はだかで石をひろう

どうも富田です。☁︎と名乗ったりもしています。6月3日からドイツ・ベルリンにて暮らし始めます。最初に住む家は家はかつてベルリンの壁があったあたりです。ベルリン行きを決めたあとバグマガジン編集の方から「いまベルリンの若者と文化の関わりがどのようになっているのかを日本語圏の若者へとフィードバックしたい」というお話をただいたため、今月からここで毎月記事を書くことになりました。どうかよろしくお願いいたします。ちょう緊張しています

とはいえ今回はまだひとつもフィードバックできる材料がない、ので最初の一歩として触れ方みたいなものについて書いてみようと思います。(あいまいだな~)エビデンスなしなので、話はんぶん気楽に(あるいはそれってどうなの?ともやもやしながら)読んでいただけたら幸いです。

最近、「この人はこういう人」などの、浅いところでの納得が増えたように思います。安直な枠きめというか、その人の一面を見ただけで全てを理解できたような気になってしまいがちというか。そしてその多くはSNSなどの普及によって「知り合い」の定義が拡がり、たくさんの人が急に身近になったことに由来していて、一気に「理解できない・わからない」人が増えた→理解できない・わからないことは怖い→言葉によって作られた枠の中にその人を入れて、みずからとの区別を明確にすることで安心する、という仕組みを持つのではないでしょうか?

他者との境について、本谷有希子著『異類婚姻譚』(講談社)という短編集について触れます。表題作中に登場する妻は夫と顔が似てきていることに気づき、妻に「俺は家では何も考えたくない男だ」と宣言する夫が徐々に行動までも妻のそれと同化しひとつのものになろうとする、という話です。「確実に自分ではない別の人が、自分と属性をひとつにする(作中では夫婦が全く一体化してしまう)」ことを嫌がり恐れた妻が描かれていて、例えばたまにインターネット上でみられる、意にそぐわない・納得のいかない返信をしてきた相手に対し早い段階で心身への障害をうたがう人や、グローバル化とその反動としてのしての排外主義がうたわれて久しい昨今、自らの属性に対して固着する人々はかなり「わからないものに近づくこと」を恐れているんじゃないのかなあと思います。けれども人はほんとうは怠惰で、それが夫の「知れた相手となら一体化してもいい」みたいな欲望、自分以外に自分のハンドルを手渡したい、みたいな欲望も同時に抱えているということじゃなかろうか。私がこう思うことも早計です

ジャン=リュック・ラガルス原作の、グザヴィエ・ドランによる映画『たかが世界の終わり』についても触れます。「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために12年ぶりに帰郷する主人公とそれを迎え入れる家族たちの1日を描いた作品で、主人公が確信めいたことを話そうとするが、そのたび家族たちは彼の告白を恐れるように意味のない会話を続けていく、という作品です。作品の中で主人公の母親がかれに向かって「あなたのことは理解できない。だけど愛してるわ」と伝えるシーンがあります。「わからないあなたを受け入れる」という振る舞い、わからないからといって拒否するのではなく、わからないのを受け入れた上で考えること。「わからない」状態を是認する勇気が大切なんじゃないかな〜と思います 怖いし難しいしどう接したらいいかわからないけれども、一度何か枠を策定し都度更新していくのもやり方としてはきっとありなんでしょうけれど……そもそも、われわれが完璧に分かり合えることなんて絶対にこないのだから、もっとノーガード戦法みたいにやっていくと気が楽な気もします。いやダメか…

石に話すことを教える

私が気に入っているテキストにアニー・ディラードの「石に話すことを教える」について書かれたものがあります。吉岡洋氏のテキストで、引用できる場所が彼のブログしかなかったのでそれを読んで欲しいです。

chez-nous.typepad.jp

ここでは文明を石に話すことを教えることだとあります。何も意味していない宇宙に秩序や法則を見出すこと、宇宙を人間化し、世界を人工的なイメージや言語によって満たしていくことだ。「沈黙」が怖いから、とも。これ、人にも当てはまるのではないでしょうか。他者をありのまま受け入れるにあたって秩序を見出さない状態は怖い、だからタイプや所属する集団によってその人を物語る身体にさせ、受け入れていく。他者は皆石で、われわれは話すことを教える(=要請する)のではないでしょうか。私はこの記事のタイトルをかなり見切り発車的に「はだかで石をひろう」にしたのですが、話す言葉も考えのベースもおそらく身近にあった宗教も文化もかなり違う人々に、なるべくありのままでぶつかっていくぞ!と言う意気込みがあるのだと思います。おそらく。

とっちらかりすぎました 次回以降は目標がはっきりしているのでもう少しまとまった、やんわりと芯のある(おそらく期待されている芸術に特化した)記事を書きますので、どうか次回もおつきあいください。他にも様々吸収するでしょうし、番外編として別に場所を用意することも検討しています。どうか次回更新をお待ちください。それではこれから1年間、どうかよろしくお願いいたします。

 

<プロフィール>

富田香織 Kaori Tomita

1998年生まれ。アーティスト。
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