渋都市株式会社社長・松島やすこ

7月10日にプレスリリースが届いた。メールの件名は「渋家株式会社が社名変更 『渋都市株式会社』へ」。ついにこの日が来たか、と思った。2008年の創設から10年。きっと彼らは2028年の20周年とさらにその先を視野にいれているのだろう。だからコミュニティを維持する概念を「家」から「都市」に変えた。彼らのこれからを知る上で誰に話を訊いたらいいだろう? 私は自然と、新社長に就任した松島やすこ氏に興味をそそられた。ウェブ上では ”ギャルでラッパーで社長” と称されている。

 

1 渋都市 (シブシティー) へ変身 (トランスフォーム) した理由 (わけ)

 

──今回、渋家株式会社から渋都市株式会社に社名変更したということでタイミングを伺っておりました。本日はよろしくお願いします。まず、7月10日に社名変更をリリースされましたけれど、変更した理由ってなんだったんですか?

社名変更の理由は、いままで渋家っていう名前を掲げてやってきたわけだけど、創業時のスタッフのほとんどが渋家の出身だったからこの名前を使っていて、最初は渋家というのがアート業界とかでちょっと知名度があったからそこに対して面白がってくれたり、お仕事をくれたりする人が多かったんです。でも今のタイミングになってみると、うちにいるメンバーは渋家の古参となるメンバーが多く、もう渋家の運営に関わっている人がいなくなってしまったというのがあって、いわゆる世代交代が行われた状態です。だから私たちが渋家の名前を使い続けることはお互いに動きにくいよねってことで名前を変えて、渋家のほうは新世代の人たちに譲り、我々は我々で「渋家出身だぞ」というマインドを忘れないながらも頑張っていきましょうということで「渋都市」となりました。

渋都市 (シブシティー) って名前は、もともと渋家 (シブハウス) って銀行に書類を出すときに読みにくいからいつも「しぶいえ様」とか「しぶや様」って呼ばれることが多いのね。それは慣れてたんだけど、係の人が何を勘違いしたのか一回うちらのことを「シブタウン様」って呼んだことがあったの (笑) 。だから、新社名を何にする? って話になったときに渋谷でやってるよというアイデンティティは残したいよねって話をしたのもあって、最初はギャグっぽい感じで、「渋◯◯」にしようみたいな着想があって、それが渋タウンなのか、何なのか分からないけど、家よりも大きな概念を取り扱おうということで「渋都市株式会社」に決まりました。

 

──家から都市に変わることで、大きく拡張されるものとはなんでしょうか?

名前がこうなったことはウチら的にはしっくりくるな~という感じがしていて、家という小さいところから始まった、本当にマンションの一室から始まった渋家がどんどん大きくなって一軒家になって、そこから会社になって、今その会社もどんどん拡張している状態にあるから、そこに関わっている人の数とかも増えているし、人の種類も増えていると思っていて。私が出会った頃の渋家は美術系の人もいたし、DJとか音楽系の人もいたし、エンジニアの人もいたし、今だとVRやっているような人もいるし、ファッションの人もいるしって感じでいろんなカルチャー要素がギュっとなってる感じだと思うんだけど、それがさらに会社になってくると、たとえば、いわゆる大企業みたいな人とか、取引があるだけだけど銀行とか、自治体なども付き合いがある分、コミュニティに入れることができるのかなって思っていて。今後いろんな人との輪を広げていくとか、付き合いを深めていくなかで、ウチらのコミュニティに介入してきてくれる人たちっていうのがどんどん増えていくといいなと思っているし、ウチらがウチらなりにカテゴライズしてうまくお付き合いをしていけるためのハブになったらいいなと思って。そういう意味で、家から都市に変わったのは意義があるなと思っています。

 

──なるほど。今、社内ってどんな感じですか? たとえば、どんな人が何時に来るとか。

今はですね、定時が13時スタートで、人によってはもっと早く来ている人もいるし、それより遅く来る人もいるんだけど、だいたい夜の22時までやっている感じかなと。現場とかいわゆるhuezクルーの人たちはライブ現場があるときは変則的になったりするんだけど。会社自体はライブ現場にいってもらう人たちと、文化事業部って私たちが呼んでいるバックヤード的な業務もしつつ、会社が打ち出していきたいメッセージだったりとか、もともとカルチャー寄りのところからスタートしてるのもあってそこに対してのアプローチを考える部署があります。私はどちらかというと文化事業部の人たちと仕事をすることが多いです。なので、出勤したらhuezの人たちは演出の仕事やブレストをしたりしつつ、その傍らで文化事業部は細々した作業をやりつつ、自分たちのメッセージ的なのを作ったりしています。

インタビュー中も連絡に対応していて大変そうだ

 

2 渋家株式会社との出会い

 

──渋家とはどのようにして出会ったのですか?

もともと演劇をやってて、中学三年生から継続していて、本当は大学を卒業したら辞めようと思っていました。編集者みたいな仕事に就きたかったのね。でも、演劇をやりすぎて、それがダメで、気づいたら面接が受けれない状況になってた。いつのまにかWebの仕事に就いてしまい、Webの仕事も忙しかったから充実はしてたんだけど、やりたいことと少し違っていたから、「プロになるためにそのまま就職しないで、演劇を続けていた人たち」が羨ましくなっちゃって。一番仲良くしてた人が、商業系の大きな舞台の演出をやることになって、身近だった話題というのもあって羨ましくって辛くなってきちゃって……。このままだと演劇ができないことによって病む! と思って、演劇をそのまま続けるために社会人劇団に入ったのね。

仲よかった先輩に紹介してもらって、村岡さんの劇団に入ったの。村岡さん自体はそのときが旗揚げ公演で、村岡さんはもともとtomadのおっかけだったから、「俺は渋家の場所を突き止めた。tomadに会いに行くんだ」みたいな感じで、彼は大学で活動していた時期からなぜかMaltineのビラを個人的に作って大学中にバラまくみたいな奇行をしていたらしいのね。それで、村岡さんは、渋家にも出入りしていて、そして村岡さんが演劇の座組みに渋家の人を誘って、それがとしくにさんだったんだけど、その時はとしくにさんの昔の悪評みたいなの聞いてたから、それで一回渋家に遊びにいかせてもらったの。そこで初めて渋家の人と出会ったって感じ。それが2012年かな。クヌギでの音楽イベントのとき。そしたらゴスピか誰かが上裸で踊ってて、それでびっくりしちゃって。この人たちは危ないって思って、近づかないようにしておこうってなったのが2012年だった。

 

──最初に会ったのがとしくにさん?

そう、としくにさん。としくにさんって昔、私の仲良くしてた劇団の公演を、普通にお金を持ち逃げして飛んだことがあったの。それで「山口としくにって奴には近づくな」っていうのが在学中から言われていたんだけど (笑) 。その人がいまはどうやらシブハウスってところで頑張っているらしいという話で。そのあと2013年に、村岡さんのお芝居に、としくにさんとヤバはスタッフで入ってくることになるんだけど。

 

──それはレーザー関係で?

ううん、舞台監督から照明音響まですべてやってもらった。ゆうきくんも撮影に来てくれた。それで芝居自体の座組みがキュっとして、劇団としてはいい芝居だったからってのもあって、としくにさんは更生してちゃんと仕事をしている人なんだって、周りの人も私も認識が新たになって、そこから仲良くなったって感じかな。

 

──当時はすでに「huez」って名乗っていた?

huezは2011年に立ち上げをしていると聞いていて、2013年の暮れくらいに一回ヤバに誘ってもらって行ったイベントがあったんだけど。そのときは普通にVJとしてhuezが入っていて、ヤバ彩藤くんがやっていた記憶がある。VJユニットとして活動していた。

 

──なるほど。huezは最初はレーザーではなく、VJユニットだったんですね。

それからヤバがちょくちょく修行でビーナスレーザーのバイトに行ったりしていたのは見ていた。

 

──そこから仕事として関わるようになったきっかけはなんですか?

きっかけは、2013年に、としくにさんと一緒にお芝居をやったりとか関係値があって、そこから2013年末ぐらいに私がヤバと付き合い初めて、割ととしくにさんとか渋家の動きっていうのは聞いて知ってはいたんだけど、2015年になってからhuezを中心に「ライブでなんか面白いことやって」みたいな感じのオーダーが、OL Killerとか神聖かまってちゃんとかから来るようになっていたから、個人事業じゃない仕事みたいな感じにしていきたいと言い出しているのを横で見ていた感じ。それで、事務所をコローレさんと一緒に借りるんだ、みたいなのを聞いて。以前、ブログにも書いたんだけど4月ぐらいだったかな。割とちょこちょこ大きな仕事を受けているのを見ていたんだけど、ゴールデンウィークにヤバと一緒に遊びに行ったときに「お金がない」って言ってて。なんでお金ないの? って聞いたら「請求書を出せない」って言ってて。

 

──出せない?

忙しくて出す暇がないとか、期限までに出せなかったりとかでとにかくお金がないって。これはまずいなと思って、事務所に遊びに行ったのね。そしたら今一緒に役員やってるYAMAGEもちょうど手伝いみたいな感じでジョインしたところで、見ている感じだと一番最初のときだから人が少なかったし、渋家にいる子たちを使って、としくにさんとヤバが一生懸命現場を回そうとしているみたいな感じで。キツそうだったな。

 

──当時はとしくにさん、ヤバさん、YAMAGEさんの3人しかいなかったわけですね。

そうそうそう。なので総務的な部分に手が回ってないところを見て、どうやら請求書も出せないようだから、その辺ちょっと手伝おうか? って私が言ったのが関わり始めた最初かな。

オフィスには過去のイベントのフライヤーがずらり

 

3 やすこの源流

──自分がギャルだなって自覚したのっていつぐらい?

大学入ってからですね。18歳。

 

──ギャルってなんですか? 最後の質問みたいになっちゃいましたけど。

大学に入って初めて「ギャル」って言われたんだけど、中高と真面目な進学校にいたのね。ちょっとパーマかけたりとか、ちょっと髪を染めるだけで目立つみたいな感じの環境にいたの。だからファッション的にギャルっぽい子がいなくて。だから大学に入ったら絶対髪の毛を好きな色にしたいっていう欲望があって、ギャルになりたいってわけじゃなかったんだけど、髪の毛を普通に金髪にして登校したら、真面目な人が多い学校だったのか「あいつ……めっちゃギャルじゃん」みたいに言われるようになって。周りから言われて初めて「あ、これがギャルなんだ」って感じる部分はあったし、割とその、硬い学校にいることもあって小難しいことを言いがちだったの。相手を言い負かすじゃないけど、論破する感じになっちゃったりとか。そういう攻撃的な感じになることが多くなった部分があったから、みんながギャルだっていうなら、ギャルっぽく振る舞ってみたほうがコミュニケーションがうまくいくのではないかと思って、あえてちょっとヤバイウケルみたいなテンションで話すようにしたら、コミュニケーションがうまくとれるようになって、それでギャルっぽくなった……のかな。

 

──大学では何学科だったのですか?

フランス文学。

 

──それは意外ですね。今もフランス語は読んだり書いたりできるのですか?

簡単な文章だったらって感じかな。もうほとんど忘れちゃった。

 

──その「言い負かす」という特技がラップに生かされたりとか?

そうだね。さっきの「ギャルとは?」という質問に戻るけど、結局、よく言われる「◯◯ちゃんてロックだよね」とか「◯◯さんってパンクだよね」という言葉の延長に「ギャルだよね」っていう言葉があると思っていて、どちらかというとマインドの問題というか。今はギャルって死語かもしれないけど、昔ギャルだった人たちはある程度目立つような格好をしたりとか、派手な振る舞いを意思をもってやっている人たちだと思っていて。で、ヒップホップみたいなものも同様に捉えていて、ライフスタイルに根ざした自分のこだわりだったり意思だったりを指していると思うから、ギャルマインド的な部分と、ヒップホップ部分の相性がよかったなと思うかな。

 

──ギャルとヒップホップの違いはなんだと思いますか?

なんだろう……。ギャルのほうがファッションに寄りがちかな。思想みたいな部分がヒップホップのほうが強いかなと感じる。あとヒップホップはあまり女子がいない。

 

──そうなんですね。ラップバトルだと女性ってどれくらいの割合なんですか?

前に私が一番初めて出たバトルが、100人くらい出てたの。社会人のバトルだったんだけど、100人中、女の子は3人だった。

 

──3%。思った以上に少ないんですね。

だから普通にいまもバトルのイベントに出ると女子私だけとかすごい多いし、地方のイベント行ったら「女の子くるの初めてなんですよ」みたいな感じ。それなのに私が女子っぽいことを言わない。下ネタとか言っちゃうから (笑) 。なんかちょっと申し訳ないなって気持ちになることもあるけど。

 

──ラップを始めたきっかけって今話してもらった時系列でいうと、どのあたりになるんでしょうか?

けっこう後だなぁ。2016年。2016年の6月ぐらいにやったかな。

 

──当時26歳だったわけですね。そこからヒップホップの世界に足を踏み入れるって度胸ありますね。

当時、村岡さんとやってた劇団で、ラップミュージカルをやろうみたいな構想があって、2013年ぐらいからずっとあって。「TOKYO TRIBE」っていう園子温の映画がやってたときに、私は割と面白いと思ったのね。村岡さんともその話をしていて、あれの平安時代バージョンをやろうと言っていて。まず「TOKYO TRIBE」が面白いよねって話と、その話をしていた飲み会のときに、一緒にいた子が「平安時代の貴族に関する文献を読んだ」って言ってて、平安時代の貴族ってめっちゃ暇だったらしいのね。朝基本的に仕事して、お昼ご飯以降めっちゃ暇みたいな。蹴鞠ぐらいしかすることがない。だから、近所の人に女寝取られたりとかしたら、普通に家来とか連れてボコりに行ったりとか嫌がらせとか喧嘩をしてたらしいの。

そういう文献があるというのを聞いて「平安時代の人たちって意外とヤンキーなのでは」って話をしてたら、「TOKYO TRIBE」の世界観を混ぜたら面白いんじゃない? って話になって、そこから構想があったのね。そこから2015年ぐらいに「フリースタイルダンジョン」が始まってラップブームが来たから、逆に今やらないとこれできなくなるよねって。下手にブームが終わってからやると乗り遅れちゃったみたいになるのも嫌だし、やるなら今じゃん? ってことで、やるならフリースタイルも入れたいって村岡さんが言って来て、私にフリースタイルやってもらいたいからちゃんと練習して来て欲しいって。

 

──無茶振りですね。

で、おおお、と思って。私はラップとかやったことなかったから、練習? といっても何すればいいんだ? ってなって。とりあえず社会人がやっているサイファーがあるらしいから、それに言って一緒にラップしてきてくれって。

 

──それもハードルが高いなぁ。

そう(笑) 。すごい怖がりながら上野公園のサイファーに言って、最初は木の陰から見てた。

 

──そこからラップにのめり込んだわけですね。

始めたのが6月だったんだけど、9月に社会人ラップの大きい大会「社会人ラップ選手権」ってのがあって、女子が珍しかったのもあってそれに出してもらえることになったのね。オーディション通って。出たんだけど、一回戦で前回の優勝者と当てられちゃったの。もう、確実に咬ませ犬にされている感がすごかったのよ。タレント感もけっこうあって。これ、普通に潰すつもりで当てられてるなと。主催者側がトーナメント組んでたから。これは絶対に負けられないな、負けたくないなと思って、1回戦勝ったのね。

 

──おおー!

ベスト4までいったの。そしたら、最初は活きのいい女子が出て来たみたいな感じでネットでも盛り上がってたんだけど、AbemaTVでも配信してて。でも、ベスト4ぐらいまで行くと、私別にラップが上手かったわけじゃないから「うるせー!ばか!しね!」とか言ってたのね。言うこと無さすぎて (笑) 。だから「あいつラップのラの字も分かってないくせに、なにのこのこ出て来てんだよ」ってネットでめちゃくちゃ叩かれて。それがあまりにも悲しかったから、逆に止められないなって。ちゃんと練習してバトルとか出ようと思って続けようと思った。

 

──もともと演劇をやっていたとのことですが、他にやっていたことはありますか?

基本は学生のときから演劇。でも演劇って、ノルマが高いんだよね。

 

──お客さんを最低10人呼ばないといけない、みたいなものですか?

学生演劇に多いんだけど、一番最初に5万円払ってくださいとか。もしお客さんが呼べたら1人あたり500円戻ってきます、みたいなシステム。そのノルマを稼がないといけないのと、一人暮らししてたから、かなりお金がなくて、やれそうなバイトはだいたい全部やったかな。朝にマクドナルドに行って働いて、昼に授業受けて、その後家庭教師に2時間行って、夜にバーとかスナックで働いたり。メイド喫茶で働いていたときもありました。

 

──1日にそんなに働いて、睡眠時間とかは……。

削って、漫画喫茶で泊まって次の日は朝から稽古。みたいな感じの生活をしてた。それもある意味、振り返ると楽しかった部分も良かった部分もあるんだけど、いろんなことに手を出しすぎちゃったなって部分はあって。演劇だけがっつりやる、実家から通いながらとかやってもよかったなって思うし。真面目に勉強するというのもあっても良かったなって。もうちょっといろんなやり方あったかなと思うけど、そういう生活をしていたな。

 

4 渋都市をめぐる要素・ヒト

──やすこさんのことを調べていたら「SUKIKATTE」というやすこさんが編集長のメディアを見つけたのですが、これはいつごろから?

私が参加してたビジネスマンのラップ選手権があって、そこのオウンドメディアをやってくれないか? って話があって始めたのがスタートです。最初は大会自体を紹介するようなメディアをやってたんだけど、それをやるなかで実際に活躍しているプロのラッパーの話を盛り込んでいったら面白いよねって編集部で……編集部って言っても2人しかいないんだけど (笑) 。それで、いろんなラッパーの人に話を聞きに行くようになって。大会自体が頻度が高く開催されないってのと、私たちも大会発信のメディアなんですよってことに囚われないでもうちょっと話を聞けるようになったらいいなと思って、「SUKIKATTE」という形で独立させてもらった形ですね。

 

──今は普通に会社の業務のひとつとして取り込んだ形ですよね。

今はなかかな手が回ってない部分もあるんだけど (笑) 。ぶっちゃけ編集者はなりたかったってだけで、実はやったことがなかったんだよね。美術手帖のWeb版とかでライターをやったりとかはしていたんけど。

 

──渋都市株式会社がほかの会社と違うな、というか特別ポイントだなというところを教えていただきたいです。

うーん、いい意味で自由だなとは思う。私は他に3社ぐらい働いてからここに来ているんだけど、縦のつながり・横のつながりってあるんだけど、会社だからどうしても縦割りになってしまうんだけど、それが縛りとしてそんなに強くない、っていう部分があるから、意見を言うみたいな部分だったりとか、話し合いをする部分だったり、誰かがミスったりしたときに「じゃあなんでミスったんだっけ?」という話とかをじっくりするところも含めて、コミュニケーションがしっかりベースにあるし、個々の裁量というか、自分が考えたことをまずやってみてダメだったら周りがガンガンダメ出ししてっていう感じの自由の裁量みたいなところが割とある、というところはいいところでもあるし、割と変わっているところだと思うな。

 

──言える範囲でいいんですが、これからの5年10年でやっていきたいビジョンなどはありますか?

もともと音楽業界からお仕事をもらっていることがすごく多かったんだけど、そっちでの実績みたいなところが積めて来たってところもあるし、あとは言ったら音楽業界だけだと、イベントのシーズンみたいなところがやっぱり固まっちゃうので。

 

──月ごとにムラがあるんですね。

そうそうそう。ムラがあるから、経営側から言うとアップダウンをなくして安定して運用していきたいなというのがあるので、そういう意味で音楽業界一本足じゃなくて、もっといろんな業界の人と関わって仕事をしていきたいと思っています。私はたまにしか現場に顔を出せないんだけど、行くと手前味噌ながら、やっぱウチらの演出クオリティ高いなと思うことが多いのね。うちが提供できる演出のクオリティとかはどんどん上がっていってるから、逆にそれを音楽業界だけに留めておくのは個人的にはもったいないと思っていて。

たとえばイルミネーションのところだったりとか、音楽業界にしてもフェスのような大きな会場を手がけたりとか、もっとこうアミューズメント・パークがあるかもしれないし、人をエンターテイメント的に楽しませられる場での演出ってところでうちのことを思い出してもらえるために、人脈だったり実績だったりを広げていきたいと思っています。

 

──ありがとうございます。バグマガジンは現在、若者の活動をアーカイブしているところでして、若い読者層のために「経営って何しているんだろう?」というベーシックなところを伺いたいんですが、やすこさんにとって経営とはなんですか?

経営は……たぶんいろんな考え方があるんだろうけど、個人的には「みんながハッピーに暮らしていけるためのこと」を考えること、だと思っています。たとえば、お金がないと困るじゃん。基本的にお金がないとアンハッピーだと思ってるんだけど (笑) 。

 

──そうですね。

だから経営の一番小っちゃい縮図って「家庭」だと思うんだけど、お母さんがあれだけ節約して、わざわざ遠くのスーパーに10円安い卵を買いにいくのはお金がないとアンハッピーになってしまうから。どれだけ出ていく出費を抑えて、抑えた状態で美味しいご飯を食べられるようにしなくちゃいけないことだったりとか、お金だけじゃなくて、お金みたいなところを第一に考えたときに、会社って儲けていかなきゃいけない組織だから、儲けていくことを考えつつも、そこでちょっと抑制されてしまうところのなかで、みんながどれくらいハッピーに暮らせているかっていうのを見つめるのが経営かなと個人的には思っています。

 

──これを読んで「働きたい!」って人が仮にいるとしたら、今、求めている人ってどんな人ですか?

求めてる人かー! バイブス高い人だったらだれでも大丈夫だと思うけど (笑) 。でもなんだろ、バイブスも大事だけど、個人的には今まで入った子とかも含めて見ていて、なんだかんだいい意味で “謎の自信” がある人が合うのかなって思ってるかな。まだ技術とかはないけど「俺にはこの夢がある」でもいいし、「これができる」って自信があるとか。そういう根拠はないけど自信はあるみたいな人は合うんじゃないかな~と思います。

 

<プロフィール>

松島やすこ / Yasco.

渋都市株式会社代表取締役社長。ギャル・ラッパー・社長。1989年生まれ。幼少期より演劇に目覚め、高校時代から演劇部へ。大学卒業後はIT系の会社でいくつか働く。2015年に渋家株式会社 (現・渋都市株式会社) に入社、2018年に渋都市株式会社代表取締役社長に就任。

ギャルが会社立ち上げに関わるブログ : http://yasco1candy.hatenablog.com/

Twitter : https://twitter.com/yasco1candy

 

Text : BugMagazine編集部