デザイナー・手塚太加丸にお任せ

不思議な語り口のデザイナーだったと再認識させられた。語っているというよりかは、語りかけている。相手と話していると思ったら自分と話している。彼の魅力はどうも込み入ったところにあるようだ。でも、一度会ったことのある人なら誰しも感じるはずだ。彼の重力や、磁力が確実に存在し、絡め取られていることに。安心してほしい。彼のインタビューに成功した。

 

見えない力

 

──これまでの経歴を教えてください。

元々は木彫(モクチョウ)とかをやってたんです。木彫をやりたいという意欲があったんだけど、それで椅子とか家具とか使えるものを作っていました。それでデザインの勉強をして、自分の作品をもっと作りたくなって、作品を作るのにデザインの勉強が必要だなと思って、沖縄県立芸術大学のデザイン科に行った。そしたらけっこうデザインが面白くって、ハマっていったんだけど、途中でものを作っても問題は解決しないっていうことにたどり着いてしまって。それから2年ぐらい作品を作れなくなっちゃって、大学2年から3年の時に、渋家とか行って、ナハウス始めたりとかしてた。でも、卒制のときに作品が、というか「もの」が作りたいと思って「人間の巣」を作った。

 

──そうだったんだ。

デザインは面白いんだけど、難点があって、歴史上、生産性とか経済から切り離せない。つまり人間から離れられない。

 

──うん。

だからすごい早く見えるんだけど、でも経済から離れられないから。ちょっと話を戻そう。ものを作っても問題は解決しないと。たとえばコミュニティデザインとか関係性のようなもののデザインが俺が学生のときバっと流行って。でもそれでも解決できないことってあるよね。なんでかなって思って、すごいストイックにデザインをやって問題を解決しようとすると色んなことを考慮しなくちゃいけなくて。そこが経済と結びついてるから遅くなってる部分がある。中国だったらたとえば風水とかいろんな力関係があるんですけど、目に見えない。たとえばどんだけ良いデザインをしても絶対に失敗する物件があるとするじゃない。それってもうデザインの失敗じゃん。物件が持っている見えない力まで、巻き込めなかったから失敗するんだよね。

 

──そうね。

そういうことがいっぱいあるんだなぁと思って。目に見えない色んな力。別にスピリチュアルとかじゃなくて、普通に重力とかさ。重力けっこう面白いなと思ってて。物にはみんな引力があってっていう。いきなりスピリチュアルに飛ぶと余計分かりづらいというか。俺もスピリチュアルはスピリチュアルだとは思ってないから、自然にあるものだから。たとえば引力ぐらい分かりやすいものだったらもっと話ができるかな、と思って、それをやるんだったらデザインは遅いんですよ。それはたぶん芸術の方が全然早くて。そういう世の中になって欲しいと思って。変えるなら芸術やったほうが早い。たぶん去年屋久島でやってた山の展覧会とかも、ああいうことはデザインではできない。

 

──確かにそうだね。

そこには経済が発生してないから。人間じゃないから。まず、山があるとして、山のスピリチュアルなものを抜き取ったらそこには山の物体が残ったとしても、重力的な引く力とか、地場的な力とかは絶対にあって。そういうことをもっと自然に考えて生活している世の中ほうが面白い。そのためにはやっぱ美術やんなきゃいけない。見てみたい。そういう世の中のほうで俺は生きていきたい。そういう点では俺けっこう一貫していると思ってるんだけど。だから石が上から転がってくるんですよ。

 

──そうね。

石を持って川に入れるわけですよ。木は立つし。その一部が自分になってるから山になれるとか。みたいな、ものとの、俺もあなたになれるし、コップになれるし。経験として一部に入ってくるみたいなことが、普通になったらいいなぁと思って。

 

──「経験として一部に入ってくる」か……。すごい世界観だ。

それがさ、山だと経験の一部じゃなくて、完全に肉体の一部に入ってくるじゃん。普通に筋肉つくし、みたいな。だから山が一番分かりやすいって思ってるんだけど。

 

──「地域を愛する」って難しいけど「山を愛する」だとすごいやりやすいなと思う。筋肉付いたり水を飲んだり。明らかに体調が良くなったりとか。

人もそうなんだけど、考え方が変わったりとか。ということを考えていて、なんでBARRAKやってんのかなって。

 

──もうBARRAKも4年? 5年?

5年目。2014年から。俺、「しらこがえり」と「BARRAK」を同時にやってるの。スタートが。

 

後で調べたら
・ナハウス 2012年スタート
・しらこがえり 2013年スタート
・BARRAK 2014年スタート
という時系列でした。

 

──ナハウス設立の2年後なんだ。

基本的にはBARRAKも同じことを根底には考えていて、「しらこがえり」を骨だとしたら「BARRAK」は皮膚だから。とはいえ、沖縄で美術とかやろうと思った時、現状の状況は解決しとかないと、これは自分が活動できなくなる。じゃあ屋久島に帰ればいいじゃんみたいな話になるんだけど、そうじゃないんだよなぁ。発信……感情だな。BARRAKはけっこう「感情」なんだよな。

 

──那覇・沖縄にある重力みたいな。

それに引かれているからいる。だから建物には出会うべくして出会うから、俺の中では割と当然というか。

 

ちょっと妙なタイミングで説明するけど、太加丸の大きな仕事を説明しておこう。

ナハウス──アートプロジェクト渋家の活動にヒントを得て、石黒裕起・手塚太加丸が那覇ではじめたプロジェクト。一軒家を丸ごと借り切り、個室を作らず、オープンでオルタナティブなスペースとして利用している。

しらこがえり──故郷である屋久島の白川山に、10年かえり続けるプロジェクト。自分または友人が白川山に帰る行為を通じて、次の100年を見据える。2017年には「/jama/」をテーマに展示をした

BARRAK──那覇にある共同制作スペース。アトリエと製作所とギャラリーを併設している。2017年7月に那覇美跡ビルに「BARRAK1」を新たに設立。

この3つの仕事を念頭において読んでくれ。

 

──引かれて着地したら建物があった。

街だと建物重要だから。やっぱ人が重要なんだよね。作品とかも俺は物ができたときしか作品だって思わないし、言わないようにしてるけど、それができるだけ自分で考えたくない。

 

──なるほど。

本当はものの配置だけで状況が生まれて、その状況が物を作るっていう出来方が一番面白いというか、デザインだったら一番正しいと思う。そこに自分の思考のようなものをできるだけ排除して、ほんと一滴。その一滴がデザイナーの勝負。だから素材を加工しないし、そこに人が入ってくるし。

──なんかの太加丸の作品のコピーで「そこにあるもので、そこあるべきものを作る」みたいなことが書いてあって印象的でした。

本当はみんなもうね、そもそもできるんだよ。そもそもできるんだけど、どっかで詰まってるっていう。必要なのはいいアイデアじゃなくて、いい配置なんだよな。

 

──いい配置。

人だと苦手なんですよ。ふふ(笑) 感情があるからね。そこまで考えないといけなくて、どっちかっていうとそれに特化した人ではないかな。だからBARRAKがなかなかうまくいかないんだろうなと思ってて。俺が人の配置が苦手だから。だから物件新しくして、こう、使い方を分けたりとか。間取りで考えるんだよね。先にそれがあるんだよね、ここに行きたいってのがあって、それに向かうためにどうしたらいいか。っていうのは分かってるってのはそこなんだけど。

 

──遠回りも最短距離ですからね。

なんだろうな、しょうがないんだよね。これが俺の今の配置だから、ここにいるってことが。その中で自然に一番できることを全うしたいんだけど。感情があるから全うできないんだよ。別に感情を否定しているわけじゃないんだけど、極力減らした方がいいなって。判断が鈍る。だから赤ちゃんとかいいなって思って。何も判断してないのに、あんなにうまく生活できる。楽しいとか嬉しいとか無いのに、筋肉を動かして、笑ってるように見せると人が助けてくれるってことを知らないけど分かってる。それって最強なんじゃないかって。それからするとだいぶ、色んなことに変に動かされてる。ちゃんといい流れで動かされてるのか、別の流れに乗ってるのかは判断しなきゃいけない。それは一応やってきたつもりなんだよね。こっちじゃないなと思ったら変えたり。そんな感じっすかね。

 

──得意なこととやってることってどれくらいずれがある?

うーん、得意なことってあんまりないんだよな。俺が一番苦手なのはクリエイティブなんですよ。簡単に言うとセンスがない。それだったらむしろ、順番でいうと、両方やりたくないんだけど運営とか管理とかのほうがまだできる。それと比べてもセンスがないと思ってる。

 

──大学1年生だった9年前と比べて変わったと感じることはある?

めっちゃ変わった。格段に変わったのは「しらこがえり」を始めてからかな。始める前までは、人前で踊るのも嫌だったし、自分の流れに対してすごい逆らってたかな。「しらこがえり」を始めてからちょっと乗れた。余分なことがなくなったんだよね、けっこう。学生時代はけっこう辛かったかな。

 

──ナハウスを始めたのって大学の4年?

3年の終わりだね。1月だから。言葉としてデザインだけど、それがデザインかってのは置いとくけどね。

 

──デザインが一番近い言葉だった。

ってかデザインだってやったほうが早い。デザインだって言ってやってないけど。

 

──デザイン科っぽくないよね。

俺は超デザインだっていうけど。

 

──ぼくも冗談で「あれ? 沖芸の土木建築科を卒業した人はどこ?」って言っちゃうんだけど。

デザインは人間的すぎるんだよね。人間的すぎるっていうか人間が生み出してきた分野だから、人間的すぎる部分だけがあんまり好きじゃなくて。それでいうとアートもそうかもしれないけど。

 

センスと勘の使いこなし

 

──制作スタイルでいうなら「私戦と風景」で近所の木材屋で働いて木をもらってきて、それで作るっていうのって、一般的にそのレイヤーでものを作ってないのが新鮮でした。

作るときにさっきも言ったけど、センスがないので、そういうところじゃなく物を作りたいから。流れが綺麗かどうかってのが一番重要で、それに対しては作っているときに「うまくいったな」とか「うまくいかなかったな」とかは感じる。丸木のときはすごくうまくいったんだよね。あれができたから少し自信になった。

(※「私戦と風景」のときの太加丸の展示については学芸員さんのブログが素晴らしいので、そちらをお読みください)

「私戦と風景」における太加丸の作品

 

──木をもらってくるという物語も素晴らしかったし。

まずそこに住むっていうところだけを出発点にして、最終形態の物を考えずに、俺の動き方次第で勝手に出てくる。素材もそうだし形も。素材が決まるのが一番でかいんだけど。それで言うと前回の「自営と共在」はぜんぜん出来なくて。難しかったんだけど。たとえば、木がいっぱいあったじゃないですか。あの木をどうやってもらうか。そこに流れがあるかどうかが重要で、あれ途中までうまくいったの。やんばるにもらいに行って、ちょうど行ったときに、一週間前にいっぱい切ったからってゴッソリ貰ってきたんだけど、でもね、なんかね、空間を埋めるみたいな話の時に足りなくなるの。もともと想定の半分しか手に入らなかったの。それは別に手に入るものでいいやと思ってたんだけど。作品ぽさみたいのがあるじゃん。展示するときに。作品に、このあいだのえりこの話じゃないけど「作品になる/ならない」っていう微妙なラインがあって。そのときに作品になんなかったんだよね。だからもう一回取りにいった。切られた木があったから。それを積んで、俺、一本だけ切ったんだよね。木を。

 

──うん。

それがね、流れをちょっと変えてしまった。

 

──センスは無くても勘はあるよね。

勘だけだね。で、あれが本当に流れに逆らってるのか、そこは感情なんだよね。あそこにあれをいいサイズが欲しいってのは俺の欲望で、そこが入ってきちゃった。

 

──あー、それは分かるわ。欲望が流れを止めてしまうというのはありますね。

乗らなきゃいけない欲望もあるんだけど、実際あの木がなかったら展示としては成立してないんだけど、そのせいで、作品としては成立してなかった。

 

──BARRAKの建物を貫くあの木ですね。

本当は10本ぐらいが屋上まで貫く感じだったんだけど…。みたいなことがあるんだよね。欲が出たときに、作品を作ろうとかいい展示をしようという欲はできるだけ無い方がよくて。欲はね。意識は必要なんだけど。意識と欲は違うものなんだよね。

 

──魂とか流れにうまく殉ずれるときと、そうでないときの差異ってなんだろうね。

ゆうきと一緒にやってた映像のときとかは、完璧では無いけど割とうまくいったほう。

(※展示「間(のめ)」にて出品された映像作品。「山について考える – 石を動かして積む -」)

 

──そうね。ひかるくんも褒めてた。

うまくいったほうで、なんでなんだろうね。あんときは割と作品を作るっていう欲はあったんだけどね。

 

──お互い完成形分からなかったからね。よく編集したなぁという感じ。

繋げただけだけどね。なんか全体的に流れが綺麗かっていうのが一番重要で、それを欲が邪魔することがよくある。だからなんでも時間がかかる。時間がかかる人だね。でも、その時間は短縮できると思ってて。

 

──ほう!

絶対。できるだけ思考を減らせば短縮できる。難しいけどね。作るときにどう作るかって思考を減らすと逆に早くなる。勘だけでできれば一番いいんですよ。その勘を養うために「しらこがえり」やってるし。

 

──確かにその勘みたいなものを育てている感じはあるな。

勘はやっぱり経験じゃん、絶対的に。夜中に物音がしたとして、それは経験値によって「これは鹿だな」って分かる。鹿かどうか分からないけど、音がした瞬間に鹿だって分かる。鹿だと思って足音が変だったら「変だな」って思ったり。そういうのはちゃんと生きていくために必要な勘なんだよね。その差異が分かるのは。うまくいっているときと、そうでないときの差異が分かるってのは生き延びる確率が高いと思ってて。単純に勘で進むってわけじゃなくて、そのためには経験が必要で。本質的な勘を鍛えるための経験は「しらこがえり」だし、もうちょっと外寄りの勘の経験を鍛えるために「BARRAK」があるという感じかな。関係性は。より分かりづらくなったけど。

 

──これまでの作品の見えずらかったところの見方みたいのが、流れとかスピードなんだなって。スピードって単語が何度か出てきてたから。

早いか遅いかと、軽いか重いかとかは勘として考えてる。意外とその4つぐらいかな。それでやっていけたほうが自分が楽だし、それでこう勝負できるのは沖縄の利点だと思ってるから。スピードを落として勝負できる。日本だったら沖縄が一番いいなと思う。そのスピードの落ち方がいいのかな。

 

──物語や流れを大切にする態度が成立する前は何を作ってたの?

作ってないよねぇ。大学卒業してから、初めての展覧会が「私戦と風景」で、先にナハウスとかBARRAKとかあって。作品は作りたかった。巣とかは作ってたけどね。あれは俺のなかで完全にデザインの作品。デザイン科の卒制で作って。だからすごい転用しやすいんですよ。あれフェスでも使えるし。あれが自分の作品だっていう、あれは流れとかを断ち切れるんですよ。最初は断ち切らずにあの形にできたけど、形を転用してるんだよね。けど、「私戦と風景」の作品は転用できないからね。あのサイズであの経験がっていうのを。

普通の話だけど、最近考えているのがちゃんと価値を変換していかないといけないと思って。超普通の話だけどね。それの面でうまくいったのがあの床を使って、築地の内装をするとか。

 

──増沢大輝のキッチンプロジェクトですね。

WAITINGROOMて立てた木を使って、本棚を作ったり。あと、店舗の内装をして食品券もらったり。流れをゆっくりにして、ゆっくり回すから、その流れのなかのどっかでお金になればいいんですよ。なるときもあったり、ならないときもあるけど、ひとつそのお金にもなるルートを作っていたほうがいいなとは思ってて。

 

──そうですね。持続可能性がないとみんな辞めてしまうから、太加丸のようにうまくやれていると羨ましい。

全然うまくはやれてないけど、BARRAKやってんのはそれはデカい。「BARRAK1」に移って、仕事してるのが一番あるかな。

 

──以前に「仕事と活動が一致している」という話を覚えていて、それがいいなと思ってる。

一致しているように見せたいし、軽やかに見せたい。実際はやっぱ大変だけど、大変っていうかバランスが難しい。その仕組みを作るのはうまくないので。結局自分のマンパワーになると俺も死ぬし、みんな死ぬなって。

 

──人間が苦手といいつつ、コミュニティやったりしてるのがすごい面白いなというか。

価値をどう変換するかってのは、美術やるんだったら、だし。どうやって生きていこうかなっていうのは、さっきの、どういう世界を作りたいか、ってのと同じくらい根底にあるから、その方法を確立しないと絶対死んじゃうじゃん。死んじゃうってのは作り続けられなくなっちゃう。そんとき、死なないためにちゃんと2つ用意してて、その流れの中でどっかでお金にするってのと、最悪無くても火焚けるしなみたいな、その層がある。

 

──面白い。

この、最悪無くても火焚けるってのが一番大事で、ないと、めっちゃ不安になると思う。遅いからさ。それが白川山であって、それを作ろうとしてるのが「しらこがえり」だから。まぁ最悪大丈夫だろう、と思ってやってたほうが楽だしね。

 

──じゃないとプレッシャーで押しつぶされちゃう。そこらの一般家庭から太加丸が生まれてきたってなったら違和感あるし。

はは(笑) 今に俺にかかってるプレッシャーってそんなにないからね。

 

──以前よりかは、何かをあきらめるところから突破できたように感じます。

それはでも、結婚と子供ができたのが大きいかもしれない。まったく変わらないけど、別にプレッシャーとかないじゃん。基本的には。誰かに求められてるわけじゃないし、結果を出さないといけないわけではないし。それを勝手に自分で負おうとしてた部分と、負ってたほうが自分が動けるってのがあって。そういうのは無くなったかもしれない。

 

──太加丸が太加丸という人間を稼働させているガソリンってなんなんだろう。

ガソリンか。幻想ですね。こないだ誰かとそういう話をしたんだけど。俺の幻想はやっぱさっき言ったような世の中になった方がいい、生きやすくなったほうがいい。っていう幻想だよね。それをねエンジンにしないといけないんだけど、ガソリンだから消費するんだよね。まだエンジンになるほど確立されて無い感じかな。ガソリンとエンジンで言うと。今はそれをたまに思い出して信じてるということでしかない。別に誰かのためにやってることじゃないから。沖縄のためでもないし。

強いて言えば自分のためだけど、それはそう言ったほうが自分が生きやすいっていう。別に自分のためでもない。

 

 

<プロフィール>

手塚太加丸 Tetsuka Takamaru

1990年屋久島生まれ。2013年沖縄県立芸術大学卒業。 主な活動として、故郷である屋久島の白川山に、10年かえり続けるプロジェクト「しらこがえり」を1013年より開始。 2014年には沖縄で共同制作空間「BARRACK」を立ち上げ、企画・運営を行う。 2012年1月にナハウスというオルタナティブスペースを立ち上げており、それは現在もアーティストの活動旅店として稼働中。主な個展に『乱反射(lit/岡山・宇野/2013)』、『しらこがえりがえり(space de uehara/那 覇/2013)』、 『しらこがえりとそれら(BARRACK/那覇/2015)』『間(のめ)(東京/2016)』『私戦と風景(埼玉/2016)』『自営と共在(那覇/2017)』など。

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