2018年1月7日にアートコレクティブである「渋家」の11代目代表にiddi(Koichi Nasu)が就任した。渋家の代表って何をするのがお仕事なんだろう? 年間十数ものプロジェクトが生まれては消えていく場に身を置くということについて心境を伺った。そして現在渋家の運営に関わっている写真家・藤田直希を聞き手として招聘しました。「渋家を運営するというお仕事」について少しだけ詳しくなった。
渋家に来た話
──渋家に来た経緯を聞かせてください。
来た経緯に関しては、地元でHAREのアパレル店員をしていてめんどくさいチンピラみたいなやつに絡まれて、マウントされててほとんど、身動きが取れない状態まで洗脳されてコントロールされてる状態で、なんなら実家も帰れなくて、グレーな人の家に泊まってバイト行くみたいな生活を1ヶ月から2ヶ月くらい続いてて。「もうこれ、先見えないな」みたいな。「もう俺なんもやる気でないな。」みたいな。「この人とずっと生涯いる関係性になり得るな、このまま深く行っちゃうと」
──軟禁状態だったと。
軽く軟禁状態、そのせいで仕事もうまく行ってなくて。なんもよくねえな。じゃあちょっともういっぺんなんかこういう状態だしリセットして、一からやり直そうっていう気持ちを決意して、東京にビッキーっていう元渋家のメンバーがいて、彼に相談して、渋家ってとこがあるから、こっち来てやり直していいんじゃないの、一辺、みたいなって言ってくれて。で上京したのが去年の7月末。
──ビッキーのことについて当時の関係から聞いてもいいですか?
ビッキーに関しては僕が18の頃に出会った友達で、彼も岡山、僕も岡山出身で。たまたま向こうがクラブでナンパしてくれたのがきっかけで、すごい話があうなってなって、ビッキーがやってる、遊びに行こうとしてるイベントとか誘ってくれて一緒にいったりとか。ビッキーもその時からDJやってたから、DJやってる姿とか間近でみたりしてて。岡山のBAR LUNAとYEBISU YA PROってクラブによく行ってて、YEBISU YA PROにはKEITA SANOとかtofubeatsとかよく来てる箱で、それでtofuさんとかもすごい知ってて。
──けっこうクラブに行くようになって、ハウスミュージックを聴くようになった?
YEBISU YA PRO に行ってクラブの世界が変わったっていうか、ハウスへの知識がちょっと深まったかな。インターネットレーベルのこととかも、こっち来て知ったんだけど、自然に聴いてたっていう。hyper juice、SEKITOVA、okadada、seihoとかも、そこでDJプレイとかも見てて、かっこいいなーと思って。僕にとってYEBISU YA PROていうクラブは結構でかい。あとLUNAって言うクラブが主にHIP HOPメインでやってるイベントで、岡山のアンダーグラウンドなシーンのHIP HOPがわかるようなクラブで、すごいオーナーの人も気さくな方でよく遊びに行ってた。あとナインってクラブかな。ビッキーが上京して渋家に住んだのが1年前、18歳から22歳くらいまでそんな生活を続けてて、すげーなーみたいな。クラブに通いながら。
──いきなり渋家にきたよね。
そう。いきなり来た。
──前日にビッキーから「友人が岡山から来る、もしかしたら住むかも」という話があったのを覚えています。
そうだね、どうしても話したいことがあるんだって前日に連絡して、「もしかしたら俺東京行くかもしれない」と伝えて、当時HAREで働いていて、「正社員になったら東京行けるかもしれない」って言った。昇格すれば転勤とかもあるバイトだったから。次の日にすぐ東京来て、ビッキーに相談して、そのまま渋家紹介してもらって。
──俺が渋家代表代理やってたね。
ナオキがやってた頃だね、懐かしい。でもうその流れで、もうここしか無い!と思ったから、住む場所ここしか無いし(笑)。とりあえず物件を選んで家賃ちゃんと支払うってなると借金もすごいあったしもう見込めないなっておもって。4万円でこんなとこ住めんのかみたいな。人多いけど、なんだここはと思ったけどもう住むしか無い と思って。
【渋家代表変更のお知らせ】
2017年7月27日をもちまして、渋家代表であるKENTは休暇取得をいたします。
それをもちまして本日付けで藤田直希が渋家代表代理に就任いたしました。大変急なご連絡ですが、短筆にてご報告とさせていただきます。
— SHIBUHOUSE|渋家 (@shibuhouse) 2017年7月27日
──何だここはっていうのは?
なんかその次の日が 今もメンバーでいる今井桃子が個展とパーティーやる前日で、もう完全に桃子がパーティーやる空間が出来上がってて、壁面とか観たこと無いようなイラストとか文字とか写真とかが陳列してて情報量多すぎるし人も多いし。
次の日パーティーでみんなお酒ベロベロだし下でマン拓やってるし(笑)。みたいな これが渋家か、みたいな
俺うまくこっちで生きてけんのかなみたいな そういう不安しかなかったけど追い込まれてるしやるしかないなみたいな。グレーな人の件で岡山の先輩とかめっちゃ相談してて、めっちゃダサいとかめっちゃそういうことも言われたし、だからちゃんと成功しなきゃいけないと思った。
──もうその時には岡山に帰る、引き返せないなって気持ちで来たの?
迷ってたんだけど、今までこんなに追い込まれたことなくて、小中高ではまあまあかわいいものだっだけど、大人になってからは全然わからなくて、色んな人の意見は聴いてきたんだけど、全然自分が納得行く答えって出なくて、それはなんでかって言うと、信用度っていうか、ビッキーって存在は自分の中でデカかったから、変わったっていうか、あいつはもともとアパレルやってておしゃれだったし、僕もアパレルをやろうってきっかけになった友達でもあるし、今DJやってるのも少なからず多分あいつが色々クラブに連れて行ってくれたってのもあるし、僕の人生においてけっこうでかい存在だったから。だからそういう本当に信頼できる僕のこともわかってる人に相談したいってのがあったから、彼に相談して岡山に戻るか岡山戻ってちゃんとその人とケリつけるか、東京でやり直すかどっちにしようかってのを彼に委ねたら東京で生活してもいいんじゃないって言ってくれたから。それで俺もわかったって、もう東京いるわって。その瞬間に変わった。
──それは坊主になった時?
あーまーそれはある(笑)。 それは覚悟してあったかな。イメチェンして髪型も変えて。全部リセット。
──すぐしたよね。
上京してすぐ、パーティー終わって次の日くらい。3日目? しかも結構高いとこ行ったんだよね。アパレルやってたときの思考が強くて、金かけてでも自分のおしゃれに対して追求してやるっていうのどっかであって。だからどんだけ金払っても髪型とか洋服とかつぎ込むっていう。
──お金払って坊主にしたの?
金払って坊主にしたよ、1万円くらいしたよたしか(笑)。
しかもブルーブラックっていうネイビーっぽい黒に染めた。
何していいか分かんなくてとりあえずまぁなんか東京っていう場所も分かんないから渋家周辺の土地勘とかある程度わかりたくて代官山とかとりあえず原宿とか表参道とかほぼ毎日のようにただただ散歩して、ちょっとカフェ入ってお茶するっていう毎日を一週間ぐらい続けながらアルバイト探してた。その一つがこの桜丘カフェ。今ここでインタビューしてるんだけど、まあ落ちちゃったんだけど。
かれこれして僕の分岐点である渋谷のvisionていうクラブがあって、すぐ決まっちゃって、次の日バイト入れる?みたいな感じできたから全然大丈夫です! みたいな。
anthemとzooの間にvisionに入って。これが東京のクラブシーンなんだって言うのを肌で感じられた。2,3回くらい出勤したあと、渋家でKENT主催のZOOがあって。12時間ぶっ続けでしかも2日間あって、すごいフェス感あるんだけどずっとクラブっぽいし、衝撃的で。こんなに家に人来るんだってくらいパンパンで、お客さんはもちろんDJがすごい楽しそうにしてて、音楽の渋家のパーティーってこんななんだって感じられた。より音楽のことが自分の中で好きになれたパーティーだった。
──印象に残ったアクトは?
Kane WestとDAY2のall b2bかな。演者以外のお客さんとかも7,8人でDJやってて、めっちゃ雑なのにいいグルーヴが出てて。
──いいな。Kane West は入場規制で入れなかった。
その時、僕エントランスやってたんだけど、メンバーの子が代わってくれて、ピークタイムのときだけ見れた、タイミング良かった。あんときは手伝ったな。
──iddi、visionやってるしエントランスやって!みたいなノリあったね、じゃあいいじゃんみたいな。visionの店員だーみたいな。zooのときにPAのセッティングとかも教えてもらったな。
すごい渋家が活発な時期だったね。
──8月下旬くらいはね 8/25,8/26か「zoo」は。来てちょうど一ヶ月だったんだね。
小林健太の個展「自動車昆虫論」もいったね
──最終日滑り込みで。
あ、あったねー。バイト探してた頃だ。
──岡山にいた時代はアート見たりはしていた?
岡山の前の友達でアート興味もってるやつとかいなかった。アートに対して理解もないし、文脈もそんなにない。やってたにはやってたけど、ハイカルチャーすぎて、僕らがいうユースカルチャーって呼ばれる世代の人たちが関心をこっちのひとほどもってない。岡山って排他的で、クラブも、こっちだと「クラブか〜楽しそうだ」ってイメージが強いけど岡山って「怖い」って人がおおくて、ナンパされるんじゃない?とかマリファナとかドラッグキメてるやつ多いんじゃない?みたいな。あってる部分はあるけどその側面が強すぎて、クラブシーンも、行ってもいつも同じ演者でいっつも同じお客さんがいるみたいな。たまに新しい人いるけどいてもポツポツみたいな。
──循環してなかった?
循環してない。それが楽しいとこもあったんだけど、新鮮さはないよね。刺激はこっちほどないよね。
そういう意味では、コバケンの展示は、あっ、こういうのだね、アートはってすごいって、興味持つようになって、最近特に展示とかも行くようになった。
──コンセプチュアルアートについてはどう思う?
こういう考え方があるんだって気づかせてくれたのが大きいかな。意見も僕の地元は偏ってるっていうか、やることもないし。東京ほど入り組んでる、情報量がおおくないから、やることってみんな限られてて。基本みんな車買って、20前半か半ばくらいでそろそろ結婚でしょみたいな。僕も女子とかにおまえ車買わないのとかすごい言われてたし。前18-20歳のときケータイショップの店員やってて、そろそろ車買わないの?みたいな。いるっしょみたいな。結構しんどくない? まあ我慢すれば全然行けるレベルっすねみたいな会話をよくしてた。
──自動車昆虫論に即して言えば自動車の必要性って地方の方があるし、東京だと車買わないの?みたいなノリってそんなないし、地方の方が一家に何台も持ったり密接だよね。
そうだね、自動車に関して言えば特に。持ってないとほうがむしろあ、持ってないんだみたいなぐらいの感じ。自分の車一台あって当たり前で安い車もいい車でも持っとく。絶対お前興味ないやろみたいなやつも車の話してたり。
──iddiも車自体好きだよね
俺もともと興味なかったもん全然。興味なかったけどそういう人たちの話を聴いたり実際買っちゃってたから好きになっちゃってた。
──車は何持ってたの
赤のマツダデミオ。超ダサかった。
──渋家の赤のラパンみたいな?
そうそれ!ラパンみたいな赤。
わけわかんない状態で渋家に来た
──iddiが来たタイミングはシブハウスの流れ的にはちょうどよかったのかな?
桃子パーティー→コバケンの展示→anthem→zooあって。来たときはネガティブな気持ちが強かった、あんなことがあったから。
あ、もう俺人生終わったなって思ったくらい。結構なんだかんだ今までいい感じに来てたから、良くしてもらってたから色んな人に。色んな人が夢を見せてくれたから、今でも渋家が好きだけどね。喜びとかをみんなと分かち合いたいって僕が代表になって思ってる。絶望してた自分を救ってくれたコミュニティだから、渋家が。こういうバックボーンがあったし。
──夢いっぱいで渋家に来たKENTと違ってまじでわけわかんない状態から来たのがiddi
まじでわけわかんない状態だったのが俺、KENTと真逆だよねそういうとこで言うと。夢があるっていうか追い込まれて来たから。
──しかもKENTは来た当時はめちゃめちゃ若かったし、もういきなりパーティーやってよみたいな。最初から買われてやってきたけど、iddiは若いって言っても若くは無いよね、23って。同い年だったら大学卒業してたり就職してたり、フリーターでもなんかしらものになってくる頃というか。iddiはそれで言うとファッションとか音楽センスとかを磨いてきたのかな?
洋服はやっぱり触れてきた時間は長いかな。特に21でアパレルやってからは自分の中で転機だったかな。価値観が広がったかな、いろんな先輩の話とか洋服の話とか聞いてて。僕が働いてたブランド自体って結構距離感が近くて、デザイナーの人とかもたまに来てくれて、岡山なのに東京からわざわざ。でそういう話しとか聞いててくれたりするから、すごい楽しかった。
親友との別れ
──2017年9月から今までを簡単に時系列に話してよ。
9月はvisionのバイトにがっつり入ってただただこなしてたかな。東京の、visionっていうと渋谷の中でもメインストリームの音楽、特にhip hopが強い箱だったからそういう雰囲気とかお客さんの感じとかわかったかな。
色んなジャンルやってるし。そこでこういうパーティーだったらこんなお客さん来るとか、こういうふうな流れなんだなとか音楽の内容はつかめたかな。
9月末、親友のビッキーが人の衣類を盗んでそれを売っていた事件が発覚した。発覚当日は朝まで話して僕もその場所に立ち会っていた。俺が今まで信用してた友達だったのに、一番ってくらい重要な友達がやってたっていうのがすごいショックだったし、受け止められなかった。次の日泣いてたから普通に。
そっから彼は渋家を追放されて、その問題を解決するために10月は時間を費やしてた。もう笑いにしないとやっていけなくてビッキーのブラックジョークをみんな言うタイミングがあってビッキーが酔いつぶれた時に言う口癖が痛いの事を「イデェ」て言うんだよね(笑)そこからiddi(イディー)て名前が爆誕した。
──慕ってきた親友を失って、岡山に帰ろうとかは思わなかった?
思わなかったかな。しんどいし辛いし、ここまで来て帰る、自分ちゃんとやりたいことでお金もらえて、自分が売れるようにならないと合わせる顔ないなって思ったから、岡山のみんなに。
バイトもそのタイミングで忙しくてハロウィンの前だったからそのパーティとかイベント入ってて、色々重なってて、そのせいか仕事もうまく行ってなかった。ビッキーのことで時間取れなくて睡眠とかもちゃんとできてなくて、しょーもないミスしたりとか。整列できなくて帰されたりとか。
zooのあとくらいからイベントやりたいってKENTに話してて、それを汲み取ってくれて俺と直希でbaticaのイベント、Free waveでDJ初めて回した。もうピッチもミックスも全然駄目で見せれるのかっていう。
KENT、kagさん(HEARTLAND主催)、みっくんとか渋家のDJみんなに教えてもらってた。ダメダメだったけど頑張りたい!みたいなこと言ってた。11月末くらいまでvisionで働いてた。この頃から、よりハウスミュージック聴くようになって、KAYTRANADAのboiler roomのDJセットめちゃめちゃ聴いてた。憧れてた。the Internetの頃から知ってたけどboiler roomのセットは聴いたことなくて、youtubeでたまたま見た時、僕のやりたいことにどツボで、ハウスとヒップホップ合わせてく感じ。
──leadというイベントを作ってたのも10月から11月くらいから?
そうだね、10月から動いてて。ビッキーがいた頃から、パーティーiddiやりたいよねみたいな、おしゃれなアパレル関係の人来てくれるようなhip hopパーティやりたいねみたいな。
12月はYAVAOのショッキング、HEARTLAND、恵比寿baticaのKENTが誘ってくれたハウスのパーティーで、ハウスでDJやるの楽しいなって思って、ハウスでミックスうまいことやろうかなって。
HEARTLANDも楽しかったかな。CIRCUS TOKYOのmaltine年越しは印象的だったな。circus年越しはもーわかりません。みんな酔ってたし僕もそんな覚えてない。ただ楽しかった、馬鹿騒ぎした。
年末全然渋家に人いなかったね(笑)
そして1月iddi代表就任
2018年1月7日、渋家全体会議でKENT代表が終了、11代目代表にiddiが就任。
──全体会議はiddiは全部参加してた?
全部参加してた。
KENTはビッキーが去って以降、元気ない状態がずっと続いていて、ハウスにいないことも多くて。渋家は新しいゲストも来てないし、基本住民しかいない状態が続いてた。排他的な空間になっていた。
なんかしないといけないなってずっと感じてて「じゃあiddiが代表ね」みたいのをちょうど会議の前日夜くらいにメンバーの木下太郎とかと盛り上がってて、その勢いで僕が代表になる!っていうのを会議中に言ったら、OKだってみんなに言ってもらえて。会議は祭りになって、みんなで朝まで酒を飲んだ。渋家にいるのにすごい非日常な空間だった。
──メンバー募集動画について一言。
渋家メンバー全員で意見を出しあって時間かけて作った映像作品です。
ご興味ある方は一度渋家に遊びに来てください。
ぜひお待ちしております。
👉 2018年 渋家 -SHIBUHOUSE- 新メンバー募集動画 👈
──どちらに連絡したらいいですか?
shibuhouseinfo@gmail.com までご連絡いただければ対応いたします。
渋家の代表になるということ
なにか変えたいって気持ちがずっとどっかにあって、僕が木下太郎とか岡田さん(渋家の取り扱いギャラリーの代表)と話したときに、渋家代表にならないと自分のやりたいことは実現できないんじゃないかと、今のままの状態だと。よっぽどコミュニケーション能力高くてみんなを率先する力があればいいけどそんな力はどっちかって言うとなくて、一歩引いてみんなをサポートするタイプだから僕は。でも代表になればみんな自分のことに関心を持つし、変わると思うよって言われたときに渋家代表やってみようかって気持ちになったんだよね。
──ハウス内でのポジションは?
ビッキー追放事件まではシブハウスのメンバーとして所属していた感じがすごいあった。事件後はトラブルシューティングだっだり、何かあったときの対応、誰もやりたくないけどやらなきゃいけないことを自分に求めている感覚が強くて。
──世代交代について KENTが代表になって世代交代したけれど世代交代したあとは知らないし、渋家株式会社との関わりもあまりないポジションだよね。これからは完全に新しいメンバーで新しい運営チームを組んだわけだけれど、これからの渋家の中心はどうなっていくか。
KENTが代表を終えたあとの状況って、世代交代は完璧にして、こっから、もっと新しいこと、価値を生み出せることをみんなが率先してやれればいいなって。今までの、リーダーの人が率先して何かしようっていうのに対して渋家のメンバーがついていってコミットするっていう感じの、リーダーシップ型のコミュニティで、僕も代表やってから渋家をそういうふうにしなくちゃいけないと思ってたけど、できないなっていう、僕じゃ、僕の性格にもあってないなと。各々が率先してやれる、いい意味でも悪い意味でもみんながリーダーやればいいと思う。
──代表制度も変えたい?
代表っていう形はいいと思う、でも僕が代表でやる渋家は各々が率先してやれるようにやれるように、居心地よくさせて、やりたいことしてもらって、サポートしますよっていう。ぼくが、率先してやるんじゃなくて、運営に関しても、最初は前者のようなリーダー像を求めていたって感じはすごいあったから、強い意見をもってみんな従えてちゃんと発言しないと、声でかいやつが渋家では勝つからだめなんだよ、とか、何もできてないじゃんお前、とかすごい言われてたけど、今も言われることもあるけど、わかってもらえるように頑張る。
それに僕は不器用だから何もできないってわかってる、からこそのそういう形。
──たとえば渋家にはこういう議論があって。アーティスト、クリエイター、ディレクターの三角形
ワーカーは家、生活環境が
アーティストは公園、色んな人がいて活発な議論が起こる場、カオスが
クリエイターはレジデンス、作業場、静寂が、親和性があって
家の方向性を決めるのがディレクター
家の空間を司るのがニート
ケントはレジデンス寄りだったけど、iddiはどうなんだろう?
僕はアーティスト志向なのかもしれない、感情でしか物事に動けないタイプだから。
──ディレクター、代表っていうのは家の方向性を決める側面があるから、
例えば家になにがあるかとかリビングの配置とかでも家の性質とか空間ってかなり変わるから
iddiが行きたい方向はどっちなのかなって。公園は24時間あいてて誰でも入れて、
拒絶をしないじゃんiddiって。だからiddiが代表になった途端開放的な空気になってカオスが生まれた。規律とかルールを作ろうとはしないよね。
自由にやっていいよって思うし、僕自身生活上ヤバいやつと関わってきたことが多すぎたから、よっぽどのことがないと言わないっていうか。放任ってわけじゃないよ、見てるし、言及するところは言及する。
──改めて新しいメンバーや新しいチームに求めること。
みんなが何かをしたいってことは僕が空間を作ってできるだけサポートしてやりたい。
──ワナビーでもいい?
何かやりたいって言う気持ちを大事にしたいし、イメージを共有したい。
──具体的にはどうサポートする?
パーティーをやる。
音楽だけじゃなく、展示もやるしなんでもやる。クヌギも展示空間作れるし。
──渋家分離派にも対抗して6月に家全体で展示したいね。
やってほしい!全体会議で話そう。
(注※渋家分離派 : 2018年2月に発足した展示を主体とした渋家の分派チーム)
──iddiのコンセプトに必要なのがこの企画だと思う。メンバー全員が参加して作るってこと。
そのハードルが高いって言われるんだけど、それでもやることに意味があると思う。新しいことをやらないと。
10周年だし!
<プロフィール>
iddi
1994年生まれ。岡山県倉敷市出身。
高校卒業後、アパレル店員(HARE)として勤務。
2017年7月上京し、渋家に入居。
8月よりSOUND MUSEUM VISIONに勤務、11月からiddiとして音楽活動を始める。
2018年1月7日、渋家11代目代表に就任。
2月24日、渋家にてパーティー「Lead」主催。
聞き手・写真:藤田直希
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