増田捺冶(728)が台湾に飛んでどれくらい経つだろう。作られた音楽越しに生活の香りは立ち上ってくるが、いまいち肌感ある営みのディティールが見えてこない。だって彼を知る手段はいつだって音楽的で、本当はもっと詳しく知りたい。ならばインターネット越しに話しを聞いてみよう。そんな気持ちで僕は増田捺冶に2,066.71 kmの距離を超えて通話をした。
聞き手=石田祐規
──Lineでインタビューの話をすると、捺冶がインタビューを無視するような反応だったから、やりたくないのかと思ってて。
余裕のないときに話してしまうと、急いだ言葉しか出なくて。
──今は落ち着いてきた感じ?
そうね。一昨日MVを出して、なんか落ち着いた。百恩がいい感じにミキシングしてくれた。イヤホンでもう一度聴いてみてよ。
日本語と中国語を行き来するから、分からない人にも聴いてもらいたくて毎回字幕をつけてる。
あと、今朝急に日本に帰りたい気持ちになって。もしパっと帰れるんだったら、たぶん今が帰るタイミングなのかもしれない。曲を出して思った。
──どういう気持ちでこのリリックを書いたの?
台湾に来たのが、ちょうど4年前の7月。映画アンダーバーの上映会をした次の日にパッと台湾に来ちゃった。そのときも同じような気持ちで。今の自分になんかこの場所で言いたいことは言い終えたから、さっと移動しちゃう、さっと消えるかって。それでこっちに来たんだけど、それから4年経って。
──そこを詳しく聞きたいね。難しいだろうけど、アンダーバーで言いたいことって簡単に言うとなんだったの?
どうしようもなさとの距離、みたいな。生きてるといろんなことが起こるじゃん。身近な人間関係だったり、この都市の風景だったり。目の前で起こっていることに対して直接レスポンスできるとは限らない。ちゃんとレスポンスするまでの時差の間に感じる、「どうしようもなさ」みたいなものと、どう向き合っていくかということだったり。
──6月8日のツイートをみて、2019「残された、私たち」2020「前より前へ」2021「住処を探して」2022「傷を教えて」ってツイートを見つけて、考えていることの年間テーマだと思っていて、映画アンダーバーはどれを表しているのかなって
「アイロニーの道を歩く」みたいな。ラストで桜の河川敷で背を向けて歩いているシーンで終わるんだけど、スクショを送るね。実はこの最後めちゃくちゃ好きで。
──「アイロニーの道を歩く」か。ちょっと俺の頭だと理解しにくいんだが。
映画の中で、恋人─二者関係と自分─あと、社会や学校とか制度みたいなものと自分。あと変わりゆく街と自分というのを描いているんだけどあれは。みたいな中で、最後のシーンとして「都市開発中の景色」と「桜」と「背を向けて歩いている自分」みたいカット。
──少しわかってきた。そういう気分になることあるよねっていうのを高校時代にチームに共有して撮れたのがすごいよなって
拙い映像なんだけどね。詩集とかもそうじゃん。拙い言葉が並んでるじゃん。拙いなりに、何かを言うみたいな。批評みたいにがっちり言語を固めて何かを言うというよりかは、未熟なんだけど何か言う。言わなきゃいけないし。子供っぽさみたいなものを100%表現できる自分かって言われたら、そうでないから苦しいものがあったり。逆に子供っぽさ全開で生きてる人っていいなって思うし。自分は大人になったわけじゃないのに、そうじゃない態度を見せなきゃいけないみたいなことに、違和感というか。なんでこうなっちゃたんだろう、みたいな。当時はそういうことを考えていた。
──うんうん。
例えば普通に生きてたら何も感じないけれど、その普通が崩れてしまった経験とか。みんながみんなマッチョなわけじゃないから「その後」のことがすべてうまくいくわけではない。自分は単純にそっち側の人間じゃかったんだよな。
──逆に、マッチョな人っている?身近に。
あんなに真面目に小さいことを話していたのに、大きなことが見えた瞬間、パッと移ってしまう人とかさ。でもその小さいことを話すあの空気が好きだったのに、とか。
──増田捺冶が高橋脩と電話したときに、いなくなっちゃった人たちはどこに行くんだろうって話をしてたのを覚えていて、それをホットトピックとして切実なものとして話そうと思ったのはなんでなの。
普遍的に多くの人は社会のマジョリティになりたい、力のあるマジョリティになりたいって思ったりするわけよ。例えば麻布も普通の社会だから、そういう人たちも多くいる。だけど、目の前ではいろんな小さなことが起こってるわけ。その小さなところに、更に大きかったり小さかったりする物語があって、その切なさや儚さをいろんな方法で共有したり、できなかったりする、みたいな。その「できなかったりする」体験を考えていた。
──すごい分かった。そういうことだったのか。
閉鎖的かつある程度の規模があるところ、でしか感じられないのかもしれないけど。
──それが社会であり、社会はどこにでも作れるんだなって思った。
だし、どこにでも作れるし、いつでも消えてしまう。例えば中島晴矢さんの文化祭後の「足がつかない」ような感覚だったり、僕はものすごく分かった。共感というか、それが現実だった。世界の中心がなくなっていくような感覚みたいな。
祭りのあと、友人たちの多くは実にスムーズに受験生へと転身を遂げた。たしかに例年、学年の半数近くが浪人するとはいえ、しかし私は、それこそ地に足がつかなかった。
オイル・オン・タウンスケープ 第五号(後編)
──ふむふむ。
それが、俺の中では「アイロニーの道を歩く」ような感覚だった。実際、「歩いている」ことが多かった。授業に出ずに、大手町の方を歩いていたり。そんな気持ちと、その気持ちにさえ応答してくれない「無機質な」街と、なんだかものすごく嫌になっていた。台湾に来たのも、そういうところからなのかもしれない。実際「もうここでやることはない」なんて言い切っていたし(笑)。
──すいません。うんこがしたくなったので(離席する)
(増田捺冶、その場にいる百恩に話しかける音声が残っている)※叁朝屋のメンバー
──ただいま。
それで文化祭の話を話した。
──ここは話すと無限に長くなりそうだから、これくらいにして、そういう気持ちでアンダーバーを撮って、台湾に来てからはどんな気持ちだったのか知りたい。
ゆうきもさ、もっとゆっくり話そうよ。そういうものに対する説明ってコンディションや言い方とかによって変わるし、ゆっくり話そうよ。
俺も最近、Youtube撮ってて思うんだけど、型ができて、型の中で動画を撮るみたいな意識が芽生えてしまうと、自由な言葉や表情が撮れなくて、かなり苦しくなる、ていうかさ。でもナマモノの撮るのは難しい。ナマモノの存在する時間にコンディションがいいとは限らないし、とか。だからゆうきとのインタビューであんま焦りたくなかったのも、「ナマモノ」を残してちゃんとした言葉を出すために、ゆっくり話したいなぁって。
──そうだったのね。
そうそうそう。タイミング大事。例えば雑誌なんて出ないものだから。「ナマモノ」からちゃんと本になる確率、10%くらいなんじゃない?結局「ナマモノ」って、そこで発生して、たまたま記録されて、たまたま形になって、たまたま他の人に行き渡るまでの確率ってものすごい低いんだな、と。その確率の低さを大事にすることが本当に「編集」に向き合うってことなんだろう、と。編集という枠を決めて、そこに当て込むんじゃなくて、たまたま何が起こって、たまたま編集されて、その「たまたま」を確かめるってことなんじゃないかと。
──おおお。
雑誌令和を出す前、ゆうきが台湾に来る前に書いてた文章をたまたま昨日読んで、「編集」に対してのこだわりを思い出した。編集っていうか、「編集」という言葉をもっと分解して「編む」、ちゃんと手作業で編むのと同じように世界を見つめ直すことをしないといけないと、当時は強い意識レベルで思ってて。
──うん。
俺、この1〜2年これを忘れてたんだなって。例えば麻布で言えば、ひとつの社会の中でいろんなことが起きていて、例えば中庭で起こっていること、見る人によって感じ方は違うし、見る人の人生によって、どこに行きたいかによって、角度や感じ方も違う。みんなが同じものを見ているからこそ、その差異から自己を感じ取ることができるんだろうと。麻布ではその感覚を大事にしてたんだけど、自分が見たものと感じたもの、その距離。それを捉え直して、自分の見た世界を編み直す。っていう意味での『麻布校刊』とか。例えば文化祭とか、なにか事件が起きました。それについて「どう思う?」っていろんな人と対話をすることが、俺の中では一種の編み直すという意味だった。
──うん。
例えば、自分が何かについてこう思ってますと発することは、既に他人を巻き込んでいて。自分はこう思っているけど、他の人はこう思っている、その距離はどれぐらい?みたいな。なのになんでみんないなくなっちゃうんだい?、という感覚だったり。或いは喪失みたいなものの体験。例えば渋家でも似たようなことはあるでしょう、いろんな話をしたのになんで急に消えるねん、って。
──うんうん。
世の中色々あるんだけど。それを初めて経験したっていうのが、当時のお話。
──みんな感じているのかな。それとも広く共感されるものなのか分からないんだけど、一回noteにそういう文章を書いたこともあったけど、環境があまりにも違うのかもしれない。
ゆうきが?
──そうそうそう。noteに半年ぐらい前から「中島晴矢とオレ」っていう文章を書いて。渋家が一旦閉じて借金を返すタームになったとき、責任組じゃないけど35人ぐらいの小さなLineグループがあって、そこに8ヶ月ぐらい前に文章を書いたやつで。Lineだけだともったいないなと思って、noteにも転載したのがあの文章なんだけど。
もっと一緒に暮らしたいし、もっとおしゃべりがしたいのだ
当たり前のように金を稼ぎ、当たり前のような幸せを享受することに飽いてしまったのだ
テレビやラジオやSNSじゃ得られない本当のリアルがそこにあって
街に出ればコミュニティは「会社」か「宗教」しかなくて、おれはそんなものに興味はなくて
魂がヒリヒリするようなあの空間に身を置いている1秒1秒こそが「生きている」ということであり
それ以外は死んでいる。死んでいる。死んでいる。
確実に寿命を縮めるような〝あの生活〟こそが私たちを私たらしめる要素だったのだ
けむい 目の前がやや見えない 偶然と必然から生まれるうす白い煙が家全体を多い、今日も明日も何が起こるかわからないあの現象 日常の火災だ その霞を食って俺たちは生きていた。3rdハウスに引っ越してまもない頃。としくにと齋藤恵汰が話していることが記憶に残っている。話題は「ノスタルジック」である。「過去を思い出してノスタルジーな気持ちにならない?」という、としくにの問いに対して僕は「そうか?」とぶっきらぼうに答えたのを覚えている。あのときの彼らの気持ちに私はなれているだろうか。やはり全然わからないのだろうか。もしもあの時に戻れるなら「それ、どういう感情?おれも分かりたい」と正直に言えただろうか。中島晴矢や齋藤恵汰と違い「死んだ高校時代」を過ごしていた者としては渋家と出会った19歳から31歳の今に至るまで人生が輝いている。だから全ての日々が今のように思い出せるし、接続が切れてもいない。さながら既に滅びたことを知らない城を守っているロボットのようだと言われても構わない。俺はジブリじゃなくて、ディズニーの世界観で生きている。
もちろん変化は感じている。みなそれぞれコミュニティの捉え方がわからくなっている。ライフステージとかいうクソみてーな単語でしか表現できないものによって、もともとバラバラだった私たちはまたバラバラになってしまった。ハードウェアである家を新世代に譲り、肥大化した自意識は加齢とともにやや落ち着き、あたかも俺たちは卒業したかのような機運を見せた。戻る場所なんてないのにゾンビのように渋谷を彷徨う元メンバーたち。まるであの日の議論がなかったかのように子育てに専念する友達。みんな調子はどうだい。何が起こるかわからない人生をライドできているかい? 俺はまだここにいるよ。忘れないで欲しい。俺はまだここにいるよ。忘れないで欲しい。いつかみんなが戻ってきてもいいように俺は元気でいるよ。
次の革命が起こる。楽しいことかもしれないし、嫌なことかもしれない。「インターネットが地球上に生まれた」というような衝撃が時期的に到来する。それは膨れ上がって洪水のように我々の前に姿を表すだろう。波に乗り遅れた人たちよ。堀江やひろゆきや、奈良美智や落合陽一になれなかった者たちよ。次は絶対乗り過ごさないようにしような。船はとしくにが作ってる。誰にも言われてないのに作ってる。1400万も借金して作ってる。おれは最高のメンバー揃えてる。海外にもアンテナ張ってる。合法だか非合法だかわからんところでこの波乗りを成功させよう。あるいは楽しい失敗で笑おう。
10年前に菅井と太田がアメリカに言ってギャラリーの天井の高さに口が開いたように、俺たちは生きているか。オンラインでできる仕事をして、夜は妻と酒を飲んでインスタライブ。次に花開く時、なにもかもを完璧にして美しいアーキテクチャーとともに飲もう。その時はお互いがお互いを観測しようぜ。これは星なんだ。砂漠に着地したって楽しめるよ。
なぁ、中島晴矢。
中島晴矢への返答 〝渋家とオレ〟
ゆうきの死んだ高校時代ってなんなの?
──何も言うことがないんだよね。ドラマの一話が延々と繰り返されるみたいな。何も進まないんだよね。
今度さ「俺の高校時代」みたいな感じでさ、思い出せること全部書くってのやってみてよ(笑)
──捺冶はさ、俺が書きたくないことを書かせる天才だね。
めっちゃおもろいと思う。
──「二話」や「三話」に行きたかったのよ。俺は。
いやぁ、この記事は本当に重要な証言だよ。ゆうきはこの感情ともっと、てか、この感情と向き合えるのってゆうきしかいないと思う。
──なんで!(怒)みんな向き合えよ!
みんながそうではないからこそ、この問題があるわけで。
──そうね。その話に戻すと、これみんなに書いてもう11ヶ月経つのか。俺の結論は…。いや、ごめん、ちょっと待ってね……。
…。
──なんか、この結論を口に出すとなんか。
うん。
──俺が崩壊してしまいそうだから。スゥー(息を吸う音)俺の結論を言うと、おれってたぶん料理番組の主人公なんじゃないかな。
料理漫画?
──そう。普通の人はみんな料理の味なんかに興味がないんだよ。本当に。っていう話だと思うの。
うん
──人には初めて言うんだけど、言う時になんか泣きそうになってしまって。
うん
──それで言うのを躊躇ったんだけど、あえて言うと、そこが現実的なラインっていうか。みんな人間関係の美しさ、コミュニケーションの美しさ、生まれる物語の美しさなんて本当にどうでもいいって思ってるんだと思う。
ああ。
──ということを認めたくなかったから、俺はこうしてあがいて、仲間を一人でも見つけようとして、ここ三年あがいてたんだなって思うよ。自分を卑下して言うなら。
ああ、そうなんだなって。だから、この問題ってかなり切実だし、一番大事なことだと思う。
──でも捺冶がいることが本当に…ありがたい。えー、なんの話をしてたんだっけ。
俺とゆうきでもリアリティが違うっていうか、ゆうきにはゆうきにしかないリアリティがある。で、そのいろんな現実を通り越して、今感じていること。問題に関する自分の回答とか。なんか、その切実さを正直にパワーにしてほしいと思う。ゆうきがいわゆるコミュニティストとして振る舞うというステージもあるし、なんかその次のステージや、休憩でもいいんだけど。
──次、次、こんなことにこだわってもしょうがないし。って言いながら先延ばしにしているのかもしれないし、わからん。
この感情に向き合うゆうきを俺は知りたい。
──わかった。
って俺はnoteの文章を見て思った。この言葉を言えるのはゆうきしかいないんだっていう。且つ、この言葉はあれよ、「渋家は2億5000万円」の価値を超えている。
──この化け物どうしてくれよう。普通に生きていたら就職して、25歳ぐらいで気持ちよく死ねていたのかもしれない。
大半は、もしかするとゆうきがその本心を隠してピエロになっていることにあんまり興味がないのかもね。
──そうだと思う。それを試したかった。メンヘラ彼女のようなことをしていた。
メンヘラ彼女(笑)
──1人ぐらい入ってくるかなと思ったけど、ヤバさんから「ゆうきは文章を書くのが、本当に上手だなぁ」というコメントしかもらえなくて、うへへ(笑)メタ視点かよってそうなんすよ。でも、ヤバさんは分かってくれてるのよ。別にそれはそういう意図のコメントではなく、「分かるよ。でも、俺そこじゃないんだよ」っていう悲しみのメッセージだと思ってるから。森あかねの歌と同じだと思ってる。「ゆうき、すまん!俺は大人になったんだ」って言われたような気がしたわけよ。本当に。
音楽家・森あかねが石田祐規と出会ったあとに書いた歌 「ごめんね無理だよ 大人になったんだ やらなきゃならないことをやるだけさ」 と語りかけるシークエンスがある
うんうん。
──料理人がいないんだなこの世界には。それとどう向き合っていったらいいんだろう。
なんかね。俺はその、ゆうきの正直な声を大きな舞台で聞いてみたい。
──うん。それはね無理だよ。恥ずかしがり屋だから。「パラストの閉鎖についてみんなと話せたらと思います」って今ヤバがLineグループに投げた。
解約すんの?
──うん。みんな一人暮らしになっちゃうんだと思う。
そうなんだ。
──昨日、『全裸監督2』を全部見たんすよ。残り物も描かれててすごいよかった。
まだ見てないんだよね。
──ワイワイ笑いながら見るのもいいけど、一人で見て欲しい。コミュニティが崩れて行って、最後だれが救いに来てくれるのかって話だから。
へー。
──大きくみたストーリーも凄いんだけど、細かいディティール? を、すごい思い出しちゃう。齋藤恵汰に謝られたことや、としくにに謝られたこととか。俺がこうなってしまったことに対して。
いつの話?
──2年前か3年前か、ずっと前からだったと思うけど。
ちょっと飯とってくるから、隣にいる百恩と話してて。
──百恩的兩個〜。
百恩「ゆうき〜」
──ありがとうね。いつも叁朝屋を守ってくれて。
百恩「いや、みんな一緒に守っていってます〜。ゆうき店のこと大丈夫?順調じゃないって聞いたんですけど」
──大丈夫。それはすごく楽しんでいる。(webショップ「海の家」が閉鎖されたことに対して)
百恩「最近はゆうきがちょっとテンションが低いのは感じました。これもちょっと心配なんですけど」
──うん、うふふ(笑)まぁ、そういうときもありますわ。やけになってないから大丈夫だよ。ただやる気だけがある。
んで、齋藤恵汰さんはなんて言ってたの?
──いや、俺はなんか律儀な男やのうと思ってたんだけど、まぁ、そういうシーンが『全裸監督』にあるわけですよ。「ごめんね、俺が渋家に誘っちゃったせいで」にあたるセリフがあるんだけど。
はははは(笑)
──そこで返事するセリフがいいなと思って。なんでこんなセリフ書けるんだろう!って脚本家。
へー。
──そのセリフが俺の返事するセリフと同じだったから、いや、嘘かも知れん、そう答えたかったのかもしれない。いいなと思って。
『全裸監督』ではどんなセリフだったの?
──「すぐみんな自分の責任にしたがる。私は自分の責任でこの道を選んで歩いたんですわ」って言ってて。はぁー、すげぇいい言葉だなって。コミュニティにおけるすごく良い自己責任論だと思った。
うん。
──うん。
齋藤恵汰さんとは連絡とったの?
──いや、もう2ヶ月ぐらいとってないかな。会社やめたとき以降、話すことないし、忙しそうだし、話すことやテンション感絶対ずれちゃうし、そういう呪縛から解き放ったほうがいいのかなって。齋藤恵汰に甘えてた部分がすごいあったし、また連絡とったら心配させちゃうし、もう会わないでおこうって。
そうなのか。
──そうね。この問題と向き合って表に出す課題か……恥ずかしいんだよな。うーん、恥ずかしいでしょ。だって意味わかんなくない? ものすごくパーソナルなものだし。
でも、恥ずかしいものがない雑誌「令和」だったらものかなりつまらないんじゃないかな。
──そうか。そうかもしれない。そうだね。本当にそうだわ。ありがとう。捺冶っていつも気付きをくれるなぁ。
案外みんな、人の顔見てないよ。思うんだけど。人の表情って一番情報が詰まってる。
──なんで人の顔を見ないんだろう。
例えば、今回の曲ではアンダーバーとは違ってはっきりしてて、人は悪くないっていうか、相手は街しかないんだから。この街がこうだから、みんなこうなっちゃってるんだみたいな……事しか思わない。
──街か。本当にそうだと思う。捺冶がそこに到達してくれていることが嬉しい。クソな街にはクソなものしか生まれない。
そうそう。
──家が作品じゃなくて、商品になっているこの街は本当にダメよ。って、愚痴ばっかり言ってもしょうがないけどさ。前進しよう前進。
おれのリリックを文字で送るわ。
繋がりは遠く 少しは近く
測れない距離が人を強くし
分からないからこそ近づきたい
まるで説明書のない機械のよう
組み立てた人より自我を恨む
晴れや雨感じる感性
飛んだり跳ねたり
太陽浴びたり
──フックがすげぇいいんだよな。文字で見るとリリックっていいな。歌詞カードちゃんとつけたほうがいいな。
そうだね。
──早く返事を歌いたいよ。
ふふ(笑)
──まぁいいでしょう。日本じゃ歌えない俺がいるだけなんだなぁ。
向き合うべきはこの街の景色。それぞれがどう違う人生を歩んでいたとしても結局同じ街の景色を見ている。っていうことを、うん。思っているんだけど。
──ありがとう。返答したいんだけど、ちょっと疲れたので、5分ぐらい休憩しようか。
ははは(笑)疲れたのか。
一人の子供が大人になる時 得る情報や 成績 そして金 替えのきく命 今までに積み重ねた時間 今何歳になった? まだ身分は得ていないが
プロフィール
増田捺冶(728)
編集者、フィルムメーカー、エディトリアルデザイナー。
1998年生まれ。雑誌「麻布校刊」、雑誌「令和」、詩集「それらしさと、あの日の雨。」などの作品のほか、台湾のオルタナティブスペースである叁朝屋を設立する。
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