わった漢字が使われてるんだけど、とにかく文体が軽いのでサクっと読めるはずです。この密度でこの軽快な読み心地は驚異的と言っていい。すごい面白いです。
僕、日本のSFで『屍者の帝国』っていう伊藤計劃の遺作を円城塔が完結させた作品が好きなんですけど、それと同じぐらい好きだな。
社会主義リアリズム
永田:社会主義リアリズムって知ってる?
石田:いや、ぜんぜん。
永田: 20世紀に生まれた芸術の様式で、主にソ連で使われていた様式。リアリズムっていうのは、人間の生活を克明に描くことを目指す芸術思想で、「これが人間の本性だよ」っていうのを描き出す。それでなにがしかの問題を告発したりするのがもともと「現実主義」レアリスムっていうもの。これに関連して、たとえばシュールレアリスムってのがあります。リアリズムを超える、超リアリズム、人間がリアルだって思ってるものの上にあるとされたのがシュールレアリズム。リアリズム、レアリスムというのは、もともとは思想を伴う芸術運動だったんだけど、それのいわばソ連版が社会主義リアリズムです。
かつては「空想的社会主義」というのがあって、誰もが幸せに暮らせるユートピア的な社会をさまざまな人が空想していたのに対して、マルクスとかレーニンが空想的なユートピアじゃなくて現実の社会でそれを具現化しようとしてソヴィエト連邦が生まれた。ソヴィエトではいわば、夢が実現しちゃっている、あるいはこれから夢を実現しなきゃいけない。そういう、革命しちゃったけどこれからどうしようという人々が夢と現実が入り交じる状況で模索した「現実の姿」が、この社会主義リアリズムには刻印されていると言えるんです。革命を成し遂げて、夢を現実にしたし、これからの現実を思い描かなければならない、という意志に燃えた人々が最初に飛びついたのは「アヴァンギャルド」って呼ばれる、いろいろな芸術の最先端だったんです。アヴァンギャルドって「前衛」って意味なんだけど、「前衛」ってもともとは軍隊用語なんですね。革命戦士が前線で戦ってるイメージ。いまではよくわからないもの全般に使われていて、言葉の背景を知っている者としてはよくイラっとするんだけど。まあ、先端芸術って多くの人に理解されないわけ。
石田:うんうん。
永田:多くの人に理解されないものって、なんかそれってムカつくじゃん。分かるやつだけで凝り固まっちゃって、なんかお高くとまりやがってと。で、民衆のための芸術ってのはどういうものなんだろうか? っていう問題に対して生まれてきたのがこの「社会主義リアリズム」。本書では、この革命の理想と平等を結びつけようとした社会主義リアリズムがその発生から、ソ連の崩壊までにどのような顛末を辿ったのかを時代の変遷を追って書いている本なんです。ソ連はレーニンの時代のあと、悪名高きスターリン体制になって硬直化し、やがてゴルバチョフの時代になって崩壊する。社会主義リアリズムもスターリン体制とともにスターリンの個人崇拝と表裏一体になってしまい、もともとの夢と現実の、理想と平等の融合みたいな理念が死んでしまう。その展開をコンパクトに知るのに良い1冊。
石田:それは面白い。小学生のときに読みたかったなぁ。
パフェ本
永田:そして『パフェ本』。
石田:出た、パフェの本。毎回、お菓子かパフェは必ず入ってくると思ってた!
永田:先月も紹介した斧屋さんというパフェ評論家が書いた本です。
石田:思ったよりもコンパクトですね。
永田:そう。ハンディで、ジャケットの内ポケットに入る。
本書の何が面白いかって、パフェの味わい方を、様々な角度から紹介しているところ。季節感とかアトラクションとしてパフェを味わってみましょうとか。いったいパフェが何を見立てているのかとか、パフェを作っているところをライブで見ましょうとか。期間限定感を楽しみましょうとか。
石田:すごい。茶道みたいになってる。
永田:パフェ道ですよね。堅苦しい感じじゃなくて、あくまで「いろいろ提案している」という感じ。パフェ道と言ってしまうと敷居高くしてるみたいに聞こえちゃうかもだけど、本書は違う。斧屋さん自身は茶道も研究していると思いますが。
第二章では、日本全国各地にどのようなパフェがあるのかというのを紹介している。僕はあんまり日本全国旅したりしないから興味ないかなと思って読んでみたんだけど、別に旅行好きが旅先でパフェを食べるってことじゃなくて、たとえば九州ならマンゴーが有名だよね、でそのマンゴーが有名なところではどのようにパフェができるのかっていう「パフェで見る日本地図」みたいになってて面白かったです。
最後の「パフェの論点」では、単なる「味わい方の提案」とは違う、もう一歩つっこんでパフェを論じるときにどのような切り口があるのかが書かれている。
味わい方・広がり・論じ方。このスーパーコンパクトな中に、これだけ入ってる。これだけふんだんに写真を使ってフルカラーで、文字量も決して多くなく、ギューと詰まった良い本です。
石田:この「パフェに完成はあるのか」っていう項目が気になる。
永田:パフェってパルフェっていうフランス語からきてるんだけど、それが「完璧」って意味なので。
石田:完璧ィ?!
永田:よく言われるんだけど、パフェにとって本当の完成とはなんなのかっていう。
石田:難しい。
永田:パフェは時間芸術なんですよ。音楽と同様に。そういった意味で『零號琴』も合わせて読んでみてください。
プロメテア2
永田:出たんですよ。『プロメテア2』が。
石田:デカい。アキラ判型じゃないですか。
永田:カバー外して。カバー。
石田:え、まさかフルカラー? (カバーを外して)うわ、フルカラーだ。カバーのほうが地味なんだ!
永田:カバーをはずしたらフルカラーですごい美麗っていう。ようやく出たこの第2巻は、「セフィロトの樹(生命樹)」を巡るお話なんですよ。セフィロトの樹はいくつかの階層によって成立されていて、魔術の修行をするときは、この階層を1階層ずつ登っていく。で、本作がすごいのは、この1階層ごとにページの背景色というか貴重になる色味が変わっていくのよ。
石田:本当だ! すごーい!
永田:これは記事には載せないんだけど、このページ見て。最後の階層のところ。
石田:わ、すごい。これはぜひ子供が生まれたら読ませたい漫画ですね。
永田:プロメテアを教育に使うのは、いい親御さんですね(笑)。来年第3巻が出て完結するとのことです。
石田:これはあらゆる小学校に置いて欲しい。
告知
永田:12月1日に「異日常」というイベントを高円寺でやります。佐々木友輔さんという映画監督の映画を3本上映します。普通の映画館ではやらない映画なので、ぜひこの機会に観に来てください。次、いつ僕がやる気になるか分かりませんよということで。途中入退場可・飲酒可・喫煙可・スマホ使用可・私語可・飲食可っていうほぼなんでもアリの上映会なのでみなさんぜひ遊びに来て下さい。
詳細はこちら:
http://blog.livedoor.jp/book_news/archives/54204659.html
<プロフィール>
語り手
永田希 Nozomi Nagata
寝癖の書評家。時間銀行書店店主、オススメのマンガを持ち寄ってひたすら読むだけのイベント「試読シドク」主催。「Book News」を運営している’79年生まれ男性。
Book News
http://blog.livedoor.jp/book_news/
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は関東某県在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
聞き手
石田祐規 Yuki Ishida
1989年神奈川生まれ。多摩美術大学映像演劇学科中退。 映画と演劇への興味から写真をスタート。 友人、または友人になりたい人に親友を演じてもらい撮影する。主な著書に「HAVE A NICE DREAM!」がある。