東信伍を覗き込むとき、東信伍もまた

まずは東信伍についての詳細を知ってもらいたい。そのためにインターネットが存在するのだとさえ思う。あなたがこの文字をデジタル・デバイスを使って網膜に投影していることを嬉しく思う。つたない言葉を使ってみようと思う。彼はとりとめのない人間だ。彼はふざけた人間だ。彼は好奇心旺盛だ。あらゆる形容詞を繋げて彼に近づくことができる。

しかし、そろそろいいだろう。

東信伍の核の部分を知り、テキストにしても差し支えない時期に差し掛かってきた、と考える。おそらく3年前にインタビューをしたなら「ネット上の面白エンジニア」として紹介できたし、6年前であれば「ネット上の面白映像作家」として紹介できただろう。2018年の今、それらの人格は高次に統合され、「人間・東信伍」として語ることができるだろう。

 

 

OK , あずましんご

 

──まず最初に「秘密結社フリーソーメン」のことをベースに、今までのお話を伺えたらと思います。

もともと「フリーソーメン」というのをやりたいなとは思ってて、大学時代に就職が決まり「入社前研修」でサイトを3つ作るという課題がありました。そのときの3つ目が、好きなサイトを勝手に作ってくれという感じだったので、ちょうどいいチャンスだと思って「フリーソーメン」のサイトを提出しました。提出した後でリリースしたら、けっこうバズったのが始まりです。

──けっこう継続してますよね。響きがいい。

割と活動してやってくれている人がいて、継続できています。

──そういえば東信伍さんって何年生まれなんですか?

1991年5月20日でございます。

──ネットでの活動のスタートは何だったのでしょうか?

ペパボのjugemでブログをやってました。エポスティっていう、未だに残ってて恥ずかしいって思うんよだね。消すのもなんか違うし。これは業だと思ってる。

http://eposty.jugem.jp/

──2006年から文章を書いているんですね。……最後の更新が2012年。

ブログやんなくなって、日記みたいなものを場所変えながら転々と書いてました。一時期、日記を書くのが面白くなって来て、mixiの日記を去年ぐらいに書いてみたり。facebookに書いてみたり、instagramに書いてみたり、結局ははてなブログに落ち着いたって感じかな。これはなんでやってたかっていうと、俺が中学校のころパソコン部で、そこで何かしら面白いことしたいねっていう感じで、ストップモーションの動画を撮り始めました。

──中学のころからなんですね。そのころの動画ってあります?

もう無いですね。所属してた中学のパソコン部のページに載せてたから。

──手から波動を出すストップモーションなどは先駆けでしたよね。その後に世間では流行ったりしていたわけだし。

ストップモーションのムーブメントがあって、流行り始めたのを見て、始めたって感じかな。最初見たのは「面白画像サイト」みたいなgifアニメとか載せてるところで、学校の階段をうねうねうねうね転がりながら動いていくgifアニメがあって、これ俺でもできんじゃねって。当時、パソコン部はインターネットが禁止だったのね。だからパソコン部のパソコンに入ってるタイピングゲームをするか、あるいは「RPGツクール」で作って遊ぶかぐらいしかない。青春とかスポーツとは対極の存在だった。なんか面白いことしたいって気持ちはあったな。隅っこにデジカメがあったら、これもって飛ぼうぜ! って友達3人で始めた感じかな。

──その後、高校に入って、そこからもストップモーションの映像を撮ってましたよね。

高校入ってそのメンバーがバラバラになっちゃって、そこで俺は軽音部はいってドラム叩いてた。ときどき集まってストップモーション撮って、Youtubeにアップロードしたら、その当時としては大勢の人に観てもらえて。渋谷の大きいディスプレイに自分たちの作品が、Youtubeのキャンペーンで流れるというのがあって、それは興奮したなぁ。生まれてずっと、広島の田舎に住んでて、文化みたいなものにずっと飢えていたというのもあって、就職するときも東京って決めてました。家にパソコンも最初なくって、黒瀬図書館に自転車漕いでいって、申請すれば30分だけパソコンが使えて、その申請を何度もやってテキストサイトを見てました。

──「侍魂」とかですね。

「侍魂」とか、もう今は無くなっちゃったサイトばっかりだね。

──そうか。情報が欲しいという渇望感が強くあったわけですね。

文字をずっと読みたい、みたいな欲望はあったかもなぁ。図書館でも奥の方に……『死ぬかと思った』って知ってる?

──知っています。

デイリーポータルZの林雄司さんがまとめているとか、VOWっていう雑誌。

──はい。大好きです。

はは、ホントに(笑) 図書館のはしっこにあるやつ。変な本コーナーに居座って一日中本を読んでいました。真面目な本や小説を読むというよりかは、なんか、そっちに向かっちゃうんですよね。雑学集とか。そういう性分はずっと変わらないかもしれない。

──広島の地元ならではのエピソードとかありますか?

うーん、それ訊かれると一番困る(笑) 土地に愛着って無くて、むしろ出たい出たい、情報にアクセスしたいという気持ちがあって。だから初めて渋家に最初行ったのもそれで、藁をも掴むような思いというか。それが大学のとき。22歳まで広島で大学生をしていた。東京に就活とかで遊びにいくときは、シェアハウスを転々としてた。渋家が駒場東大前にあったときの、布掛け事件の準備期間に遭遇してるんですよ。東大に忍び込んで、みんなで布をセッティングするっていう。

──そうだったんですね。

そのときに、解放されたっていうのは変だけど「こんな感じでも人間いいんだな」みたいな。そこですごいいろいろ打ち砕かれました。

 

 

 

Hey Shingo!  あなたの仕事について教えて。

 

 

──東信伍さんは作品然としたものを作ってないから、仕事のキャリアを聞くべきなのか、どう進めていったらいいのか迷いますね。どのように進めていったらいいだろう?

俺が聞きたいよ。自分がいったい何なのかインタビューするから、とか、テレビとかたまたま呼ばれたりするから考えるんだけど、ぜんぜんまとまって説明できないというか。むしろ教えてもらいに来たという感じなんだけど(笑)

──東京にやってきてからを時系列に聞きますね。まず最初になにをやってましたか?

最初は、仕事で言うと2年間物件サイトのホームズをやってるネクスト(現:株式会社ライフル)という会社にいて、その後、今の株式会社メルタに来ました。

──この会社に入ったきっかけってなんだったんですか?

東京に来てネクストで働き始める前に、就活でいろんなシェアハウス行ってて、働き始めるタイミングで、その中のギークハウス新宿というところに住まわせてもらうことになりました。そのとき、ギークハウス間で「金曜日とかに集まって軽く飲もうか」というイベントをやってて、そのときに今の社長と知り合いました。浜中君って言うんだけど「ニート」って書かれた名刺を持ってて、聞いたら「働いてた会社が倒産した」ってことでみんな代々木公園に集められて、解散みたいに終わったらしくて。それ以降は「ニート」って書いた名刺を持ってサービス制作とかやってたらしくて。そのときに「3Dayプリンター」の原型をもうやっていて、それがサイトとかも自分で作ってて、無料素材の画像を並べて「注文する、届く、3日で届く」みたいな酷い出来だったから、なんか、酷い出来だったんだけど、自分でやってるって凄いなと感じていました。これはもう、手伝いたいなって思って。

──そうだったんですね。一緒に立ち上げたメンバーなのかと遠くから思ってました。

ちがうちがう、もともと最初は彼が一人で始めて、しばらくサイトの改修を土日とか空いている時間に手伝ってて、そのときに、会社を共同創業者と2人で立ち上げて、仕事とかもあまり入って来なかったらしくて。それで「制作費を払えるか分からないけど、もし、作ったサイトから収入があれば2割を払う」って言われて。一応、限度としてMAX20万円までという話で仕事をしていました。それで数ヶ月後、ちゃんと仕事が入って来たらしく、満額の20万円が振り込まれて。

──えー! すごい!

すごいなぁと思って。その後もちょこちょこ手伝ったりしてたんだけど、別にそこで働こうという気はなかったんだけど、会社の1周年パーティーに行ったときに、本格的に誘われて。当時は、自分としても能力としてあんまりというか、社会に出て2年だったからね。そんな身についてるわけじゃ無いから、もうちょっと待ってくれたら力になれると思うって答えたのを覚えてる。そしたら彼が「何年か待って30歳とかなって、もうチンコ立たんやろ」って言われて、それで確かにって思って入社することにしました。

──それが2015年の末ぐらい。

そうだね。

──2社目にしては比較的自由に動けている感じは受けますね。

かもなぁ。たぶん、こっちの会社になってから、さらにフットワーク良く動けるようになってきた感じかな。仕事を退職した次の日ぐらいに、DPZの記事とかに参加させてもらって。

──DPZさんと仲が良いイメージありますね。

最初は大北さんというライターの方の記事が好きだったんだけど、その人が人を探してて、それが「盗み食いの味」というものに参加させてもらったのがきっかけですね。

──作っているクリエイションの独特の感じの原点を知りたいな、と思っていて「フリーソーメン」はなにきっかけで思いついたの?

あれは、自分で思いついたかのように言ってたんだけど、あとで調べて見たら、その1年前にDPZの林さんが「無料でそうめんを配るフリーそうめんをやりたい」ってtwitterでつぶやいてて。もしかすると発想はそのパクりなのかもしれない。これはやりたかったから、やったみたいな感じ。

──最近の活動だと「Image Club」がメインになるのかな。

そうっす。いやぁ、なんなんすかね、あれ?

──え、教えてくださいよ!

あははははははは(笑) Image Clubは未だに一言で説明する言葉がなくて、なんか、バグマガジンとかでもやってる人はアートの世界にいてて、自分のやっていることを言葉で説明できるんだけど、そういうことが、あんまりうまくできないというか。アートにするには、なんか違うし。アートの文脈で評価されるようなものを作りたいというわけでもなく。かつ、お笑いという世界でやっていく気もないから。

──オモコロの界隈でもないし、アートでも無い、といってバリバリのエンジニアでもない。なんなんだ、というところですね。

振り返ると、ずっとそういうことばかりやってたなぁと。できるだけ人がいない土俵で遊ぶようにしていたというか。

──遊びたい、クリエイションしたいというよりかは、人を驚かせたいという原動力を感じます。

あー! それはけっこうあるかも。最初からそうだったかもしれない。ストップモーションとか作って、パソコン部のサイトにのっけて、次の日に友達に「あれ見た?」っていう話とか。自分が変なもの作って、人の反応を伺うというのは小学校のときからずっとやってたかもしれない。それは、元を辿ると図書館で見ていたインターネットの、普通の大学生とかが更新しているテキストサイトで、日記をいかに面白くするかってことに力を注いでた時代。

──分かります。辛いこともすべてブログのネタにしていたあの時代ですね。

そうそう、その時代。有り体に言うと、非リア充みたいな感じで、でも自分の日常を面白おかしく表現して誰かに読んでもらうこと。それで救われる部分はあったのかもしれない。他の人と繋がるとっかかりがそれしかなかったのかな。自分から人に話しかけるとか、そういうのが苦手だし。それでも人と関わるには、何か作って話しかけてもらうほうがまだ楽というか。

──次に、シェアハウスのロゴを作っていた行為について伺ってもいいですか?

これはね、ギークハウス新宿に住んで、周りみんなエンジニアというか、Photoshopを触って何かを作る人がいなかったから「じゃあロゴ作りましょうか」って作り始めて、意外とウケよかったというか。

──デザイン、よくできますね。

会社だとデザイナーとかできる人いっぱいいるというか、自分の作ることの能力に対して何も思っていなかったんだけど、周りがエンジニアだと活かせるというか。そこで役立つことができるというのがあった。デザインというかGUIのツールを使って、見た目の良いものを作るというのは自分のやりたいことではなくなってきたというか。グラフィックデザインというものが最初から得意ではないし、そんなに好きでもないのかもなぁと思い始めた。

──得意なのはコーディング?

コーディングはずっと好きでやってるなぁ。テキストサイトを見て、こういうものを作りたいなぁと思って親を説得してパソコンを買ってもらったのが始まり。親の知り合いの謎のパソコン組み立ておじさんに来てもらって、作ってもらった。OSはこのCDに書いてあるから、このパスワードを入れてねって、今思えばクラッキングされたOSを渡されて(笑) インターネットが繋がってないから、図書館でテキストサイトのソースをフロッピーにダウンロードして、それを家にもって帰っていじって、ネットに繋がってないパソコンのブラウザで作ってた。

──すごい。ネットが家にないのによくモチベーションが続きましたね。

ネットがあったらこうはなってないはず(笑) ネットが無かったからこそ、作って世に出すことに渇望があったのかなぁ。

──そういえば、Image Clubは略して「イメクラ」ですけれども、源流となるカルチャーはあったりするんでしょうか?

Image Clubは分からないなりに辿ると、DPZMaltine Records冷凍都市でも死なないが根っこにあるなと。マルチネさんが前に本を出してたじゃない。それがおもろかったのが、レーベルってのはラベルですよ。いいと思ったもの、これにも、これにも同じラベルが貼ってあるぞっていうのがレーベルの意義みたいなのがあって、そういうものになりたい。ImageClub自体はそんなに出てくる必要はないかなって思ってて。どちらかというと、誰がやってるか分からないけど、面白いものがポンポン出てきてて面白いな共通しているなという存在になるのが嬉しいなと思っています。

 

 

 

インターネットに手垢を残せ

 

 

──この前のNHK「ニッポンのジレンマ」では何を話したんですか?

NHKの人が広島大学の広報の人に「卒業生で変わった人いないですか?」と問い合わせたらしく、それで僕の名前が挙がったようです。大学って卒業って必要なんですか? って話とか。卒業しましたってラベルを貼った瞬間にその人が大学での学びのアクセス権を剥奪してるから、そんな仕組みでやる意味あるの? とか話してたかな。でも放送したビデオを見て、自分ってバランサーなのかもなって思い始めた。変なもの作って目立つよりかは、周りの流れを見てうまいこと仕立て上げるほうなのかなって。会社でも突拍子もないことを言うタイプではないし。

──バランスを取るように動くと、奇妙なクリエイションが出てくるというのは不思議ですね。最近だと「ハンドスピナー」の作品がよかったです。

あははははは(笑)

──今回、時間が許す限り、調べたのですが、ハンドスピナーが一番いいですね。

あれ、そんなにハマったの? すごいな。

──これが最も「東信伍」を表しているんじゃないかと思ったんです。初めてキーボードで文字を打ったときの感動、自分の考えたことが活字になる感動。それに近い原体験を維持して作られているように感じました。ハンドスピナーってWebブラウザよりも、現実のほうが実装が簡単なわけじゃないですか。それなのに触って動く感動を改めて提示するために存在している。

ハンドスピナー自体もそう言うところあるかもしれない(笑) あ、回ってる! みたいな。そういえば、バーチャルろくろって体験したことあります?

──ないです。

ぜひ今、ここでやってみましょう。

 

東信伍さんがパソコンを用意して、バーチャルろくろの準備をしてくれる。今回はVRグラスタイプではなく、ディスプレイを見ながらプレイするタイプを用意していただいた。

──まさか今日、バーチャルろくろに触れるとは思ってなかったです。

(準備しながら)Leap MotionっていうAmazonで売ってるやつで、手の動きを認識できる。最初は土日で作り始めたんだよね、ギークハウスで一緒に住んでた人と。

──バーチャルろくろは、東信伍を語る上で、仕事なのかソロワークなのか見分けがつかないところではありますね。

けっこう混ざってるかなー。

──手垢みたいなものが重要なんじゃないかなと思って、「手垢のついたページ」と「ハンドスピナー」は大事なんじゃないかと。

なるほどなるほど。

──東信伍としては一番のお気に入りはなんですか?

今だったら、Image Clubの活動全体かな。今、一番力入れているというか。

──SXSWに行ってますもんね。

たまたま運良くって感じだけど。なんなのかよく分からないながらも、面白いからやっている。

──よく分からないところを温存しているのはいいですね。

バーチャルろくろの準備ができました。

──すごい、手を認識できるんだ。

 

 

チュートリアルが手の動かし方を教えてくれる。そしてユーザーがうまく操作できると、これでもか!というレベルで褒めてくれる。

 

──そして褒めるのが上手!

褒めるのは意識した。それはたぶん任天堂の影響かな。これは元はノリでやってたというか、3DのWebプログラミングの勉強がてら始めたやつなんだけど。

──このプロジェクト、始めはギャグから始まった?

最初は冗談で、Webとかでよく「ろくろ回してる」なんて言い方ってあるけど、それで実際にろくろを回せたらいいなと思って作り始めたんだけど、よく考えたら、うち3Dプリントの会社じゃん!と思って。

──3D化は後から思いついたんですね。

ある程度できたし、会社でやるかと思って。

──これがwebサイトで動くのがすごいですね。もともとはフロントだけ作れたのが、裏側も作れるようになった感じですか?

こっちの会社に来てからかな。全部独学でやってたけど、もっと作れるようになりたいから、WebGLスクールっていうこういう技術の第一人者が集まってるスクールがあって、そこにお金を払って学びに行くことにした。

 

 

 

東信伍と贈与論。

 

 

──この前の、任天堂のUI crunchはどうでした?

号泣。

──ですよね。私もtogetter経由でしか見てないですけど、感動しました。

もともと知ってて、任天堂みまもりswitchっていうプロダクトがあって、そのPR動画がよく出来ていて。

──クッパの親子のやつですね。

ただの監視アプリじゃないっていう。ゲームを通じた家族の関係みたいなものを、これだけ考えて作ってくれているのか任天堂は! すごい愛を感じる。それでもう最初ホロっときてたんだけど、作ってる人のプレゼン聞いて泣いちゃいますね。

──スプラトゥーンの書体も1から作っていて凄いですよね。

webの世界のUIとかって、ちょっとかっこいいとか、使いやすさがあって、みんな空気みたいに使えるのが良いみたいな感じだけど、絶対に面白いほうがいいだろう、みたいな。冗談とか真面目なwebサービスの中でもクスりと笑えるものがいいなと。もともとペパボが好きだったからこそ、Jugemでブログを書き始めたたし、中学生当時に、テキストサイト経由でオモコロとかも知って、これ会社でやってるんだ! と思って社長の家入さんのファンになりました。修学旅行でグループ全員を巻き添えにして会社訪問したりとか。そこでペパボのお問い合わせフォームがあって、そこのUIで「今の感情をこの絵文字の中から選んでください」というのがあって。そういうのを作りたいと思ってました。

──体験、今で言うところのUXに興味があるわけですね。

そうなのかもなぁ。この「バーチャルろくろ」もぜんぜん3Dのこととかはどうでもいいというか、3Dのこと分からなくても、子供とかが触ってすげぇ面白いという体験ができたらいいかなっていうのがゴールとしてひとつある。

──情報で知っているよりも、実際にやってみると凄さがわかりますね。未来はこうあるべきだよな、というピュアな子供心が蘇る感じがしました。

最近、デジタルファブリケーションとか、ものづくりの学校で3Dプリンターが導入されたりするけど、結局3Dモデルが作れないと体験として面白くないし、3Dモデルを作ろうと思ったらCADソフトが使えないといけなくて。そのために大変な勉強をしたりとか、その時点で子供心は折れるというか。

──両手使えるのが直感的でいいですね。

あとは、実際のろくろで物を作っている人のように、たとえば釜の火の温度に気を配ったりだとか、釉薬の配合に気を配ったりというのと同じようにコードをいじって、見たことのないようなジオメトリを作って、作品を作ることができたら面白いなと思っています。

──東信伍さんは、肩書きを自分で決めるとしたらなんだと思う?

肩書きかぁ。それも毎回名刺作るたびにこれでいいのか? と思いながら「デザイナー/エンジニア」って書いてます。

──デザインもエンジニアリングも何かの手段という気がします。

そうだね。何屋さんなんでしょうかね、私は。

──先日、広島の高校生にMacbookをプレゼントしていましたよね。すごく良い活動だと思いました。これは誰かから影響を受けたりなどあったのですか?

影響ももちろんあるっていうか、もともと経済学部で、通貨の研究をしていていました。地域通貨とかの研究をしていて、お金って何かっていうと、匿名化された価値というか、俺が何かあげたら何かを返してくれる、っていうのを匿名化すると俺が何かあげたら100円玉をくれて、その100円玉を別の人に、何かに使えるみたいなシステムなんだけど、急にだとうまく説明できないんだけど。お金というシステムについて調べてました。

──なるほど。

国のお金が信用ならないっていう事態が歴史の中では頻発してるんだけど、そのときに自分たちでお金作って回して自分らで価値を担保しあってやっていったほうがいいんじゃね? みたいな。その研究の中で「贈与」というもの「互酬性」とかを調べてて。自分が何かをあげたとしても、不公平な取引が行われているわけではなく、何かしら心の報酬が存在していて、そこで取引が成立しているんだよ。人にものをあげるっていうのは端から見ると不公平な取引が成立しているように見えるけど、一対一の関係だとOKになってるからあげてるんだよ、っていうのを、やりたかった。実は、それをやる前に「RICOH THETAを貸してください」ってFacebookに書いたら知人がお叱りのコメントを投稿してまして。何が彼をそんなに駆り立てたんだろう? という体験があり、それを自分なりの応答としての贈与という感じです。

──そのコメントも読みました。奇妙な感じで印象に残っています。

欲しいものがあるときに、お金をがんばって貯めて買う方法以外でも、「欲しい!欲しい!」って言い続けたらもらえる社会のほうが絶対いいだろうっていう。

──お金以外の支払いは税金がかからなくていいですよね、と私も考えていました。

まず、大前提として人にものをあげると自分が必要なものが手に入りやすくなる。こないだ、メーン会場くんが大学を卒業して、映像とか写真とかやってるから、いろいろやりたいんだけど、Macがしょぼすぎて処理速度が追いつかなくて諦めてるみたいなことを言ってて。お金がなくて、才能ある人間が時間をロスしてるって世の中に対して勿体無いし、それだったら5万出すから残り5万は自分で集めてもらって。世界を信頼するって気持ち良いです。

 

 

 

<プロフィール>

東信伍 AzumaShingo

1991年生まれ。広島大学を卒業後、Webコーダーとして上京。プリミティブな感動をベースとした、作品・プロダクトを発表し続ける。その後、株式会社メルタに所属し、3Dプリンター事業・バーチャルろくろなどを手がける。

http://sngazm.info/
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text: 御手洗将
photo: 石田祐規
edit: 佐藤忠