LOUNGE NEO 店長 鈴木将

1. LOUNGE NEOのはじまり

道玄坂を上がる途中に現れる、第8矢澤ビル。元々ゲームセンターだったというこのビルは見た目がとても仰々しい。中に入り暗い通路を抜け、エレベーターで5階に上がり扉を開くとそこが LOUNGE NEO だ 。『家-Yeah-』や『GOOFY』、『POOL』など色々なモンスターパーティが生まれ、渋谷のカルチャーが好きな若者たちが夜な夜なここへ集っている。だがそれもここ2,3年にできてきた文化だ。今回、BUG-MAGAZINE ではそんな渋谷のシーンを作り、支えてきた店長である “スーさん” こと “鈴木将” をインタビューした。2016年8月5日 (金) に行われる『渋谷の街の物語』の紹介も含め、イベントを倍楽しむためにもぜひ彼のことを知って欲しい。

鈴木 将「出身が山形の天童市っていうすごい田舎なんだけど、最初は福島県の大学に行って中学校社会の先生になろうと思って、実習に行ったらこんなの無理だっーて。 俺、頭良くなかったから全然教えられなくて「先生違います!」とか言われて「そうなの!?」みたいな。 これは先生になっちゃいけないと思って大学4年の冬に就活を始めて仙台のイベント会社にギリギリ受かって入社した。

最初の仕事の東北エリア担当のプロモーターを4年くらい続けていた時に「正社員で迎え入れるから東京でマネージャーをやらないか?」と誘いの話を頂いて上京したんだけど実際に行ってみたら「バイトからでいい?」って言われそれは無理だと断って、東京に来てから就活することになったんだよね。それで東京の人に相談してたら「ここで募集してるよ」って紹介されたところがメジャーデビューが決まったアーティストのマネージャーの仕事で、他に全国ツアーを作るライブ制作だったり、フェスの立ち上げなんかもやったりしてた。 けど、東京に出てくる時に「俺やれんぞ!」みたいな気持ちで挑んだんだけど中々難しくて自分のスキルのなさを露呈されたというか、良い仕事ができた部分もあるけれど、アーティストにも迷惑をかけたし、ダメな部分もすごいあったから俺マネージャーダメだなって思って28歳くらいの時に実家に帰って近所の工場で働こうと思ったんだよね。

でも、「今から別の仕事はできない、俺にはこれしかできない!」と思って何をしようか考えた時に高校の頃の夢を思い出して。「そうだ! 俺は店がやりたかったんだ!」って。改めて仕事を探していたら今の会社が求人を出していて、面接したら採用になって最初に Glad の担当になったんだよね。でも、入社してすぐに上司も採用してくれた人もすぐに辞めちゃって、ブッキングとか色々全部1人手探りでこの仕事どうしたらいいんだーって思いながら Glad の店長を3年続けて、やっと落ち着きが出てきた時に LOUNGE NEO の店長をやらないかって話があって。元々デイイベントだけじゃなくてクラブイベントもやりたいと思ってたから、クラブで遊んだり、出演しているアーティストと交流して、入社後 Glad のデイの店長をやりながら毎月第3月曜日にクラブイベントを今 MOGRA でVJやってる すーすけ ってやつとやり初めてたんだけど、結婚式の二次会や学生サークルの飲み会メインだった LOUNGE NEO にもこのコンテンツを落とし込めるんじゃないかと。正直、2店舗の店長になって給料もあげたいという気持ちもあって (笑) 。誰も店長をやってなかった LOUNGE NEO の店長を「俺がやります」って会社に手を挙げたのが3年前かな。

当時、土曜日のクラブ明けの日曜デイで開催されるクラブミュージックを中心としたイベントは「サンデーアフター」って呼ばれてたんだけど、正直あまり盛り上がってなくて。だからデイタイムでどうやって、何を盛り上げていこうか悩んでた2013年の頭に、TREKKIE TRAX の seimei とクラブで出会った。ここから一気に若い世代との繋がりができはじめたんだよね。

同時期に NEO でも JaQwa さんが主催する BASSMUSIC 中心のパーティー『BASSUP』が始まって、LOUNGE NEO って名前がちょっとずつ知ってもらえるようになってきた。NEO の店長になったタイミングでパワーのあるスピーカーが導入されたことも大きかった。

いい音楽をいい音で聴くっていう至極当たり前のことに立ち返った結果が新しい LOUNGE NEO を生み出した。そして、TREKKIE TRAX の1周年のイベントをうちで開催した時に改めてこのカルチャーの面白さと、初めて LOUNGE NEO って店にハマるもんがきた! って、応援していきたい! って強く思ったんだよね。その TREKKIE TRAX の勢いも加わってうちに色んなパーティが集まってきて繋がりが持てた時にやったのが NEO の周年イベント『家-Yeah-』ってパーティー。 それが2014年くらいかな、みんな一緒になって協力してくれてそれがめちゃくちゃ盛り上がったんだよね。

TREKKIE TRAX が NEO をホーム、「家」って言ってくれたり、沢山のアーティストが誰も知らなかった LOUNGE NEO の名前を売ってくれた。HyperJuice が WASABEAT のインタビューで「NEO」ってワード出してくれた記事があるんだけど、あれめちゃくちゃ嬉しかったんだよね。絶対忘れない。お陰様で遊びに来てくれるお客様もパーティーを開催してくれるオーガナイザーも増えてどんどん色んな人達が集まって今にいたるって感じかな。」

 

2. 渋谷の街の物語

『入学式』や『昭和』、『俺なりのモグラ』など本当にクラブイベントのタイトルなのか? と思わせるタイトルのイベントをいくつも生み出してきたスーさん。どのイベントも一風変わったタイトルだが実はフタを開けてみるとコンセプトがしっかりしていてクオリティの高さに驚く。そして次のイベントのタイトルは『渋谷の街の物語』だ。よく道玄坂あたりのクラブやライブハウスに行く人は知っているかもしれないがアノ建物の名前を使ったイベントだ (なんときちんと許可も取りに行ったとのこと) 。次のイベントに対しての思いなどを聞いてみた。

鈴木 将「clubasia は入社した時からずっとやりたいという憧れがあってどうすれば asia が埋められるかずーっと考えてて、まだダメだ、今の俺じゃだめだ、って毎年思ってたんだけど、今年の誕生日企画を NEO で開催しようと決めた時に、「asia 空いてるよ」って部長に言われて、いつも NEO でお世話になってる、今日まで出会ったアーティストの力を借りれば「今ならいけるんじゃないか」と思ったんだよね。それでみんなに連絡したらすぐOKをくれて。今の「渋谷」「LOUNGE NEO」って言ったらこれ! みたいなものが詰まってる良いパーティーが作れたんじゃないかなってと思う。

タイトルにもあるけど「渋谷」ってワードは大事にしたくて。何で渋谷? って聞かれると正直困っちゃうけど……僕の遊び場、仕事場、拠点は主に渋谷で、働き始めた2009年から考えても随分変わってしまったし、そんな移り変わりが激しい渋谷の流れに必死こいてしがみついてでも居続けようとしてしまう渋谷の街の面白さを沢山知って欲しいなと。

そして遊びに来たらどんどん俺に話しかけてほしい。一応、俺の誕生日企画だから一言くらい「おめでとう」って言ってほしいけど (笑) 。これ誕生日企画かよってぐらい最高にカッコイイアーティストで溢れかえってるから、みんな繋がって、それこそ全員で最高を共有したい。

今、毎日書いてるブログも俺がどういうやつか知ってもらうために書いてたりもするし、遊びに行くパーティーの主催や店の店長の顔が見えてることは、遊びに行くほうとしても行きやすさ、安心感、楽しみ方が広がるんじゃないかなと。結局のとこ「お客様」と「店長」だし境界線は絶対に必要だけど、共有できる人が多いほどパーティーはきっと倍楽しくなる。これは秋葉原のクラブ MOGRA から学んでる部分が大きくて。MOGRA はお客様、アーティスト、ボーダレスに繋がれて音楽を共有して楽しめる素晴らしいクラブ。通い始めてたった1年で、MOGRA で秋葉原で活躍する素晴らしいアーティストを NEO にお呼びして『俺なりのMOGRA』っていうパーティーが開催することができた。繋げてくれたのは LOUNGE NEO でもお世話になっている、MOGRA でもキーマンのワイパくん (DJ WILDPARTY) 、haraくん (HyperJuice) 、そして何より店長の D-YAMA さん。店長の顔がしっかり見えてるお店は安心して楽しめるんだよね。そして MOGRA は店長の D-YAMA さんが現場にいるだけで楽しさが増す、もうどっかいってくれーって思う時もあるけど (笑) 。

話しかけるのは勇気がいるかもしれないけど俺は多分そんなに悪いやつじゃないし気さくなやつだと思うから気軽に声をかけてみてください、1杯は確実におごります。そして、最高の時間を共有しましょう!」

 

3. これからの「LOUNGE NEO」

鈴木 将「去年、2016年はどうなるんだろうと考えていて……これまでやってきたことと同じことをやっても店としての成長が見えなければいけないなと思い、「NEO はこういう事もできるよ!」って姿を見せたかった。LIVEアーティスト中心のパーティー『あの日の声を探して』、最高のDJでとにかく踊る! をコンセプトにした『いつかこの音を思い出してきっと泣いてしまう』、この2本はこれまでの NEO で見せれなかった姿だったと思う。

これからとしては、今まで LOUNGE NEO を盛り上げてくれてきたアーティストがワンステップ上がっていくためにも若い世代のアーティストをフックアップできる場を作れればなと。新しい世代のスター選手が今の若い子達の中からドンドン出てきて欲しいなって思うし、その発信の一端を担えたらいいなとは思うよね。一過性にならないようなしっかりとした土壌を作っていきたい。何かが崩れてしまった時に土壌が弱いとまた立つことができない、続けるためにも強固な土壌が必要かなと。今自分が店長であってオーガナイザーになってるんじゃないかと思ってて。

メイクするパーティーは他のどんなパーティーにも負けたくないし、どのイベントよりも良いパーティーだって思われたい。でも俺は店長であってオーガナイザーではない。店づくりが疎かになってないか? というのは今とても見直していて、これまで負けたくなーい! でガムシャラにパーティーを作るだけじゃなく、LOUNGE NEO という店に腰を据えて根を生やさなければいけないなって。

ただ、面白そうだなって思うことはこれまで通り全部やりたいとも思ってる。これまでやり続けた結果が今だ思ってるから、より土壌を固めて強いパーティーを築いていけたらなと。

LOUNGE NEO なんて名前はこれまで誰も知らなくて、何もなくて、本当に何も。店長も何度も変わってるけど何も残ってなくて。全然何もはまらなくて。全てはチャレンジし続けたオーガナイザーと、協力してくれた沢山のアーティストと、足を運んでくれたお客様が、「あぁ、ここはこんなに魅力あるお店なんだ」って気づかせてくれた。「こうなると思ってなかったー」ってのが正直 (笑) 。

全てはクラブで遊んだ結果、誰も NEO の店長やらないなら店長になってデイのクラブをやってみようかな、じゃ2店舗店長だし給料上がるんじゃない? 僕店長やります! バカで単純な考えに、ちょっとのチャレンジと、ちょっとの勇気、それだけで何かが始まったんだよね、あとはもうやるしかねぇ! って感じで。それが正解だったのかなぁ。自分が面白いと思ったことは正しかったのかなって今はほんの少しだけ思えるようになったかも。でもまだたったの3,4年のペーペー店長。

何かを語るにはまだ早すぎるかな (笑) 」

Text : BUG-MAGAZINE編集部