巌農記 第七幕「東京」

荒渡巌

 


遂に帰ってきてしまった。大都会東京。これまでの回では畑の近況を紹介するこの序段であったが、彼の地は遠くなりにけり。今なんて四谷の一等地にそびえ立つビルの6階でビールを飲みながら優雅にキーボードをパチパチしている。農は一体どこへ行ってしまったんだ。

帰京してからはアルプスの山々に囲まれた健やかな生活の余韻に浸る暇もなく、どういうわけか労働や制作の波状攻撃であっという間に丁寧な飯がコンビニ飯に駆逐されてしまい、惣菜パンやカップ麺を一切の情緒もなく胃に流し込むような生活が続いた。蓄積し続ける疲労はいかんともし難く、栄養ドリンクや甘味で何とか誤魔化している有様。私の身体はいま、ものすごい東京的なことになっているし、加速的にだらしなさが具現化した(目に見えて太った)。「研修中に喉を潤していた上高地の水が飲みたいなぁ…」という素朴な願望でさえ、ファミリーマートの「安曇野天然水、2L、100円、ドン!!」みたいな暴力的なアンサーで叩き伏せられてしまう。

そうしたギャップが農業研修の体験を浮き彫りにし、農村部と都市との間に潜伏する溝を詳らかにしてくれるんじゃなかろうか、などと淡い期待を抱いていたが、実際は何事もなかったかのように都会の生活に順応してしまっている。というか8ヶ月の研修のリアリティが超高速で都市的な価値観に再置換されている気配すらある。その順応の背後には、何か途方もなくえげつない力が働いている筈なのだが、全く不可視で不気味なことこの上ない。一体なんのパワーなのか。

さて、四谷の一等地で優雅に過ごしていたはずなのだが、気がつけばバーミヤンで焼酎のボトルを頼んでいた。文章生成に詰まって最終的に駆け込むのがバーミヤンで、今まさにその状態である。焼酎ロックを煽っては遠くを見つめる…なんて無為な時間も増えた。一体この文章はどこに落ち着くのだろう…

「アーティストは凄い!!ホントにKY(ケーワイ)だから!!」

隣卓のバンギャ(ヴィジュアル系バンドの熱心なファンである女性)と思わしき集団から耳を突き刺すような、力強いコメントが飛び出してきた。アーティストはそんなに空気が読めないのだろうか?力強く肯定されるほど?まぁ、確かに本質的にそういうところがあるのかも知れないが…

自分たち美術家は多かれ少なかれ何らかの求道者であるのだと思っている。特定の集団の醸す「空気」なるものには泰然と構えていて然るべきであって、よそ見をせずにわが道を歩んでゆかねば彼の深淵には到達しない。ある作家の表現は時代遅れだと見られるのかも知れない。全く理解をされないかも知れない。罵声を浴びせられたり、または完全に無視されるのかも知れない。それでも粛々と自分の表現に打ち込む。もしも常に周りを見渡すような仕草が身についてしまえば、誰かの模倣や、既にあるものの再生産から抜け出すのは難しいだろう。もしくは現代美術という盤面上で語られていない隙間を探すだけの走狗に堕してしまう。(自分はそういう理解で美術に取り組んでいるが、もちろんそれが絶対的な視座ではない)

自由であらねばならない。そうありたいと願う。美術からだって本当は自由でありたい。あらゆる環境的圧力はそれだけで人間の自由な精神の動きを束縛してしまう。それは簡単にいなせるものでもない。我々は全身くまなく使ってその「空気」的圧力に呼応してしまっているのだ。

実は長野にいたころほとんど物を捨てない生活をしていた。極めて意識的に。菓子の包装フィルムや紙切れなど、素材ごとに分けて箱に入れていた。ゴミを捨てないということはマテリアルそれ自体に対して誠実な態度を表明する、優れたアクティビティの様に感じていた。ティッシュペーパーの代わりにタオルを使う、ラップの代わりに繰り返し使えるシリコン製の蓋を使うなどして出来る範囲で物的消費を抑える。廃棄物の出るようなものは極力買わない。買ってしまったなら何とか再利用する。そういう生活を心がけていたし、それはこの先も続いてゆくものだと思っていた。

今はもう捨てている。ガンガン捨ててしまってる。都市的な生活はあまりにも便利で速度感もあるが、その「速の力」を享受するためには消費を受け入れるしかない。例えば、コンビニの肉まんを載せた紙を綺麗に折りたたんで、家に持ち帰り再生紙を作ろうと考える。焼き鳥の竹串をカバンに入れてやはり持ち帰り、洗浄して再利用しようと思う。長野から帰ってきたばかりの自分はそんな風に考え、ポケットやカバンの中に限りなくゴミに近いそれらを一度は収めた。だが、歩きながら心がざわついてくる。ポケットやカバンに妙な違和感を感じる。収まりが悪い。もしもそんなことをしてしまったら――「肉まんの敷き紙を再生紙にし、竹串を洗って再利用してしまった」なら――この街は途端に牙を向いて私を排斥するのではなかろうか。二度とこの地に居を構えることが出来なくなってしまうのではないか。

――棄てよ!!

そんな脅迫めいた都市の声を聞いた様な気がして、結局は数軒先のコンビニのゴミ箱に投入。紙や竹という資源を処分場の業火に焚べるという選択をしてしまったのだった。

少なくとも畑に出ていた自分と東京に戻ってきた後の自分とでは、考えや物事の優先順位に明確な変化が生じている。それも自身の確かさを疑うレベルで。所変わるだけで、私は同じ様に息することが出来なくなってしまった。多少なりとも空気を読んでしまっている。

逆に言えば、環境を変えれば思考も変わるということでもある。思考を変える最も単純かつ効果的な手段は移動することだろう。旅をすることや、時折よその土地に住むこと。人生をかけて追求するモチーフが見つかったなら、思い切ってしばらく腰を据えてみるのも良いかもしれない。しかし、常にそこではないどこかを見つめること。無自覚に特定の空気を溜め込まぬこと。換気をすること。そういう時間の積み重ねがあって初めて、精神の純粋な発露に気がつけるようになるのではなかろうか。

爆裂的なスケジュールに忙殺される毎日も一段落した。流石にちり紙を使いすぎている気がしてきたのでまた首にタオルをかけて鼻をかんでいる。ビールの缶を集めて鋳造したり、菓子の包装紙を再生紙にするかはまだ分からない。ただ焼酎の紙パックくらいは今すぐ再生紙にしても良いかなと思う。より自分のペースで物々との関係を結び直して行けるなら東京を離れることも悪くないとも思っている。

どこにもインスタントな深淵はない。農は確かに貴重な体験であって、いつまでも心の奥底に澱のように沈殿しているだろう。が、答えがそこにあるわけではない。ただ、多動の果てに歩みが止まれば、そこに田園風景が広がっているような気もする。さっと稲穂をなぎ倒すような一陣の風を浴びている気もする。ヒバリと作戦会議しているし、赤とんぼと骨休めしていると思う。たまにはアニメとかも見ていると思う。だが、少なくともそこが業務スーパーではないことだけは分かる。というか業務スーパーで立ち往生して天井を仰ぎ見る世界線は流石にヤバイと思うし、どんな犠牲を払ってでも全力で避けたい。

8ヶ月間に渡り書き連ねたこの巌農記、「業スーENDは嫌だ」という締めくくりで良いのか甚だ疑問ではあるが、明白な収穫はその程度のものなのだ。こんなペースで果たしてどこまでたどり着けるのか全く分からないが、自分はこれからも動き回り、足掻き続ける。願わくばこんな風にまた右往左往している様をネットの海に放出する機会を望みながら――ひとまずは筆を置くとしよう。

ああ、このナプキンくらいは持って帰って再生紙にしようかな。2018年12月某日、暖かな冬の日の東京にて。


 

荒渡巌 Iwao Arawatari
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1986年東京育ち。2017年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。SNSのコミュニケーション空間やディスプレイに投影される画像がもたらす特殊な体験に傾注し、制作を行っている。サロン・ド・プランタン賞受賞。主な展示に「転生 / Transmigration 2015」Alang Alang House(ウブド)、「カオス*ラウンジpresents『怒りの日』」(いわき)などがある。若手芸術家による実験販売活動「カタルシスの岸辺」の店長でもある。2018年3月より長野県某所にて農業研修中。