東京オルタナティブ百景

第三景
東京都新宿区四谷
四谷未確認スタジオ

 

 丸ノ内線・四谷三丁目駅の地上出口に降り立って、十字路を迷ってから新宿通りをまっすぐに進むと、向こうには新宿御苑の鬱蒼たる木々のてっぺんからエンパイアステートビルみたいな塔が頭を覗かせている。道を折れると、大通りの喧騒から一転、意外にも静かな住宅街が広がっていた。路地は狭く、どこか懐かしい感じのする古びたアパートなんかがひっそりと建っている。この暑さで紫陽花もすっかり枯れ色だ。

「四谷未確認スタジオ」外観 Photo : Mai Shinoda
Photo : Mai Shinoda

 すると突然、道中に町場の銭湯が現れた。営業はしていないようだが、寺社のような屋根を冠した堂々たる宮造り建築。なぜか左右にシンメトリーでコインランドリーがある。暖簾をくぐるとコの字型の上り框、大きな木製の下駄箱に木札の鍵が刺さっていて、番頭台を中央に、磨りガラスには男湯、女湯の文字。大浴場には剥がれかけた巨大な富士山のペンキ絵が描かれ、淡い色合いのタイル地にくすんだ蛇口が並ぶ。どこからどう見ても典型的な銭湯だ、テレピン・オイルの匂いが漂い、そこここにキャンバスや木枠、絵の具のチューブが転がっていること以外は。


Photo : Mai Shinoda

 「この銭湯は廃業して三年くらいになります。都内でアクセスが良く、広くて自由がある場所という条件に、完全に一致したんです。」

 東京藝術大学油画科の大学院に通う黒坂祐が今年6月に立ち上げたのが、ここ「四谷未確認スタジオ」である。学部生の頃から三ノ輪にあったカフェギャラリー「undō(運動/ウンドウ)」に出入りしたり、築地で「参加」という名のスペースを運営したりしてきた黒坂が主導して、企画書を練って作った「自分たちの場所」だという。

黒坂祐 Photo : Mai Shinoda

 ギャラリーでもスペースでもなく「スタジオ」というネーミングなのは、5人いるメンバーの制作場所であることがあくまで第一優先だから。黒坂、都築拓磨、多田恋一朗、八木恵梨、中川元晴からなるメンバーは皆、東京芸大の油画科を卒業したり在籍したりしている新進気鋭の若手ペインターたちだ。黒坂は「アートコレクティブではありません。場所としての機能は僕が担っていて、月例会ではその月の運営に関する念書にサインをしてもらってます」と笑う。

 そんな黒坂は、このスタジオを「オルタナティブ・スペースではない、というコンセプトで動いている」と慎重に説明する。「オルタナティブな活動や場所を否定する気は全くないし、僕自身、そういったところからアーティストの生き方とか制作の態度、姿勢を学んできました。恩返しと言うと大げさですが、僕なりにそれらを更新したいんです。」

 たしかに昨今、オルタナティブ・スペースはまた小さなムーヴメントを起こしつつある。東東京エリアの活況はこの連載でも紹介してきた通りだし、もっと地方、例えば沖縄・那覇の「BARRAK」で開かれた大規模なアンデパンダン展は記憶に新しい。ただ、「オルタナティブという言葉の元々の意味を考えると、あまりポジティブではない気がして。美術館やコマーシャルギャラリーといったいわゆる“高級”なものに対する皮肉っぽい言葉使いなのではないか。それぞれできることが違う、狙いもビジョンも全く別の場所なのに、お互いに牽制し合ってるように感じます。僕には、それらを融合させたい気持ちがあるんです」と黒坂は目論む。


Photo : Mai Shinoda

 では、このスタジオは一体どういった枠組みになるのだろうか。「新しい呼び方が付くといいのですが」と前置きしつつ、黒坂は「これは最近思いついたんですが、参照すべきは“銀座”なのではないか。銀座の画廊みたいな世界が、日本のハイアートと言われる部分なんじゃないかと思ったんです」と意外にも語ってくれた。たしかに銀座という土地は、日本の美術史において重要な役割を担ってきた。とはいえ、いまや旧態依然・古色蒼然としている感は否めない。「もちろん今の銀座の画廊界隈は時が止まっているので腐敗のイメージが強いのですが、当初の銀座の目的は、これこそ日本のハイアートだというものを集合させることだったと思うんです。だからお金持ちのパトロンも集めたし、そこで展示する作家も増えた。実際に作家が自由に制作して、それがパトロネーゼされてお金が回っているという関係自体は、海外と比較しても遜色のない、割と健全なシステムなんじゃないでしょうか。その仕組みをごっそりもらいつつ、行政や公的資金に依存せずに、ここ四谷で美術史を更新していきたいんです。」

 なるほど、銀座的な制度を援用して自律的に経済を回す。それは若い作家たちが制作を続け、スペースを継続していく上で必要不可欠なことに違いない。そのため制作場所のみならず、二つのギャラリースペース、さらにクローズドなサロンスペースも設置する予定だという。「展示で入場料を取ることと、既存のコレクターとは違うニューコレクターを作ること、これは企画の段階からずっと言ってきたことなんです」と黒坂は意気込む。

Photo : Mai Shinoda

 ただ、このように意欲的な活動を試みる黒坂には、自身も含めたスタジオメンバーの出自である東京芸大、特に油画科に対する、葛藤にも似た両義的な思いがあるようだ。「作家をゆっくり育てるという教育方針が浸透しているのもあって、芸大はやっぱり温室なところがあります。デビュー先も芸大とずっと癒着的に仲良くしてきた画廊やギャラリー。だからに出ないままずっとでやれてしまう。それを一回、天日干しにさらしたいんです」と黒坂は訥々と話す。「油画科であれば、当然みんな絵を描く。そこで僕が限界として感じているのは、画家という今機能しづらいくくりが出来てしまうことです。芸大生が思ってるのは、外で行われているのはどうやら現代アートらしい。我々はそこに入っていっていいのだろうか?です。僕は絵に対してドライだから外部のコミュニティに出られたんですが、下手に絵が上手かったり、賞をもらったり顧客が付いたりすると、そこから出られなくなってしまう。」

 「外に出た時、芸大生って一転してアウェーなんです」と自嘲気味に笑いながらも、同時に芸大のポテンシャルは生かしていきたいとも黒坂は述べる。「美大受験だって、たしかに暴力的な試験内容ではありますが、大学に入るまでの下積みと思えば何もおかしくないし、そこで勝ち得たものだったら遠慮せずに使っていきたい。この前開催したスタジオのプレオープンイベントには670人の芸大生が来てくれたのですが、年齢層がかなり若くて、みんなとても喜んでいたのが意外でした。その時に手応えを感じたように、外に出たい芸大生は確実にたくさんいます。だからここはホームにしていい外部の場所になれるといいですね。」

Photo : Mai Shinoda

  それゆえにこそ、メンバーには「色んな表現手法がある中で、絵を意識的に選んでる人たち」を集めているという。「絵を描くということが場所を扱うということにも変換されてほしい。コンセプトを立てて展覧会を開く場合は、絵画展ではなくて絶対にインスタレーションになると思うんです。ここは銭湯という場所性が強いので、そういったことを強制的に考えられるスペースになる。アートフォビア的になってしまっているペインターたちを引っ張ってきて批評の目に当てることで、ペインターの意識を変えたい」と黒坂は熱っぽく語った。「絵画で、ハイアートかつ現代美術として主張できるものをここで提示できたらな。絵画を中心とした同世代の運動を作りたいし、紹介したいですね。」

 黒坂の個展をこけら落としに、今年いっぱいは企画が詰まっているという。黒坂が薪をくべた湯に浸かった絵画たちは、果たしてどのような熱き相貌を見せるのだろう。インタビューを終えて天を仰ぐと、高い天井からは温かな自然光が注いでいた。

Photo : Mai Shinoda

黒坂 祐  個展
会期:2018 729日(日) ~  819日(日)
会場:四谷未確認スタジオ
https://mikakuninstudio.tumblr.com/exhibition

 

<著者プロフィール>

(c)Taro Inami

中島 晴矢(なかじま はるや)
Artist / Rapper / Writer
1989年生まれ。主な個展に「麻布逍遥」(SNOW Contemporary)、グループ展に「ニュー・フラット・フィールド」(NEWTOWN)「ground under」(SEZON ART GALLERY)、アルバムにStag Beat「From Insect Cage」など。
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