今年1月にインタビューを掲載したBackRayのCDジャケットなどのアートワークを手がけるDEMI。彼の名は殆ど世に出ていない。しかし、彼が絵を描き始めるとそこに人が集まる。彼の絵が置かれていると人が立ち止まる。私も彼の絵の前に立ち止まった一人だ。出会ってから1年ほど経ったが過去の話は殆ど聞いたことがない。何故絵を描いているのか。彼の源泉はなにかを知りたくて、話をしてもらった。
── お時間いただきありがとうございます。よろしくおねがいします。
よろしくおねがいします。
── 経歴を教えてほしいです
えー、普通に大学四年生の大学を卒業して、そのまま社会人というか会社員になって
3年半ぐらいでそこで働いて、えーそのあと逃げるように日本を飛び出し…
── なにがあったんですか…?
いやまー。固い会社に入ったんですよ。金融系の。それで..まあ合わないなと、毎日スーツ着て。合わないなーと。やめちゃって。
で、やめたら居場所がないやないですか。日本って。親もいるし。
だからまあ海外いっちゃえーと思って行って。
── 海外はどこにいったんですか?
オーストラリアに2年とそのあとニュージランドに半年。
── 結構いってますね
そう。全然英語喋れないのに。
で、そこで出会った日本人がいて、、、そう、そいつの家に日本に帰ってきて、一週間ぐらい泊まりに行って、で、その間にシェアハウスを探して、見つかったのが渋家やって、お試し期間で住んで、その次の日ぐらいには即お願いします、住みますわという感じで。
── 海外から日本に帰ってきた理由って?
そう。なんだっけ…。
その海外で出会った、絵の師匠なんだけど、その人の作品を日本で作ろうと。
で、一旦帰ろうってなった感じ。
海外にいてもできたと思うんだけど…。えーなんでだったんだっけ。
── ちなみにそれって何年前ですか?
3年前ぐらい。あちがう、2年前だ。
あ、そうだ。ニュージーランドに半年いたんだけど、仕事してなくてお金が尽きたって感じっすね。
半年なんにもしてなくて。
── 師匠はニュージーランドで出会ったんですか?
いや、オーストラリアで出会って。
── で、ニュージーランドに行って?
そう。一緒に行って。
── それは絵がきっかけだったり?
そうそう。絵やってる人やった。なんかワーホリで行ったんだけど、ワーホリ行って普通だったら1年なんだけど、3ヶ月オーストラリアのファームに3ヶ月身を投げると2年にしてくれるビザがあって。
3ヶ月のファームの体験の時に出会った日本人で、ファームってもうwi-fiとかなくてインターネットも全然できなくて、ちょっとやっただけですごいお金がかかるから
インターネットしないでできることってなんだろうなと思ったら、気づいてたら絵を描いてたって感じですね。
── じゃあ絵を描き始めたのって結構最近なんですね
まだ3年とか、うん。4年ぐらいかな。
── それまでは特に描いたこともなく?
や、描いたことはあるんだけど、本当に趣味というか、うーん。特に誰かに見せるとかもなくっていう感じだったっすね。
── ほー。
でも。描いてはいた。確かに。
あ。グラフィティしてたんだ。
日本にいた時に。
── ほう
スプレーの。
── それは大学生とかのときからですか?
大学生の時から。そう。
── それは街中に?
そうっすね。
── それのきっかけはなんだったんですか
大学生の時に出会った友達がやってて、かっこいいなと思って。
── 俺もやるって?
そう。
まあもうなんかまあ..ね、スリルが付きもので
やっぱスリルって楽しいじゃないですか。
まあ、なんかそういう方が楽しい。うん。
そんなボーリングとかねえ、ビリヤードとか。カラオケとか。大学生らしい遊びするよりは俺はそういうのに走ったなーって感じだったなー。
普通に会社員やってる時もやってて。
── 仕事終わりに?笑
そう。
で、一回拘束されたことがあったんすよ。
その日たまたま、あのー、明日の免許の更新行かして下さいっていってて、有給取ってたので
バレなくてすんだ。
もう本当にギリだった。
── やーばい
本当にやばかった。
まあそんなことしてて。
それで、やっぱスプレーって結構高いので、練習するとかするのに、紙に鉛筆で描いてたりとかして、絵描いてて、って感じだったかな。
── スプレーって1本いくらぐらいするんですか
1000円から2000円。メーカーとかによって違うんだけど。
死ぬほど種類があって。
── 集めるだけでも何万もするんですね
そうそう。これだけ(目の前のスプレーを見ながら)でも1万以上してるもんね。
── 会社員でグラフィティ…かなりアグレッシブなことをしてたんですね…笑
でも今こう東京にいる人はだいたいそんな感じだと思う。
── そうなんですね。
意外にね、グラフィティライターって会ったら普通の人が多くて。
なんかいかにもこの人悪そうだなって人は少ない。
── DEMIさんなんていい人の塊みたいな雰囲気ですもんね。
そうなんかな。
普通の人に化けてる。
── でも裏ではやってる
昔はね。昔。
今は全然。もうそういうことはしていない。
── DEMIさんの作品がまだ残ってる場所はあるんですか?
地元に残っています。めっちゃ恥ずかしいんですけど。
結構その時イタくて、もうなんか、神社の近くとか、
実家の家の横に歩道橋があるんやけど。陸橋が。そことか。
もう全然残ってて。うわー痛いことしてんなーって。
── 実家はどこなんですか?
実家は大阪の堺
── そこに行けばまだ見れると
そうっすね。
楽しかった。でも当時大阪でグラフィティがはやってて。
── そうなんですね。
うん。今のフリースタイルみたいな。ラップが今流行ってるじゃないっすか。
── あー。路上パフォーマンスとかも流行ってますもんね。
あの感じでグラフィティが流行っている時があって。
── 結構やってる人いたんだ。
そうっすね。若い子がどんどんやってて。
俺の時も美大生ですっとかいう人がいたり、彫り師目指してますとか、普通に会社員もいて。
── そういうコミニティみたいなのがあるんですか?
えっと堺市におっきいお店があるんすよ。スプレーを売っている。
で、そこで出会った店員さんと喋ってる時にきたお客さんとも喋って、お客さん同士も喋って仲良くなっていきましたね。
── アウトローだけど、結構オープンなところでコミュニティがわーっとできているような感じなんですね。
うーん。そうですね。
なんか、そこでそんな感じでコミニティが広がったから、東京きていっちゃん最初にグラフィティショップに行って、店員さんと喋ろうと思ったんよ。
そしたら店員さんが、あ、自分はグラフィティライターじゃないんで全然わかんないすみたいな、俺を覆面警察みたいな感じだと思ったらしくて、なんの情報も流してくれなくて
なんも面白くなくて、東京のグラフィティ界隈は堅いというか。辛いなって感じでしたね。
── 確かに取り締まりきつそうですよね
うん。やっぱり地方なんで警察もちょっとはゆるいっす。
── 昔、横浜から日光までママチャリで行った時があるんですけど、国道の横を走ってると壁とかにグラフィティがぶわーってあったんですよ。畑がある横とかに。それをひたすら撮影しながら日光まで行くってことをやったんですけど、やっぱ地方に行けば行くほど増えますよね。
そう。自分の地元も結構田舎だったので、いろんな良いスポットがあるんで。
── じゃあ海外で描き始めたって時は、グラフィティ寄りの絵を描いてたんですか?
いや、全然。
何描いてたんだろうなぁ。。。
そん時ちょうど会田誠にはまってて、会田誠っぽいちょっとグロっぽいやつとかを描いてた。
あと、日本の和彫りっぽい絵柄とかを描いてたかなぁ。
英語があんま喋れなかったから、絵描いて見せたら外人はやっぱ喜んで。
それでコミニケーションしてた。
コミュニケーションツールが英語じゃなくて絵だったって感じでしたね。
で、えっと最初ファームに行って、絵描き始めて、その後シドニーに移ったら
シドニーで、ここは描いて良いです。みたいな。警察も目つぶってます。みたいなエリアがあって。
── そういう政策をしてるらしいですね。汚されるとこを作って他の壁に落書きされないようにとか。
そうそう。そういうのがあって。そこならやってみたいと思って、最初やってみた。
で、自分より上手い人の絵の上にいけないんすよ。それがルール的な感じで。
── 暗黙の了解的な感じなんですか。
まあそうやね。うん。で、俺が描いた次の次の日には俺の絵が消されててとか。
もうつらいんすけど。それがルールだから。
── そうすると少しずつかけるエリアが減って行くんですね。想像ですけど。
あー。そうですね。大御所が描いた後はもう。。。真面目な人だったら行かないか、クレイジーなやつだったらどこでも行くってやつがいて。ヤンキー系なやつがね。そういうやつが行った後はいけるって感じ。
それで良い循環がされてたかな。
で、そのあとそこで描いててそのあとメルボルンに行って。
メルボルンにもそういうところがあって。合法でか描ける場所があって。
で、メルボルンに日本人でアーティストビザを取りたいグラフィティライターがいっぱいいて。メルボルンで。
そこで仲良くなった人にタトゥーを彫ってもらいました。グラフィティライターの人。
── どこにあるんですか?
内側(服を脱いでタトゥーを見せながら。)。
これ、俺にグラフィティを教えてくれた人。グラフィティの師匠に彫ってもらって。
── グラフィティの師匠が彫り師だった?
そう。メルボルンは彫り師は免許いらないらしいんですよ。
── 怖っ
アーティストをすごい擁護してる街。
シドニーはグラフィティが描ける場所が都心から結構離れているんやけど、
メルボルンはもうメルボルン駅降りて、もう1分のところにあって、もう観光名所みたいになってて。
描いてたら人がいっぱい集まってくるみたいな。
── へぇ。じゃあストリートパフォーマンスみたいな。
めっちゃ多いっすね。俺感動したのが、ライオンキングの広告がグラフィティライターが描いてて、かっこいい〜〜ってなった。
まじめじゃないですか。ライオンキングとか劇って。
── 社会性のあるものですよね
そうそう。すごいでっかいところでやってるのに、描いてるのがグラフィティライターっていう。すごいかっこよかった。
で、日本人のグラフィティライターの集団と仲良くなったりしてたら外人とかもいっぱいいて
アトリエとか見せてもらって、将来こんなアトリエ持ちたいなって夢とかできたりして
で、オーストラリアのビザが切れちゃったのでニュージーランドに行ったんですけど
ニュージーランドね、すごい良いとこだったんだけど、地方都市って感じやったんすよね。
で、なんか…帰るか…ってなって、(日本に)帰ってきたって感じかな。
ここで仕事見つけて家見つけてってめんどくさいな、みたいな。
まあ半年間バックパッカーズっていう簡易的なホテルにいたんだけど笑
そこにいるのが皆悪い人たちだったんですぐ仲良くなりましたね笑
── 絵見せたらすぐ仲良くなるみたいな
そうそう。
今度日本でライブするからみたいなこと言ってくれる人もいたりして。まあ行けなかったんだけど。
あと、ニュージーランドって危険なイメージとかないと思うんだけど、住んだところが近くで銃声が聞こえるようなところで。
── え。
日本のカメラマンの友達と一緒に行ったんだけど、ある日カメラとかバックとか全部盗られて、ぼっこぼこにされて帰ってきたことがあった。
でも、自分のことアーティストって名乗るの恥ずかしいけど、アーティストにすごいリスペクトしてくれる精神がめっちゃ強いと思う。ニュージーランドとかオーストラリアは。
落書きって言われたら落書きなんですけど…って感じやけど…。
めっちゃ上手い人からも対等に喋ってくれる。プロでグラフィティでお金稼いでる人でも、俺なんか住んでる近くにおっきいプロジェクトがあって、下地だけでも塗ります、って言ったらマジで?ってなって、その日1日使ってもらって仲良くなって。
次の日行ったらお前ここの壁あげるから描いて良いよっていってくれて。
めっちゃでっかい壁をもらって、描いて。めっちゃよろこんでくれた。
でも上手くないから1週間後に消されちゃってたんだけど笑
── あー他の人に俺の方がうまいと思われて。
そうそう。でもめっちゃ良い体験だった。
── 海外に2年半行って、グラフィティで繋がってますよね。コミュニティとか地域に。
うん。そのあとに公民館に呼ばれて子供達に絵のグラフィティ講習会があって、その講師をさせてもらって。
何やってるんだろうなって思いながらも。
── グラフィティって違法性のあるものだと思ってました。
グラフィティをアートだとして子供に広めようってプロの人たちがやっていて、その活動に参加させてもらったんだよね。
── めっちゃ活動してるじゃないですか。
当時は皆の為にって感じだったね。
そうだそうだ。そこでニュージーランドに住んでた時俺ずっと図書館にいて、図書館でずっと絵を描いてて。図鑑を見ながら。
そしたら子供達がいっぱい寄ってきて。
「Are You Artist?」って聞かれるねんけど、「Yes」って。
もうだって英語わかんないんだもん。なんて言ったら良いんだろうってなるからさ。
「描く?」って言って鉛筆と紙を渡して一緒に描いたりして。
そしたらその子供の親とかが喋りかけてくれて。仲良くなって。
で、あぁ。その地域の盆踊りみたいなのがあったんだけど、そこに呼ばれてライブペイントさせてもらった。
── すごーい
そういえば。とかあったね。そうだなぁ。懐かしい。
そっから認められて、まあその時ここグレーなゾーンなんすけど、俺ドレッドだったんでずっと。お前…でしょ。みたいな感じで色々もらいましたね笑
── まじかぁ
そう。英語ができないから、髪の毛のオーダーもできないの。
だからもうドレッドでいいやと思って。ドレッドしてもらって。
── 当時の写真とかあります?
あると思いますけど笑どっかにあると思う。
── 想像つかない笑
そっから日本に帰ってきて、そうだ、日本人の師匠と一緒に共同作品作ろうと思ったんだけど
普通に、まあ向こうはマジでやってて、俺、自分のペースがあったんだと思うんだけど、向こうの言っている期限とか進捗報告とか全然してなくて、もうお前とは組めんみたいになって、1人になりましたね。
── えっわざわざ日本に戻って手伝いしてたのに?
そうそうそう。
そうなんやけど、それ言われてなんか俺も、あじゃあいいっすいいっすってなっちゃって
お互い険悪な感じになって離れちゃって。
もう連絡も取ってないけど、今でもとても感謝してる。
それがここ(渋家)に住んでいたミテラシくんの友達。
師匠にミテラシくんを紹介してもらって、渋家に入った。
で、そのあと渋家きてから1年ぐらいは全然絵も描かないで、何してる人か周りからはわからなかったと思うけど。
── その1年間はなにしてたんですか。
えーーー….。
えーーー?(20秒ほどがたった)
── やめましょう
そうですね笑
── DEMIさんが渋家のなかで積極的に絵を描き始めたのがきっかけってなんだったんですか?
デジ部屋の同人誌かな。
それもきっかけがあって。去年の4月にこの世界の片隅にっていう映画をたまたま観て。
あれすごい絵描きの人は感化されるかわかんないけど、俺はすごい感動して。
戦時中の人で絵すごい好きだったってのに腕失ってみたいな話で、あ、俺すごい今の時代に生まれて幸せだったわと思って、描けない人の分まで描けたらなーみたいなとか謎の感覚で俺はテンション上がったというか。モチベーション上がって、毎日描こうと目標を決めて毎日描くましたね。そっからは。
── 毎日描いてるんですか。
少しでもいいから、俺天才型じゃなくて普通の人なんすよ本当に。めっちゃ普通の人で。
才能はない。努力しかないなと思ってて。努力すれば絵は上手くなるかなって。うん。今たまたまバイトしてるとこが絵に携わるバイト先で、おじいちゃんとかでもめっちゃうまい絵描くから、おじいちゃんになってうまい絵が描けたらいいなって思ってる。絵描きは寿命が長いので。
── 死ぬまでできますものね。
そうそう。腕がなくならないか。生きてくモチベーションになるなーと。
成長すれば嬉しいので。
── 前にインタビューさせていただいたBack Rayさんのジャケットを描いてたりしたと思うのですが、これはどういうきっかけで依頼されたんですか?
本人が依頼してくれた人と青森行った時に出会って、そこで喋ってる時に前にプレゼントした描いた絵を見せたら感動してくれて、今度CD出すからジャケット描いて欲しいと言われて、描きましたね。
そこにヌマさんも入れて、映像もやって。3人で1つの作品を作ったって感じでしたね。
── 今後活動をどう広げていきたいと思っていますか?
音楽のジャケットを描くのが結構夢なんすよ。
今まで音楽にすごい助けられてて。精神とかが。自分が好きなアーティストにいつか使ってもらったらなって夢はありますね。
── それは例えば?
EVISBEATSって人だったり、ハイファナっていう人だったり。
自分はすごいイケてるって人たちがいるんすけど。その人たちに使って欲しいなと思ってます。
本当はダメ元なんだけど送っちゃうだけ送っちゃえばいいと思うんだけどね。ずっと。
ボツにしちゃってもいいから。送って返信がなくても当たり前で。使って欲しいっすって連絡したいなってずっと思ってはいます。
── しましょう?
ね笑
音楽に恩返しって言ったらあつかましいけど、なんか自分が助けてくれた人にちょっと携われたらな、尽力できたらなと思ってますね。
── 最近、ペンとか紙でよく描いてますけど、スプレーで街とかで描くっていうのは今後もやる予定はないですか?
んー。ないっすね。
なんか、壁くれたらいいとか、おそらくシャッターとかはありえるなとは思うんすよ。友達の友達がお店やってて、そこのシャッターが落書きされちゃってるから絵描いてたら落書きされにくいみたいなのがあって、依頼がくるかもなとは思う。ぐらいですね。
── 自分のアートワークとしてはどこかに行ってこっそり描くとかはもうやらない?
やらないです。酔っ払ったらなにやるかわかんないけどね笑
そうだ、沖縄ってグラフィティがすごく緩いんすよ。
── そうなんですか。
そう。
こんなこと言っていいのかな。沖縄ではもうめちゃくちゃする。この前も友達といったんだけど、皆の知らないところで1人で出かけて行って、1年に1回は行くかな。あっこはね、なんかね。
── 沖縄限定でやってるじゃないですか。
あはは。そうだね。これあんまよくないな笑
あんま俺も言いたくない笑
でも沖縄はグラフィティに寛容で。グラフィティだけじゃなくてアート全般に寛容なんだと思うんだけど、防波堤にいっぱいグラフィティが描かれていて。海際の壁で。
そこに釣り客とかいっぱいいて。おじいちゃんおばあちゃん、地元の若い人。
なんかやってんねー。みたいな。むしろ喋りかけてくれて。通報する人は今のとこ一人もいない。
── グラフィティの聖地みたいになってるんですね
そうやね。今流行ってないからそんなに更新されてないけど。
── そうなんですね。今ってDEMIさんが活動する中で外のグラフィティライターと会うことはあるんですか?
なんだろ。あるんですけど、グラフィティやってるって言ってないんですよ俺は。
── ほう
オーストラリアにいた時に師匠に、君のスタイルはグラフィティじゃないねって言われて。ペインティングだねって言われて。
あ、そういう括りがあるんだと思って。だから、俺は別にグラフィティしてますとかどうでもいいんで、絵かけてたらいいんで、グラフィティライターとは名乗ってないですね。
── なんて名乗ってるんですか?
絵描いてますとか。
── 笑
そんな感じで言ってる。あとグラフィティライターってすごい縦社会なんすよね。
あんまりそこに噛みたくないと言うか…。
まあ楽しそうではあるんだけど、グループ展とかしてて。でも、んー。迷惑かけちゃうことがあるんで。それが嫌なんすよね。
なんかお前のとこのクルーの誰々があの人の絵の上に描いてたぜ、みたいなのがあったりして揉め事が起こったりして。そういうのやりたくないからあんま横のつながりも縦のつながりも広げてないですね。
絵描きの友達ができたらなと思ってる。グラフィティの友達はまだいいかなぁ。
── 今まで大阪だったり海外では絵描いてる人たちのコミュニティの中に積極的に関わって活動している印象がありますけど、東京ではそういったコミュニティに関わってたりはしてないんですか?
そうやね。だから来た時も一人で。
浮遊感ってイラスト描く子が渋家に入って来て、ちょっと絵描くのが盛り上がってってのが最初って感じだったかな。
やっぱおんなじことやってたら話も弾むし、相手がやってたらなんか俺もやんなくちゃみたいなんになる性格で。
その感じで渋家にいさせてもらって。いい感じに。自習室感覚で。
── 浮遊感といつもどう一緒に制作してたんですか?
浮遊感が自分の横でずっと同人誌を描いていて、何やってんのってなって。
同人誌ってのがあるんですよって。俺はそこで同人誌って知って。
やってるやつがいるから負けられないなっていう。年も全然下だし。俺より上手い奴がきたみたいになって。
ちょっとやばいなみたいな。
── それはこの世界の片隅にを見た時とタイミング的には近い?
近いっす。近い。
── じゃあ結構相乗効果でぐわっとモチベーションが上がったんですかね?
やっぱ悔しいじゃないですか。遠近法のことをパースって呼ぶらしいんですけど、パースが綺麗だよねって言われたんやけど、パースってなんすか、みたいな。とかから始まって。
俺、専門学校とか美大とか出てないから専門用語とか知らなくて、そういうことも悔しくて頑張ったって感じでしたね。
お互い高めあったと思う。浮遊感も結構意識してたんだろうなと思う。俺の絵のところからパクってるところの節もあったし、俺も浮遊感からパクってるところもあったし。
お互い描いてる時は全く見ないの。お互いの。でも俺が部屋を出て行った時に俺の絵を見てるんだろうなって感じはあった。
あの時はめっちゃよかった。今いなくなって寂しいけどね。
だから今もずっと絵描きが増えて欲しいって思ってる。
こんな普通の人でも1年2年頑張った描けるんだよ、みたいな。
俺絵を描き始めたのが27の時で、この世界の片隅にを見た時が30で。
そっから結構本気でやり始めたって感じだからゆーて1年ぐらいしか真面目にやってないんですよ。
でも、自分では気づいてないけど、気を使ってかわからないけど、皆が上手くなったとか言ってくれたりするので、成長してるのかなって思います。
皆なんか今からはじめても遅いんじゃないかって思ってる人もいるだろうけど、全然そんなことないって言いたいですね。絵に関しては。他のジャンルはわかんないけど。絵描き増えて欲しい。
── 今、渋家で一緒に高め合える存在っているんですか?
絵描きはいるけどジャンルが違いすぎて。上手いし速いのよ。あとたまに外人が来るんすけど、そいつが爆裂すぎてよしてないですね。
あれはもう追いつこうとか思ってないですね。
── たまにラスボスがやって来る
もうね、描きにくいんよ彼がいると。気遣ってかっこいいですねって言ってくれるんだけど。気遣わしてんなーって思う。
── その人とも一緒に仕事とかできたら凄そうですね。
それはねー。嬉しい。
でも渋家今、デジ部屋が盛り上がってて、デジ部屋で作業する人が結構いて、
誰かがいたら自分も真面目にしないとなって思うのでいい感じですね。
── おー。じゃあ絵描き以外のところからもいい影響を受けていると。
そう。真面目な人がデジ部屋に集まってきてくれてる。
今一番渋家で熱いところはここだと思ってる。本当に。ここが一番イケてると思う。イケてる人がここに集まってると思ってる。
── 今後、渋家に住みながら活動していくと思うのですが、いつかこのコミュニティの外で活動したいとかっていう欲求はあるんですか?
んー。ないっすね。今のところ。
── ひたすら描いていたい?
そうっすね。結構満足しているというか。ここで。この界隈で結構十分な気もしてる。
── 最近渋家のイベントだったり、フライヤーだったりいろんなところで作品を提供していて、渋家のビジュアルがDEMIさんの作品で溢れるようになっていくのかなと。
それは嬉しいですね。許してもらえるなら笑
ただもう、若い子の若い感性とは違うかもしれないから。でも逆に今手書き感みたいなのが流行ってたりするのかな?
やっと時代が追いついてきたかなと笑
── 間違いねえ。 沖縄に住みたいという欲はあるんですか?
あるんすよ。去年の何月だったかな。10月だったかな。沖縄で渋家の元メンが展示やってて、それ見に行った時にナハウスっていうシェアハウスに泊まって、空気感が自分とすごい似てたなって感じがあった。
渋家にいる人は、なんだろ、流行りとか時代とかに敏感で。
── 渋谷にありますもんね
そういうのを取り込むのが好きな人が多いんだけど、沖縄はバラバラで、1週間ぐらい一緒に住んだんだけど、1回2回しか喋ってない人、ずっと喋ってた人とかいろんな人がいて、それはそれでいいんだ、みたいな感じになって。
俺やっぱりゆっくりした性格なのかわかんないけど、すごいあってた。
あとグラフィティが、東京はどこでも防犯カメラがあるんですけど、沖縄はやっぱ少ないんで、ね。羨ましいっすよね。やりやすいって感じで。
── 沖縄行ったらまたスプレーで描き始める?
描くと思う。
── 表現できる空間が広がるのはいいですね。
うん。そうやね。ここでもベニア板とかで練習できるけど、こんな住宅街の真ん中とかで見にこないし、残んないし。
描けるのは嬉しいんやけど、残った方が嬉しいから。残したいなーって。
まあ住みたいっす。今年の10月ぐらいに行きたいなと思ってる。1年ぐらい。女の子も可愛いんで。