これから刊行される新刊本と既刊本を紹介する「汽水域の旅」も今回で3回目。「食」「ことば」というテーマを引き続きつつ、「芸術崇拝・食べること・界面」をテーマに書評家の永田希さんを語り手に、そして写真家の石田祐規さんを聞き手に迎えて、本の紹介と雑談を収録いたしました。
『芸術崇拝の思想』
永田:5月の注目は『芸術崇拝の思想』。こないだネット上で話題になった、芸術学の先生に「なぜアート作品に高い値段がつくのか」って訊いた記事、わかります?
石田:見ました。すごいDisられてたっていうか、炎上に近いような感じでしたけど。
そうですね。ただあれ「わかる!」と支持する声もあったわけですよ。賛否両論。あの記事を書いた人はアホを自称していました。このアホっていうのは頭の良し悪しとは関係ない。物事を難しく考えないという態度表明のようなものですね。考えないでアートの値段について知りたい人を想定した記事だったと思います。他方でアートが簡単に消費されることに対して「許せない」っていう人たちが炎上する。そういう釣りめいた……いや、効果的な記事でした。
アートの値段について論じた本というのは既にいくつかあります。でも芸術の門外漢が気になるのって、何がそんなに偉いんですか、大したことないんじゃないの、ってところだと思うんです。たまたま指標が値段という数字になっているだけで、実は芸術が崇拝されるシステムを疑っている。
この本はその部分を議論した本です。著者自身が「これは芸術否定の本」って書いてます。アートに不信感を持っている人は読みやすいかもしれませんね。10年前の本で古いっちゃ古いんですけど、今読んでもアクチュアルです。無邪気に芸術すごいとだけ思っている人にもぜひ読んでみて欲しいですね。
artってもともと「人がやったこと」という意味なんですよ。技術と芸術。だけど芸術崇拝が出来上がっていく過程で、技術とか科学から分離されて、人間の人間らしさみたいなところ、いわゆる人文知と呼ばれるところのほうに寄せられていく。
この本の中では、それがキリスト教の宗教的な権威と政治的な権力が分離していく政教分離にともなって、宗教がもってた役割を芸術が担うようになってきたと分析しています。
この連載「汽水域の旅」でたびたび言及している芸大受験マンガ『ブルーピリオド』は美術、とりわけ絵画の受験を描きながら、人間が何を世界から受け取ってどのように描くかという技術面を主題的に扱ってるけど、同時に「自分の感じ方を大切にしなさい」という人文的なことも言っている。『ブルーピリオド』を面白く読んでいる人にも本書はおすすめです。
──出た! 永田先生の「ブルピ」推し。
『違国日記』
永田:『違国日記』の2巻が出ます。ヤマシタトモコは知っている人は知っているぐらい有名な作者さんですが、知らない人のためにまず説明しておくと、SF・ホラー・オカルト・ヒューマンドラマ、と幅広く描いている、ギャグとコミュニケーションの難しさを描ける作者。優しさが空回りするとか、どうしても話の合わないめちゃくちゃ嫌な人がいる、とかのリアリティを描くのが上手い。絵も上手いけど、華美でもなければ泥くさくもない、非常にバランスの良い、かつ個性的な絵。
この作品の中心になるのは叔母と姪。叔母のほうが小説家で、その小説家の姉の娘っていうのが高校生です。2人をつなぐのは叔母のお姉さん、あるいは姪のお母さんにあたる人。その人が死んでしまって姪っ子は身寄りがなくなってしまう。そこで叔母が預かる。血の繋がりがあるといえばあるんだけど、微妙な距離感の2人。タイトルにある「日記」というのは、お母さんのお葬式の日に、叔母が姪に向かって「日記をつけなさい。お母さんが死んでしまったことで周りの人がどんなことを言うかを書いておきなさい」と言うんです。すぐには役に立たないかもしれないけど、しばらくたってから役に立つかもしれないと。叔母が小説でやっている「書く」ということが、もしかしたら姪を救うかもしれない。書き付けることで人が救われるかもしれない、よくある物言いなんだけど、それを説教臭くなく描くというのはこの作者の得意分野です。
これちょっとしたらヒットしちゃうんじゃないかと思うので、流行って読みづらくなる前に読んだ方がいいんじゃないですか? という意味でもおすすめしておきます。
ちょっと1巻のあるシーンを思い出して涙ぐんでしまいました。
──はい。
ヤマシタトモコって知ってる?
──知らないです。
違国日記は映画化したらいいと思うんだよなぁ。
『知性は死なない』
永田:4月以前に出た本の話に進みましょう。まずはこれ。『知性は死なない』。『中国化する日本』という日本論を書いてデビューした1979年生まれの与那覇潤さんの本。この人、地方大学で先生をしている歴史学者だったんだけど、いわゆる鬱病により、学業に手がつかなくなってしまったので辞めてしまったそうです。この人自身も「学者は廃業しました」っていう風に言ってる。
この本は、前半は鬱についての経験を交えて当事者から見た世の中の偏見とかを分析しています。後半は知性の話。『芸術崇拝の思想』でも触れたけど、人文的なものに対する社会的な不信が高まってきている。その中で知性っていうものが、ないがしろにされている状況があって、そういったものを分析していく。
欝病に興味がある人、知性を信じられなくなっている人が読むといいと思います。知性が崩壊するという経験をした人が書いたとは思えない。単に読みやすくて易しいというだけでなく、ビシビシ言ってるところもある。『中国化する日本』も非常に分かりやすくて刺激的で、世の中の見方が変わる本だったので、同じ人だなあと思いますよ。
『メディアアート原論』
永田:この本が出たのは3月末。『メディアアート原論』。僕、昔から「メディアアートという言葉が嫌い」と言ってたんですね。アートの世界にはメディウムという言葉があって、絵の具とかのことね。厳密にはだいぶ違うけど。何かを人がやるために媒体になるものが無いってことはまず考えられないわけですよ。メディアが重要じゃないアートなんか存在しないのに、何がメディアアートですかと。
でも、いい加減メディアアートってダサいよねという空気が十分出来上がってきたので、もう毛嫌いしないでもいいかなと思うようになりました。そこであらためて「メディアアートってなんなんだったのだろうか」と。
久保田晃宏と畠中実、この2人がメディアアートの本、しかも原論と付く名前の本を編むというのはどういうことなのかなと思って手に取りました。とりわけ注目したのは、増田展大さんが書いているバイオアートのところと、水野勝仁さんが書いているインターフェースの話。バイオアートは普通はメディアアートに含まないですよね。メディアは感覚器官にくっつくもの、テレビ画面とかメガネとかを思い浮かべますよね。しかし感覚器官までちゃんと考えるならば、バイオ・生命性というのは重要です。そこまで接続していくメディアアート論って面白い。スマートフォンも普及して、これからグーグルグラス的なものも出てくる。それこそ人体にテクノロジーを埋め込むのもリアルになってきている状況。それを見直す意味でメディアアートを調べるのはいいのではと。
『食べることの哲学』
永田:先月も取り上げた月曜社の『多様体』で、『現代思想』とか『エピステーメー』などの雑誌が作られた背景について回顧録を書いていた檜垣立哉さんの、食べることについての哲学的なエッセイ。
個人的に興味深かったのは「毒を食べる」というテーマを扱ったところ。お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、糖尿病とかを心配されるにも関わらず甘いものを食べてしまう、いわゆる嗜好品について言及しています。
最近は、ドーピングだとかアディクションだとか……そのあたりの、人間にとって害があるはずのことを人間がどういう風に活用するのか。あるいは、活用できないはずのものをどう考えていくのかっていうのを思考できるようになってきてると思うのですが、そういった話にこの人が言及しているのが興味深いなと。
食べるというと、いくつかの二分法が可能なんですよ。
食べられるもの/食べられないもの。
食べたいもの/食べたくないもの。
食べる前のもの/食べたしまったもの。
食べたもの/出すもの。
みたいな。
その境界にあることが「食べること」というものだと思います。いくつもの境界を思考するって意味で非常にスリリングな本でもある。
『事典 和菓子の世界』『和菓子 伝統と創造』
永田:『事典 和菓子の世界』という本と、『和菓子 伝統と創造』という本が、さいきん立て続けに刊行されました。それぞれどういう本かというと、『事典 和菓子の世界』は、和菓子のキーワード、あるいは和菓子の名前について検索できる、文字通りの「和菓子の事典」です。
──へぇー。あんまり和菓子って退屈で食べたことないです。
和菓子ってさ、なんか、風流な名前だったり見た目が綺麗なんだけど、大雑把に言うと、アンコか柚子か抹茶の香りがついているだけと思われてる。いやさすがにほんとはそんなことないけど。食感が違う、あとは色が違うみたいな。あんまりバリエーションがないように思われていたりする。それをどのように分類していくのかというのを見ていくのは、非常に興味深いものです。岩波書店からすでに刊行されていたんだけど、増補版です。
もうひとつの『和菓子 伝統と創造』は学術論文みたいな体裁。フランスのワインとかの社会学的な分析でどのようにしてワインというものが売られていたのかを分析した理論的な成果を参照して、今度は和菓子を分析する。ワインの世界で「テロワール」っていう言い方があって、どこそこの地域では、こういう日照り・気候なのでこの味なんですよ、という話。それと同様のことが和菓子でされるのではと。『事典 和菓子の世界』で和菓子の全体像をカタログで見るように眺めつつ、それの読解の仕方を『和菓子 伝統と創造』で読むと面白いなと。
『ニッポンの駄菓子工場』
永田:さっきの『事典 和菓子の世界』や『和菓子 伝統と創造』はエスタブリッシュされた高級な和菓子の話でしたが、これは『ニッポンの駄菓子工場』。数十円から数百円で買える、チョコボールから鎌倉大仏飴、粉末ジュース、ある種の人には懐かしい、もしくはまったく知らない人にとっては知らないノスタルジアだと思うんですけど。さっきの和菓子のほうには載っていないもの。本物性というものをブランディングする方向性ではないものが載っています。おもちゃのように安物として扱われて来たものにも歴史はあるよということです。これはとても良い本。
──お、言い切りますね。
広告みたいな、いいちこの宣伝みたいな美しさがあります。
──おおお。
JRの駅の構内に貼ってあるような、やりすぎなぐらい綺麗な写真が載っています。これが1600円と安いんですね。これに関しては新刊じゃないんだけれども、『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』というとても楽しい本があって、日本中のお土産のお菓子の歴史について江戸時代ぐらいから遡って、以前も触れた流通とりわけ鉄道の発達に絡めて紹介した本もあります。4冊セットで読むと、日本のスイーツにやたら詳しくなれるんじゃないかと思います。
──和菓子と駄菓子が別れているのが面白いですね。
そうね。餡子玉とか和菓子じゃねーのかよっていう。餡子玉みたいなやつは、ブランディング次第では「和菓子」になるんでしょうね。
──うんうん
『日本人も知らないやまとことばの美しい語源』
永田:先月は別のタイトルで紹介してみたんですが、蓋を開けてみれば『日本人も知らないやまとことばの美しい語源』というタイトルで刊行されてました。
──なんか新書の棚に並んでそうなしょっぱい名前になりましたね。
そうですね。河出夢文庫っていうちょっと買うのが恥ずかしいレーベルですね。この前のヒーリング錬金術と同じぐらい、ヤバい香りのする本なんだけど。
──背表紙のタイトルが赤文字っていうヤバさがありますね。
そうね。『パターのやり方』という本と一緒に並んでました。
──あ、雑学シリーズだ!
うざい上司のおじさんが、かわいそうな後輩に向かって、どうでもいいタイミングでウンチクを垂れるときに利用するみたいな。
──もっと判型を大きくして重厚な作りにすればいいのに。
類書というか『ヤマトコトバの考古学』っていう本があります。普通にいい本。面白い本です。この本より、そっちの宣伝をしたいんだけど、この本はこの本で面白い。たとえば一番最初に出てくるのは「心」なんだけど、説明として「こころ」の語源は、肩が凝るの「こる」から来てるっていうんですね。へえーってなりますよね。
でもこの本、すべてにおいて出典が明示されてないので、この人の妄想の可能性があります。実際には誰かから聞いたとか出典があるんだろうけど、学術書じゃないのでそのあたりがゆるい。言葉の語源を辿ってみるのが好きな人、雑学のちょっとだけ深いところを掘るのが好きな人におすすめの本です。ちょっとウンチクほしいなあみたいなときに、かなり使える本です。
──(読みながら) 犬は「いぬ」と呼ぶのか調べてみたら、疎まれる生き物だったからなんですね。
そうなんだ。見して見して。あっちへ行けっていう「いね」から「いぬ」は取られていると書いてありますね。
──本当かなぁ?
本当かなって思って良いと思います。思わないとヤバい。詳しい人が読めば、出典や用例が思いつくんだろうけど。そういうわけで、あんまり真面目に読んじゃいけないけど、手元に置いて読み返すにはいい本だと思います。
『言葉と魂の哲学』
永田:次はこれですね。『言葉と魂の哲学』これもタイトルからしてヤバいんじゃないかなって思われるんですが、面白い本です。
──ふむふむ。
言葉と言葉でないものの境目というか、言葉が言葉になる瞬間ってなんなのかについて論じてる本です。しかし。
──しかし?
……興味深いと思ったのはそこではないんですよね。
──どういうことですか?
要するに、本書のように言語について考える本というだけなら他にもたくさんあってあまり面白くないんです。ちなみに、中島敦っていう、竹林でトラに会って「その声は」っていうの知らない?
──twitterで、コピペで使われるやつ(笑) 「その声は我が友李徴子ではないか!」ってやつ
そうそう、それそれ。まさにそれの元ネタになる文学作品を書いて有名にしたのが中島さん。そのほかの有名な作品に「文字禍(もじか)」っていうのがあるんです。この文字禍から、この本を書き起こしているところが興味深いなと思って。文字禍は、古代アッシリアでまだ紙で本が書かれていなかったころ。粘土板に楔形文字を刻み込んで、大量に保管する粘土板の保管庫が図書館だった時代に、《文字というものが人間を愚かにするのではないか?》っていう、えー、疑念に取り憑かれた学者がいましたと。
──今でいう「テレビ脳」とか「ゲーム脳」っていう学者だ。
新しいメディアが出てくると必ず言われるやつの、元祖って感じありますよね。で、この文字禍では最後にこの学者が粘土板の下敷きになって死んでしまうんです。文字や書物によって人が殺されるという恐怖を描いている。それが非常に僕の中では印象深い作品で、ここから始めているというのが僕がこの本を好きな理由です。「文字禍」の現代版というかSF版として飛浩隆という作家が去年に単行本にした『自生の夢』があって、その中では「忌文禍(イマジカ)」というのが出てきます。SNSとかtwitterとかbotが文字を増幅させすぎて人間が死んでしまうとか文明が崩壊するという話。
──言霊は怖いね~~。
言霊そのものが怖いってことは特にありませんけどね。
『ゲンロン7』
永田:次は『ゲンロン7』が刊行されています。今日は持って来てないんだけど……。
──あら、残念。
これは哲学者で作家の東浩紀がやっているゲンロンって会社の雑誌。「特集ロシア現代思想」って書いてあって。ロシアの現代思想なんか興味ないよって人は、読み飛ばしていいと思います。面白いのは後半に入っている、山下研さんっていう非常に若い論者の「シンゴジラ」と「君の名は」について書いた論文があるんですよ。
──え、共通点なんてあったっけ? 両方、劇場で見ましたけど。
山下さんがテーマにしているのは「界面」っていう概念。一番身近な界面ってなにかっていうと、洗剤ですね。界面活性剤って呼ばれるんだけど、要するに何かと何かの間っていうのが界面なんですよ。世界と世界の面。別種のものが面している面。それを『シンゴジラ』や『君の名は』の中に見出していく。という論なんです。これがなぜ面白いかと言うと、たとえば『シンゴジラ』に関して言うと、写真的映像とCGの映像の界面にゴジラが現れているという作品ですよと。『君の名は』っていうのは、あれって、ネタバレになっちゃうけど、違う時間を生きている2人が出会う話じゃないですか。彗星が落ちた事件の後に、消滅してしまった町の風景の写真を見るときに、主人公の中にいいようのない懐かしさが生まれるわけですよ。かつてあった町。行ったことのないはずの町に対して懐かしさを覚えるのはなぜかと。そこに写真の界面性の働きがある。
新海誠は、『君の名は』の前の『言の葉の庭』で新宿をリアリスティックに描くという、意味がわからないと「バカなんじゃないの」って、実写でやればいいんじゃないの? ってことをやっているんです。新海は企画段階で、東京という街がほっといても人間によって改変されてしまうし、関東大震災がまた起きるかもしれない、だから今の新宿の姿は今しか残せない、と。それを自分の手で残したいんだという、「残す」って意識を持っているところに山下さんは注目する。
いつかこの土地が、本当にあったのかどうかわからない、無かったかもしれない場所になってしまう状態。あるものとないものの界面として、ものの記憶を見出している。『シンゴジラ』にも『君の名は』にも界面というものが存在していて、物語の面白さを見出していけますよねってお話です。
地元の人が見るものと旅行者が見る風景って違うわけじゃないですか。その間を繋ぐもの、まさに風景というものは界面なんですよ。なので『シンゴジラ』の風景、『君の名は』の風景。そういう話を、明治期の洋画家の高橋由一から柄谷行人の風景論から色々と結びつけていく。非常に短いんだけれども、極めて広いテーマを扱った論考です。この山下さんの論考を踏まえてから、ロシア現代と日本の現代の「界面」は何か、あるいはこの号の他に収録されている論考のそれぞれと読者自身との間にある「界面」は何か、と考えて読むと面白いと思いました。
『編プロガール』
永田:次は漫画です。最初に取り上げたいのは『編プロガール』。これは、ジュンク堂の「本棚会議」というイベントに月曜社編集者の小林浩さんが来てたときにトークでオススメしてたので買いました。
タイトルの通り編プロに勤める女の人を主人公とした物語です。
(編プロ=出版社が編集しきれない部分について委託される業者のこと)
非常にブラックな業界だから大変ですみたいな愚痴ばかりの本なんだけど、それだけじゃない。過酷な状況の中で、どうやってクリエイティブを発揮するか、というのを書いている本でもあります。やりがい搾取的なところも描いているので、出版界の暗部を表現している本ではある。今、出版不況って言われていて、出版不況とセットで言われる「刊行数の爆発的な増大」ってのがあるんですね。大量の本をブラックな状況で作るとどうなるかっていうと、ひどい本が大量に作られるんですね。僕も読者としてすごくこれに困らされているんだけど……。そういう状況で制作者はどうかんばっているのか? ということを描いています。芸大を卒業した作者が経験している内容です。
──なるほど。
なので、割と実体験に基づいているし、単なる労働者のつらい話じゃなくて、芸大の先端を出るような位置付けの人がそれなりの距離感を持って描いている本。という意味でも面白いかなと思います。漫画のように見えてコラムの量もすごい多いという本です。それについても面白おかしく言及していたりしていて。非常に読み応えがあります。編集を仕事にする人はぜひ読んでほしいなと思います。
『はぐれアイドル地獄変外伝V ボイス坂』
永田:次はこれかな。『はぐれアイドル地獄変外伝V ボイス坂』。高遠るいさんの作品です。これは次巻が来月も出ます。5年ぐらい前にライトノベルとコミカライズの並行で出した本の復刊っていう、かなり入り組んだ一冊。声優の、その実録っていうか、デフォルメして露悪的に描いたお話です。人間不信、罵詈雑言、エロ、グロ、と色々出て来るので、過激なものは苦手な人はおすすめしないけど、そういうのは大丈夫な人はぜひおすすめします。
──これ、さっき待ってる間に読んだけど、めちゃ面白い。2巻はいつ出るんだろう。
だから来月に2巻が出るってば(笑)
『エルジェーベト』
永田:あとはこの『エルジェーベト』というのが面白かったです。19世紀のウィーンっていう、ハプスブルク家のところに皇妃としてやってきた人の苦労話っていうんだけど。……ハリウッド映画とかでさ! 殺し屋がさ、懸垂したりするじゃん。それをやってるシーンが出て来るのね、主人公の皇妃が。懸垂をするシーン。めっちゃ鍛えてる。暗殺者に狙われるから、自分の身を守るために武闘派になってる。戦う女性ものとしてはかなり面白い漫画です。
──世界史が面白く読めそう。ハプスブルク家、聞いたことある。
さすがに実際はこんなに強烈じゃないと思うけどね。
──ムキムキのお妃様って設定、面白い。歴史に残るわけだわ。
これはフィクションだからね。マンガとしての完成度はけっして高くない、むしろバランスは悪いと思う作品ですが、続きが気になる印象的な作品です。
紹介した本のリスト
『芸術崇拝の思想』『違国日記』『知性は死なない』『メディアアート原論』『食べることの哲学』『事典 和菓子の世界』『和菓子 伝統と創造』『ニッポンの駄菓子工場』『日本人も知らないやまとことばの美しい語源』『言葉と魂の哲学』『ゲンロン7』『編プロガール』『はぐれアイドル地獄変外伝V ボイス坂』『エルジェーベト』
<プロフィール>
語り手
永田希 Nozomi Nagata
寝癖の書評家。時間銀行書店店主、オススメのマンガを持ち寄ってひたすら読むだけのイベント「試読シドク」主催。「Book News」を運営している’79年生まれ男性。
Book News
http://blog.livedoor.jp/book_news/
アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は関東某県在住。
フリーター・契約社員・嘱託社員・正社員・無職など紆余曲折を経て現職。
百科事典と画集と虫と宇宙が友達です。
聞き手
石田祐規 Yuki Ishida
1989年神奈川生まれ。多摩美術大学映像演劇学科中退。 映画と演劇への興味から写真をスタート。 友人、または友人になりたい人に親友を演じてもらい撮影する。主な著書に「HAVE A NICE DREAM!」がある。