汽水域の旅─経済・ゲーム・SF

行商人から「アーギュメンツ」を買ったらどうしよう? もしも森を運用することになったらどうしよう? 鬼がやってきたらどうしよう? 「汽水域の旅」の第五回はそれら大量の本を統括するテーマとして「経済・ゲーム・SF」を選びました。あなた好みの本は見つかりましたか? それでは今回も新刊と既刊の紹介です。語り手は書評家の永田希さん。聞き手は写真家の石田祐規さんです。

「自然」という幻想

永田:今回は「経済・ゲーム・SF」っていうテーマで考えようと思ってます。まず7月の新刊で一番注目しているのが『「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護』。自然とか環境とかの話です。21世紀にはいって、3.11などで地球規模で放射能の影響が出たりとか、温暖化を防ぐために二酸化炭素を減らそうとか、エコロジー的な発想・発言がかつてなくそしてあらためてカジュアルなものになりました。でもむやみに「自然を大事に」と言うのはなんか違うという感覚も育っていている。自然に対するいわゆる「エコロジスト」たちのイメージが幻想だったんじゃないかという考え方が最近出てきています。これまでもたびたび名前を挙げてかティモシー・モートンもその中の1人だと言えるでしょう。

たとえば生態系って、本来は安定していて人間がそれを壊したんだって言いかたをよくされる。人間が壊したんだから人間が戻さなきゃいけないという考え方があるんだけど、とにかく元に戻せばいいといあものではないんですね。「壊すのやめよう」ってやめれられるものでもない。

 

石田:小学校とかだとそれ一方的なのばっかりで辛かったのを覚えています。

 

永田:うん。いわゆるエコロジカルなものに対するウンザリ感はこの新しい動きにとって重要だと思います。「環境を『どう』維持したらいいのか」ってのを考えるのが、最近の新しいエコロジーとして出てきています。これが非常に興味深い。今年になって関連した本が出てくるようになりました。

これは6月に出た本で『森林美学』っていうハインリッヒ・フォン・ザーリッシュって人の本があります。この本自体は原書が最初に刊行されたのは19世紀末なんですよ。1885年。第二版が20世紀初頭に出て、20世紀半ばに英語に翻訳されてアメリカで出版され、21世紀になってから日本語に翻訳したという本です。内容は古い。新しめのちょっとおしゃれなデザインだけど。プロイセン帝国時代のポーランドとドイツの国境あたりで700ヘクタールの森林を持っていた貴族が「森を持っているけど、どのように運用したらいいのか?」ということを書いているのね。

 

石田:へぇ~! 森はぜひとも運用したいですね。

 

永田:運用したいよねー。自然林が必ずしも良いわけじゃなくて、経済的な観点から見ても良く、かつ美しい森を作っていこうという話を書いている。21世紀のエコロジーにとっても読むべきところがある本なんじゃないかと思っていて、デザインがかっこいいので持ってきました。

 

未来職安

永田:次に紹介したいのが『未来職安』。柞刈湯葉(イスカリユバ)というネット発のSF作家の作品。『横浜駅SF』という作品で、一部ですごいヒットした人でもあるので、知ってる人は知ってると思います。ツイッターも1人で延々と大喜利やってるみたいな面白いアカウントなので、知らない人はこれを機にチェックしてみてほしい。日本全国が「JR横浜駅」に取り込まれるっていう、冗談みたいな設定でSFを書く新しいタイプの作家さん。筒井康隆の現代版というか。その人の新しい作品が『未来職安』です。第4話までWebに掲載されているので気になる人は検索してみてください。99%の国民が「消費者」っていう階級になって、残り1%のエリートだけが「生産者」として経済を回す(といっても多くのことは自動化されていて、大概の生産者もゴッコ遊びみたいな仕事しかしていない)世界が描かれる。ホリエモンとか落合陽一さんとかが語っている「BIが実現すれば働きたい人だけが働いて、他の人は全員消費者になれるんじゃないか? 」という説を極限まで推し進めるとどうなるかっていう作品です。なので経済的社会的視点のあるお話。

 

石田:面白い。タイトルも良い!

 

永田:タイトルも良いし発想も良い。この人、文章もうまいのでセンスのいい人なんですよ。

 

石田:漫画ではないんですよね?

 

永田:漫画じゃない。小説。『横浜駅SF』は漫画化されているので、『横浜駅SF』を知らない人は両方読んだらいいと思う。この作者さん、一部ではすごく話題になっているんだけど、まだまだ知名度が低いと思います。クオリティが高すぎると、ちょっとマスに届かないときがあるみたいで、これでブレイクして欲しいなってのがあります。

 

鬼と日本人

永田:次が『鬼と日本人』っていう本です。先月とりあげた『海賊の日本史』の「海賊」を「鬼」に置き換えたみたいな話、というと雑すぎるかな。鬼って桃太郎が退治するツノの生えた赤いやつってイメージがあると思うんだけど、概念の由来をたどると「タマシイ」とか霊的な存在を指していたんです。

 

石田:鬼はタマシイ。へぇ~!

 

永田:「魂」っていう字にも「鬼」って文字が入ってて霊的なもの、異界的な存在を指していたのね。対して、日本人というのは社会側のまっとうな世俗的な存在。たとえば外国人とかね。有名な説で中世にドイツ人が日本に漂流したことがあったというのがある。ドイツ人、白人と言ってまも日本人から見ると赤いじゃない。日本人と比べてデカいし。

 

石田:デカいし鼻が尖ってる。

 

永田:赤鬼の起源なんじゃないかって言われてる。

 

石田:『ドラえもん』でもそれは漫画化されてた。

 

永田:そうそう。そういう風に異人を日本人の文脈で捉えると鬼になる。祐規くんがこないだ、その海賊の話をしたときにも言ってたけど、山賊みたいに山に追いやられて山で勢力を築いたのでは、とか言われる。酒呑童子伝説(しゅてんどうじでんせつ)っていうのがあって、外国人が身体は強いんだけど、日本から見ると完全に異質だから地方で一大勢力を作っていて、朝廷から討伐されるみたいなそういう話が出てきて、それが桃太郎とか金太郎とかの原型になっていく。

 

石田:シュテンドウジデンセツ?

 

永田:酒呑童子、知らない?鬼の中ではたぶんいちばん有名な鬼なんだけど。

 

石田:Wikipedia見ときます。

酒呑童子 – Wikipedia

それはただの先輩のチンコ

永田:次に漫画の話をしましょうか。阿部洋一の『血潜り林檎と金魚鉢男』って知ってますか。なぜかスクール水着を着ている女の子たちが、首の部分が金魚鉢にになっていて金魚が入ってるやつと戦うっていう……。

 

石田:ちょっと意味が分からない。

 

永田:うん、話してて自分でもよくわからない。

 

石田:石黒正和的なビジュアルで想像しました。

 

永田:石黒正数的なイメージというのはわかるんですが、石黒正数って実はあんまりシュールな作品を描いてないんですよ。

 

石田:確かに正統派だ。

 

永田:けっこう正統派。僕もなぜかこの作者と石黒正数は関係あるんじゃないかって気がしちゃうんだけど、この人もカルト的人気がある作家なんですよ。ぶっとんでいるのに、絵が可愛くて割とするっと読めちゃうっていう変な作者。7月に出るのは、この阿部洋一の『それはただの先輩のチンコ』っていう作品集。男性用小便器のところにギロチンがついていて、それで好きな先輩のチンコを切り落として持って帰って愛でるというものです。

 

石田:あれ? なんかちらっと見たことあるかも。twitterとかで。

 

永田:うん、話題になってたので見たことあるかも。この作者さんの何が変かっていうと、フェティシズムが狂っているんですね。さっき言ったエコロジーが面白くなってきているのと同様、「フェティシズム」も面白いテーマだと思っています。フェティシズムとは、物神崇拝といってモノに執着してしまうってこと。先輩が好きなら先輩を愛でればいいのに、チンコだけをを愛でちゃう。あるいはスクール水着の何がいいかって、何がいいかはさておき、スクール水着が好きなわけじゃん。着てる人じゃなくて。

 

石田:倒錯してる感じだ。

 

永田:そうそう。人間よりもモノのほうに感情的に動いてしまうっていうことについて改めて考えてみようってのが20世紀末ぐらいから高まってきているんですよ。これは漫画の紹介ですけれども、今後はこのテーマについても考えていきたいなと思ってます。

 

海賊の日本史

永田:前回に引き続き『ハムレットと海賊』と『海賊の日本史』の話をしましょう。やっぱり海賊って面白いなって思ったんです。海賊ってなにかというと、先月、祐規くんが言ってたみたいに、ワンピースとかパイレーツ・オブ・カリビアンみたいに、よその船と戦って、金品を奪うっていう単なる盗賊のイメージかもしれないんだけど、『海賊の日本史』を読むとどうも海賊の側にも取り立てるだけの言い分があって、それは海の関所として「ここを通るんだったら、通行料を払え」っていう発想なんですよ。海の上でとおりゃんせをやっているんですね。

ここは海の神様の領域だから、通るなら神様への供物として我々に金品を差し出せと。この取り立てが、だんだんと経済化していって、強い海賊Aと弱い海賊Bがいたら、Aにお金を払うことでBが襲わないようにするっていう海上警備の契約とか、独特の合理性をもった経済圏を海賊が作っていく。

ただ『海賊の日本史』が面白いのはそういういわゆる日本史──明治より前──戦国時代より前の話ではなくて、そのもともと「みかじめ料」を取っていた関所としての海賊、っていうのが武装勢力になって海の上での経済圏を作っているところから、当然やつらは船も作っていただろう、船を操る人々として現代にも繋がっているだろうという話もしているところ。

 

石田:今でいうヤクザみたいなものということですか?

 

永田:そうですね。ヤクザとは何かっていうのも面白い話なんだけど。警察が代表する、日本国憲法以下の日本の法律で守られてる正規ルートの経済圏ってあるじゃん。そこから見たらグレーなところっていうのを、警察とは別の暴力でもって秩序化している人々をひっくるめてヤクザって呼んでいると僕は捉えてます。

 

アーギュメンツ

石田:アーギュメンツナンバースリー。

 

永田:これはとっても面白い本なんだけど、何から話したら。

 

石田:じゃあ全体の話から中のお話へ。

 

永田:いや、実はさっきのヤクザの話じゃないんだけど、アーギュメンツの何が面白いかっていうとやっぱり「売り方」だと思うんですよね。

 

石田:これめっちゃ売れてるんですよ。地方への発送をやってまして。

 

永田:今何部ぐらい売れてるんですか?

 

石田:一週間あたり7~8箱ぐらいは地方に送ってるので、手売りにしてはめっちゃ出てるなっていう印象。

 

永田:雑誌や本を手売りすること自体は新しいことじゃないんですよ。まあそういうそもそも論はさておき、ある時期までは本って基本的に書店でしか買えないものでした。だから、本を買いたいというときに書店になかったら出版社から取り寄せてもらったり、出版社と直取引をして売ってもらうしか方法がないように思われていた。そこにコミケが誕生し、Amazonが生まれ、コミケをもとにして文学フリマが出来上がって、同人誌も文学フリマやコミケなどの同人誌即売会的なところに行けば手に入るっていうモデルが出来上がった。感覚値で言いますが、それぞれ1桁づつぐらい市場規模が違う感じがしますね。アーギュメンツが手売りって言い出したのって、Amazonより後だし文学フリマより後。「自分で能動的に本を買う」やり方を可視化するというか、そこをフォーカスする雑誌ですよね。中に書いてあることも面白いんだけど、…中の話に関してはBook Newsのほうで触れたので省略します。

この「売り方を面白がる」という態度はシステムをハックすることです。システムをハックすることを僕はゲームと呼びたいと思っていて、その意味でいうと実は6月もうひとつ注目すべき雑誌があって。『ゲンロン8』なんだけど。

特集が「ゲーム」。この雑誌も、中で扱われている議論がすべて面白いけど、売り方に対する自己言及性がある。ゲームっていう概念──スマホゲームだとかプレステ、ファミコン、ゲーセン、ボードゲーム──だけをゲームと呼ばずにもうちょっと概念を拡張して、ゲームという概念を豊かにしていこうという動きが6月の本から伺えたなと思います。

さっき言った「海賊」というテーマも実はそのゲームに関わってくるなと思ってます。「ゲームと海賊」ってことを考えると経済っていうのがひとつ上の概念としてあると思うんです。一般に経済って「お金をやりとりするもの」だと思われているんですね。貨幣経済って言うんですけど。その貨幣っていうすべてを数値化するアイテムがあるわけですよ。アイテムでもありシステムでもあるという強い存在であり概念であると。海賊は神様を持ち出したり、海運に干渉して保険と関わったり、ゲームのシステムに深く関わってきました。僕は、出版とか書籍を経済や市場や貨幣の代わりになるもの、パラレルになるものかも知れないと考えてます。これはまだまとまってないアイデアですが。

 

ポリフォニックイリュージョン

永田:6月には飛浩隆の『ポリフォニックイリュージョン 初期作品と批評大成』という本が出ました。これかっこいいデザインなんだけど、デザイナーの人に実物を見せるとけっこう悔しがるんですよ。祐規くんが悔しがるか分からないけど、わかるかな?

 

石田:え? なに?

 

永田:このカバーが半透明のものが被せてあるんだろうって思うじゃん。ここが帯だと思うじゃん。違うんだよ、っていう。

 

石田:なるほど。

 

永田:飛浩隆はどういった作品を書くのかというと、代表的な作品が『グランバカンス』っていう作品で、もうひとつ『自生の夢』っていう作品を書いていてそれで最近賞をとったりしたんだけど、SF好きの中では割とみんな知っている作家さんで、悪趣味でかつ絢爛豪華で……。って言っても通じないよなあ。そこらへんは省略します。円城塔の文字の渦と書いて『文字渦(もじか)』って作品が7月末に出る。明治期に中島敦って作家がいて、文字の禍(わざわい)って書いて『文字禍』っていう作品を書きました。古代メソポタミアの粘土板の図書館を舞台に、文字とは何かって考えた学者が「文字というのは独特の霊魂なんだ。ある種の妖怪なんだ」っていう風に気づいてしまうことによって、粘土板に殺されてしまうっていう短編。

さっき挙げた飛浩隆の『自生の夢』という作品は、この中島敦『文字禍』の現代版。FacebookとTwitterとGoogleが全部くっついて、粘土板じゃなくてモニター上の、あるいは仮想の文字っていうのがどんどん繁殖して人類を殺していくっていう話。言語が人間を殺すという発想自体は、伊藤計劃という作家が『虐殺器官』って作品で「虐殺の文法」っていう……内戦地域とかでさジェノサイドが起きるじゃん。民族差別とかでとなりに住んでいたこの間までご近所付き合いしていた異民族の人を突然皆殺しにしようっていう風にするのはなぜか? それには広告業と結びついた虐殺の暗示があったのだ、という話が伊藤計劃の作品であって。『自生の夢』は、それをアップデートする形で人間の脳を言語的にハックする自動的なプログラムが突然生まれてしまうというホラーを書いたもの。

伊藤計劃が死んじゃった後に円城塔が『屍者の帝国』って作品を書き上げるんだけど、屍者の帝国ってどういう話かというと、ゾンビが書いているっていう小説なんです。この『屍者の帝国』の最後で、書き手のゾンビが「自分は意識を獲得した」って言うのね。彼にはある種の文法がインストールされているんです。飛浩隆が『自生の夢』って作品のほうで描いた「プログラムが暴走する」っていう世界とは別の世界を円城塔は『屍者の帝国』で書いていると言えるんだけど、『文字渦』でこの問題系をどのように扱うのかってのは興味深いなと。これもシステムが人間とは離れて動き出すっていう意味で経済やゲームと関係しているんじゃなかいなと言えると思います。

 

愛しの印刷ボーイズ

永田:6月のマンガは『愛しの印刷ボーイズ』と、あと『カラマーゾフの兄弟』ですね。

 

石田:あれ? これ先月も見たような……って、こっちは印刷で前回のは編集か。印刷あるある漫画ですね。

 

永田:そうそう。前に持ってきてたのは『編プロガール』かな。印刷っていうと書籍のことを思い浮かべる人が多いかも知れないけど、選挙ポスターとかファミレスのメニューとか通販のカタログとかスーパーのチラシとかも印刷されてるものです。いわゆる書籍ではないものの印刷も含めて人間の目につくもの。今だとモニターとかあるけど、画面上ではない文字ってすべて印刷なんですよ。これを読むことによって、目に見える文字や印刷の後ろで何が起きているのがわかるようになる。

『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの名作を漫画でこの薄さで読めちゃうっていうものです。

石田:すごい。持ち運べる世界文学。

 

永田;これの同じシリーズの『贅沢と恋愛と資本主義』っていう作品も割とプッシュしてたんだけど、こっちも読みやすくってあらすじが分かります。『カラマーゾフの兄弟』をマンガとして一冊にまとめたってのが凄い。この名作の気になってるけどあらすじを知りたいって人はここから入るのがいいんじゃないかと思います。なお、『カラマーゾフの兄弟』はさっき触れた円城塔『屍者の帝国』でも登場人物がモロ被りしてたりして非常に熱い。

 

<プロフィール>

語り手

永田希 Nozomi Nagata

寝癖の書評家。時間銀行書店店主、オススメのマンガを持ち寄ってひたすら読むだけのイベント「試読シドク」主催。「Book News」を運営している’79年生まれ男性。

Book News
http://blog.livedoor.jp/book_news/

アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は関東某県在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。

 

聞き手

石田祐規 Yuki Ishida

1989年神奈川生まれ。多摩美術大学映像演劇学科中退。 映画と演劇への興味から写真をスタート。 友人、または友人になりたい人に親友を演じてもらい撮影する。主な著書に「HAVE A NICE DREAM!」がある。

http://yukiishida.com/