1. もう誰も死んでほしくない
彼の写真に写る人間はみんな本当の意味で「生きている」。彼のステートメントも「まず踊れない人間はいないということを確認しておきます。」から始まる通り、彼がカメラを向けると被写体は踊らざるをえない。つまり彼は写真家でもあるが人の美しい瞬間を納めることができる演出家でもある。彼はいつも本当の事をあまり語ってくれないが東京から沖縄へ移り住み初の個展に向けて環境や心情の変化など様々な事を語ってくれた。
石田「完全犯罪のタイトルの由来としては「生きようよ」って話しなんだよ。みんな真面目に生きてて結構死んじゃったりするからそこまでいい子ちゃんを演じなくてもいいんじゃないかなって思いと、あとは可愛さが重要だなと思って。悪いものってみんな好きじゃん。今ポップな話題だとドナルド・トランプだよね。ヒラリーじゃなくてそっちの方を応援したくなっちゃうみたいな感じ。あまりダークにならない感じかつ可愛くてギリギリのラインが完全犯罪って単語だった!
個展を開こうと思った理由としては東京と沖縄の生活の違いもあるけど友達に死んでほしくないというのもあるんだよね。すごくピュアでポップなことを言うと人は生きているだけで価値があるじゃん。そこを信じたいというのがメインの部分なんだよね。ジブリ映画のキャッチコピーって時代を表しているなって思うんだよね。「生きろ」とか「あなたと生きようと思った」とか「生きねば」とか。 トトロとかナウシカの時代とは雰囲気が全然違うし、年収200万円の生き方みたいな本が出たり僕たちの時代ってバランスを間違えたら危ないギリギリのラインだと思うんだよね。真面目に働いて税金を払っても国は人生を保証してくれないし死ぬ一歩手前に来ている感覚があるんだよね。
これが僕の世界感の前提です。最近生きるの辛いよねみたいな。もう団結しようみたいなメッセージもなんか胡散臭いし、古いし、機能しないかなみたいな。 「生きよう」とかピュアなメッセージ出しにくいから照れ隠しとして「完全犯罪」というタイトルにしました。
こんな時代の状況で楽しく生きる術を生み出す元手すらないから最早未来の人達をごまかしたいみたいな。この人すげー人生楽しくいきてたんだなみたいな。Facebookで良いことをアップして演技するみたいな感じだよね。絶望を使ってごまかす新しいハックの時代のために写真をやっていますというのは多くの人に共感してもらえるんじゃないかなと思って。幸せに生きるの事と周りの人から「この人は幸せに生きているんだ」と思い込んでもらう事って俺の中ではそんなに差はないんだよね。むしろギャップの方がきつい、自分は幸せなんだけど周りの人からこの人は不幸せだと思われる方が嫌じゃない? 人生つらいけどごく稀に超楽しいことがあるじゃん、これを集めて写真として発表して、楽しい人生だったという誤解が世界を巡ったりするみたいな絶望のライド仕方もあるなと思って。」
2. 初のグループ展の絶望から個展に向けて
石田「2012年に『イケイケハッピーハッピー写真ニューイヤー』っていう展示をしたんですよ。その時僕はすごいポジティブでもっと写真の力を信じててピュアだった。写真という小さいマーケットがまたさらに小さい島となって島宇宙化している状況が問題点だと23歳の僕は思ったんだよね。だからもっとぐちゃぐちゃにしたい欲望があってネットで10人の写真家を探してグループ展をしたんだよね。
『イケイケハッピーハッピー写真ニューイヤー』はネットワークを意識して展示を作ってたんだよね。本当に渋家には影響を受けていて僕を語る上で外せないんだよね。バラバラの状態のマーケットを集めてアホみたいに宣伝して広報もして動画もつくったし、YAVAOに動画を作ってもらって、としくにさんに声を入れてもらって、曲も作ってもらって、さらに写真家とか出版社とかキュレーター100人に手書きで招待状書いたんだよね。
誰か一人くらい売れればいいだろうと思ってた。あとは写真にもいろんなシーンがあるんだけど日本にはシーンがなかったんだよね。椹木野衣風に言うと「歴史が積み上がらない悪い場所」みたいな感じなんだよ。だから僕はバラバラなものをくっつけて、シーンが存在しないんだけどシーンが存在するって嘘をついたら本当にシーンができるんじゃないかって思ってたんだよね。
でもやってみたら何も変わらなかった。仕事はこなかったしみんな活動も変わらなかったんだよね。残ったのは絶望感だけで2年くらい燃え尽き症候群みたいな状態になってしまったんだよね。渋家で一緒に暮らしている人にも心配されたし全然活動もしなくなってしまって、やさぐれてたのかな。でもそんな中でもずっと写真は撮ってたんだよね。人間ってやっぱり美しいから人の写真は撮っていきたいと思って。」
── そこからなぜ今回展示をしようという気持ちになったんですか?
石田「2013年くらいに小林健太と稲葉あみとZINE交換をしていて、それがすごく面白くてこれだけでも良いかなと思ってたけどもしかして認められないんじゃないかと思ったりもしていたんだよね。でも本当に展示が嫌いで! そもそも印刷が嫌いなんだよ、僕の作品はディスプレイやWEBで見てもらう状態が一番いいと思うから、そこから劣化させた上に印刷代がかかってしかも売れないみたいなのすごくだるい! そしてさらに空間作りみたいなことも入ってきて競わされるのが嫌だったんだよね。
で、なんでそこから展示をやりたくなったかというとここでまさに沖縄が入ってくるんだよ! 東京は人が多すぎて場所がないしギャラリーでやるにはお金がかかるしだからといって渋家でやるのもピンとこなかったんだよね。でも沖縄に来て前の展示か結構時間がたって気持ち的に回復してきたのと、沖縄は僕の事知らない人ばかりだし自己紹介も含めて展示をやりたいなと思ったんだよね。あとギャラリーシステムにのれませんっていうことはアウトサイダーに寄るっていう宣言でもあるから僕はこういう事をやっていくよという宣言として良い場所だと思ったんだよね。場所がある事は意外と大事だった。
あとはやっぱり太加丸かな。展示をやるBARRACKも太加丸が作っていて、彼は本当に場を作る演出力がすごくあって僕は彼が作る空間がすごく好きなんだよね。それで僕のやる気が出てきたという感じかな。
それに真面目になろうと思って! 結構ふざけている人と思われている気がしてて、もしかして正統派な写真の展示みたいなことやった方がいいのかなって。今回おもしろ要素はなくて、高さが130cmくらいで横幅が70cmくらいのでっかい写真が貼ってあるベーシックな写真展なんですよ。まさか初の個展を沖縄でやると思ってなかったな。」
3. 渋家、ナハウス、地元、そして「戻る」「帰る」ということ
石田「与太話なんだけど東京も地震とか起きていつまで持つかわからないなと思ってて、東京の機能が止まっちゃった時にいろんな場所がなくなるのは嫌だなと、みんな困ったら沖縄にこれるっていう安心感を持ってもらいたいというのはあるんだよね。うるさい街で働いて狭い家に帰ってくるみたいな生活からは抜け出せるから年1回来たらいいじゃんとは思う。それに僕は本当良いタイミングで沖縄来たと思う自分みたいな役職が求められてる状況だったというのもあるし、単純に沖縄とノリがあう。
東京は「今度飲もうよ」「会おうよ」って言って会わない人いっぱいいるけどツイッターは更新されるしよくわかなんなくなるよね。でもこっちだとフライヤーつくって配ってたら大学生の子が「何か手伝えることあったら言ってください」って言ってきて実際に会いに来てくれたりなんて沖縄の子たちはいい子で協力的なんだってちょっと感動しちゃったんだよね、人間性を取り戻せた。」
── 東京に戻ってくる予定はないんですか?
石田「東京には戻るよ! 今はhuezからお金が出てるんだよ、渋家枠で1枠借りてお金を払ってる。渋家枠の象徴的存在として俺がいるって感じです。沖縄にきた理由は東京に疲れていたっていうのもあるけど去年の10月にナハウスに行った時に人が足りなくて3月末で閉めるというのを聞いた時にナハウスが失われてしまうのはよくないし一度失われたら戻ってこないだろうなって思ったんだよね。ナハウスっていう場所が好きだから助けたいと思ってたんだけどお金もないしどうしようと思ってたらとしくにさんが「ゆうきは生活費だけ稼いで沖縄に1年行ってきな」って言ってくれたんだよね。そういう話が12月とか1月にあって今に至るって感じ!
あと、話は飛んじゃうんだけど太加丸がやってる『しらこがえり』っていう屋久島のプロジェクトがあって、屋久島の白川山っていう集落で暮らすプロジェクトでなんだけど電気ガス水道がない中で暮らすんだよ。1,2日目は抵抗があるけど3日目からは明らかに体の調子がよくなってすごく楽しかったんだよね。普通に都会で暮らしていると便秘よりか下痢よりになるんだけどパーフェクトがうんこがでてくるから! 体が超健康的で朝起きた時も体の疲れが全くないんだよ。
でもその経験を通して田舎の悪さと都会の悪さを知ってしまったし、都会も田舎も僕はどっちも嫌いなんだなって思った。すごいヒッピー的な発言になるけどああいう暮らしはとても良いんだけど現代に生きる僕としては東京の情報量、スピード感がないと耐えられないし飽きてしまうジレンマみたいなところにぶつかったのは結構大きかった。その結論としてどこにも住みたくない! 本当は超大自然と渋谷がどこでもドアで繋がっている生活がしたいんだけどそんなの不可能だしそんな場所ないから結局郊外の住宅地が良いってなるんだよね。それはその場所が僕の出身の場所であるからなんだよね。
でも人は帰ることができないんだよね。帰るってもっとポジティブな感じだと思うんだけど一応上京してきたっていうカテゴリーだからさ、地元に帰るって東京で失敗して戻るっていうイメージが強いんだよね。 バクマンとか読むと脱落するキャラクターはみんな実家に帰るんですよ。みんな帰ることができなくて戻るしかできなくなっていく状況っていうのに気づかされてしまったんだよね。映画でも今の現状に不満があって家を飛び出して冒険をしてまた自分の場所に戻ってきて自分の役割の大切さを思いだすみたいなのってあるじゃないですか、でもそれって古くて共感できない、だからなんらかの方法で帰ることを考える、それが太加丸はできていてさらに作品に取り込んでてすごいんだよね。僕の実家は神奈川の中三階級だからさ、帰りたくないっていうのがあるわけ。
これは年齢とか関係なくていくつになっても変わらなくて、何もなくて退屈というのもあるんだけど土地に対する愛みたいなのがないんだよね。それに対して東京は好きでもないけど故郷よりはましみたいな気持ちがあるんだよね。つまり俺たちは帰る場所を無くしているという状況なんだよ。沖縄の人って結構沖縄のことが好きで県民意識が強くてとても羨ましいなって思うんだよね。そういうピュアなものに出会うと気持ちがいいよね。」
4. これからのこと
石田「音楽とか演劇とか法律で禁止されていた時期があったりするじゃん。でも写真はレスリーキーが逮捕されたりとか篠山紀信が書類送検されたりくらいしか迫害されてないんだよ。本当は写真と犯罪は相性が良いというか程よいと思ってて、劇作家の岸井大輔と言う人がいるんだけど、岸井さんに「写真と演劇は似ているなって思うんですよ、岸井さん演劇やってて人を狂わせてしまったことってありますか」って聞いた事があるんだよね、そしたら「一人あるんだよね人格壊してしまった子がいて」って。僕は写真と演劇のあぶなさってそこが似ていると思うんだよ。
僕も8年間彼女を撮り続けていて、人に見せたい瞬間、見せたくない瞬間は当然あるけどそれを発表していて、犯罪的というか人生を切り売りしているわけだよ。写真ってステージを持ち運びできる演劇だと僕は思っててカメラを向けると人は影響を受けて演技をはじめてしまう、それを僕は撮るんだけど友人や彼女は了承してくれて僕と付き合ってくれているんだろうなって思うんだよ、だから怒られた事はないしみんな覚悟ができているんだなって思うんだよね。僕はそういう危なさがすごく好きなんだよね、だから写真をやっていたいと思うんだよね。僕みたいな写真家の人って大体ファッション系の写真やミュージシャンのPV撮る人になって写真から別のジャンルに逃げて行っちゃうんだよね。でも僕は残ろうかなと。みんな戻ってきたときにこういう写真シーンがまだ日本にあるよって言いたいというのもあるし、アラーキーとかの写真って血で濡れているというか身を削っているものだからそういう系譜みたいなものを次の世代に残していきたいし、写真家の地位向上していきたい。大きい事言うと夢としては小学生のなりたい夢ランキングTOP10に写真家がいることなんだよね、そのくらいポップなものにしていきたいなって思う。
写真って新しいプレイヤーって全然こないんだよね、音楽とかスポーツとかうらやましい。毎年新しい人が出てくるし写真より大きいマーケットで雑誌もちゃんとあるけど写真は80年代の終わりに全部潰れてて、一応写真雑誌コーナーもあるけどカメラを売るためだけの雑誌なんだよね、つまりここ20年作家を育ててない。昔は写真家を育てる責任感があったんだけどそういうのが今失われてしまっているからどうにかしたいなと思ってるって感じですね。完全に危機感と怒りですね、みんなもっと遊ぼうよみたいな。写真への恩返しですね。
僕はすごい飽きっぽいからまさか8年も続くと思ってなかったし、最初は映画監督になりたかったから写真なんて動かないし音ないし超地味でつまんないなって思ってたけど、写真の歴史をあさっていくと超面白いって思ってしまって。それに自分勝手で個人主義なところがあるんだよね、映画も演劇も集団芸じゃないですか、それは僕には向いてなかったかな。写真は一対一だし私とあなただったり少ないグルーヴ感で作品が作れるし、生感、プリミティブ感が好きなんだよね。本読みの時はよかったけど演出かけて体動かすと何か違うなみたいなのが写真だとないからそのまま撮れたものがだせるし作品とアーカイブが同じだからそれが効率良かったんだよね。最初の話に戻るけど生きるのって超大変で一人では生きていけないし作る時間がないけど写真だと一瞬で作品が作れるからいいなって思ったんだよね。超楽だし効率がいいので当面は写真をやっていく! でもいずれ演劇とか映画がやりたいなって気持ちもあるよ。
関係性と物語が好きなんだよね。写真は物語るにはちょっと情報量が少ないし単純な事しか伝えられないからそこの不満が溜まったら演劇や映画をやるのかも。」
5. 展示情報
石田祐規 個展「完全犯罪」
日時 : 2016年12月9日 – 12月12日 13:00 – 19:00
場所 : BARRACK (那覇市大道130森田ビル203) [安里駅より徒歩5分]
オープニングレセプション : 12月9日 19:00-21:00
※入場無料。初日のみ19時からのオープンとなります。駐車場はありませんので、公共交通機関のご利用か、有料駐車場での駐車をお願いいたします。また、ギャラリー周辺は住宅街のため、入場制限を行う場合がございます。健全なギャラリー運営のためご協力ください。
※BARRACKは、沖縄県那覇市にある共同制作空間、沖縄でできる新しいアートと生活のあり方、を考えるプロジェクトの一環でスペースを持ち、展示やイベント、仕事など様々なことを1から作っていく空間です。
石田祐規
1989年生まれ。多摩美術大学映像演劇学科中退。映画と演劇への興味から写真をスタート。友人、または友人になりたい人に親友を演じてもらい撮影するのが彼の手法だ。なぜなら、のちの人がそれらの写真群を見たときに「愉快な人生がそこにあった」と勘違いさせることを目標としているからだ。石田祐規は”テーマ”や”シリーズ”といった写真文法を使わない。そのため常時購入できる作品は無く、不定期に刊行される写真集をインターネットを通じて購入するしかない。彼は「騙すことが人生を誠実にさせる」とよく語る。見せる対象は超越的な何かでも無く、観客でもなくずっと未来の人間たちなのだ。
・書籍「Have a nice dream!」(Big bang press社) 2016年 出版
・「ピクチャーパーティ2」 (TAVギャラリー) 2014年 東京
・「The Tokyo Art Book Fair」2013年 東京 青山
・「イケイケハッピーハッピー写真ニューイヤー」(ターナーギャラリー)2012年 東京
Text : BUG-MAGAZINE編集部