コロナ禍で全世界が混乱の中、5月1日を迎えた。元号「令和」の時代が始まってから今日で一年となる。2020年は思いもよらずこんな年になってしまった。それはそれでいいじゃないか、と思わせてくれるような夏の風は、台湾でもきっと吹いていることだろう。さて、雑誌令和発刊から一年の今日である。石田祐規と共に編集長を努めた台湾在住22歳・増田捺冶に初インタビュー。
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5月も半ば。涼しかった風は気づけば蒸し暑さに近い、湿気を含んだ熱気となった。我々は先々週、第一回に続いて増田捺冶とのインタビューのアポをとっていたのだが、急遽増田の方から「来週でいいですか」との連絡があり、今日までずれ込んでしまった。後々事情を聞くとあの日、急遽給水大臣「CHINTAI THE FUCKER」のMV撮影が入ってしまったのだという。Youtubeに急遽アップロードされたMVはツイッターで40近いリツイートをされ、一過性であれども話題を生んだに違いない。そして見事入選。無名ラッパーの側にいる728に、何を考えているのか聞いてみた。
ー忙しい中すみません。
いえ、前回すっぽかしてすみませんでした。
ーとんでもない、それより給水大臣のMV良かったです。入選おめでとうございます。
有難うございます。もともとインタビュー予定してた日に急遽撮影入っちゃって。
ー急遽だったんですね(笑)
給水大臣が応募するコンテストの締め切りが次の日の夜までとかで(笑)。曲ができたのがその日の朝とか。昼にいつもと同じく叁朝屋に行ったら祐規から「今日MV頼んだ」って言われて。
そこまではまあまああるあるな感じだろうとは思ったけど「今日中に編集まで行ける?」みたいな。
ーやば(笑)
ここまで来たら気持ち200%とかでやらないとまず撮れるわけないなと思って(笑)。
ーふむふむ。
「撮るよ」って言われたのがもう午後3時くらいだったから、シーンも構成も何も決まってない中でとりあえず車走らせようとだけ決めて。
明るい雰囲気にしたいのに日が暮れちゃったりしたら嫌だなと思って、まず機材だけ持って家を出ました。あと申し訳ないのが、叁朝屋で寝てた19歳のタカヤを叩き起こして手伝わせてしまった…。
ー何処へ向かったんですか?
何もしてない状態且つノープランで考えてても答えが出ないんで、とりあえず高速乗って、港町の基隆を目指しました。免許持ってるのが自分しかいないから、タカヤに助手席座ってもらったり後ろ座ってもらったりしてその都度撮影の指示を出して素材をとってもらいました。
ー運転しながら監督を?
うん、仕方ない。緊張。事故起こしたらやばい!
ーあれ、でも港町と言えどもぽくはなかったですよね
海を撮る予定はなくて。もともと駐車場みたいな絵が頭にあった。自然、では空っぽなところで祐規に全力で踊ってもらう図。いつも住宅地で近隣とか気にしてたら大声も出せないし。そうじゃないけれども離れすぎていない風景を探してて。でもたまたま駐車場が入れなくなってて(笑)。
ーあれま。
港から近い空き地みたいなところをたまたま見つけて、ここしかないなと思って。壮大なバックグラウンドと、自由に踊っている祐規の絵が撮れる場所だった。
ーふむふむ。
あとは簡単。曲を流して祐規に踊ってもらうだけ。一瞬で暗くなるかなという時間帯で、だからこそササっととりました。
ーダンスめちゃくちゃ良かったです。
祐規のパフォーマンスってきちんと祐規を解放できる場所とか条件がないとできない部分が大きいと思ってて。例えば何か制限された状態だと引きつった顔がすぐ分かるし。
ーふむふむ。
なんだけど、今回はある場面に於いては敢えて何かを制限してその表情や動きを撮っていくというスタンスを取りました。サビの自由な表現との対比みたいな。
ーなるほど。
歌詞からも分かるように、自由なんだけど自在ではない風景や人生みたいなものが自然と現れていて。祐規と一緒に暮らしていく中でそれに対するスタンスや表情のとり方みたいなものは少しずつ分かってきたつもりではあったので、演出ではそれを重視しました。
ー具体的にはどのように?
例えばほとんど使わなかったけど時間をかけて車内でOsmoで撮ったのが、下半身が使えない状態で踊りながら歌ってもらったり。或いは、表情や体を固定した上で歌ってもらったり。そうすると、hookの自由に踊っているシーンが10倍くらいで跳ねるかなと思って。
ーhookのダンスは印象的です。
そうすると、カメラを固定するのか、こっちがブラして、画角を保有するのかについての問題も生じる。普段祐規はストーリーで劇を作ってて、編集権限とか保有権限はすべて祐規にあるのが基本だから。俺は俺で普段からそれに対するリスペクトもあるし同時に自分が意志を持った人間であるということで、反感もあるし。だからこそ負けないように全力で操ってやろうという意図もあった。
ーそれが結果的に良い方向へ。
どうなんでしょう。祐規の使い方については、頭の中でずっとSOMAOTAの存在があった。
ーふむふむ。
12月にBonknownとSOMAOTAと祐規とちひろで録った曲を2月のSOMAOTAのライブで披露することになった時に、みんながみんな「祐規をステージに上げんの?マジ?」みたいな。でもSOMAOTAは始めっから信じ切ってるんだよね。全く経験のない祐規のことを。
その後MVも撮ったんだけど、ずっとSOMAOTAに「もっと祐規を開放してあげないと無駄だよ」と言われたことを覚えていて。
ーSOMAOTAはどのような存在なんですか。
中学1年生のサッカー部からずっと同じ。仲良し。合わないところももちろんあるけど、ずっと連絡を取り続けている一人。
合わないところはあっても、直感的な感覚は似てるというか。
ーなるほど。
んで、祐規を解放させるためには、祐規が自分で操れるステージがもちろん必要だよねって。でも祐規はまず自分でそれを確保してくる。僕たちに反撃する隙間も与えてくる。僕たちは実は僕たちの判断でそれを狭めることもできる。ステージの大きさを僕らも一緒になって決めなければいけない。
だから、僕は敢えて狭める選択肢をとった。祐規からのセカンドのリバウンドを見て、また自分も絶えずアタックしていく姿勢でないと。返しのない劇になってしまったら祐規は死んでしまう。
ーふむふむ。
だから、俺は本気で映像を撮った。と言いつつも、いつもしていることをそのまま映像に乗せるだけだったのだけれども。
ー良い作品でしたよ。
なんかこの反応、去年の雑誌令和の時みたいだなと思いつつ。「自分の役割」というのも、祐規が敢えて俺に与えてるものだから、それに対して俺がきちんとレスポンスをしていかなければならない。この一年それが出来ていたかは正直微妙なところはある。
ーちょうど一年。
だから、少し焦っていた。驚きを誰かに与えられていない分は見えている風景は自分のものでしかないなという孤独感もあって。舞台の大きさは変更しない方が楽なのは当たり前だよね、という。
ー給水大臣の二作目の話が進んでいると聞いたが。
どうなるんだろう。一作目を終えて二作目となる時に、何を残して何を捨てるのかの判断は大幅に行わなければならないのかもしれないけれど。
ーふむふむ。
2020年になって、MVの表現は飽和されてきてるなんて言う人もいるけど、僕はまだまだそれを語れる場所にはいないから、まずは目の前にいる人を見つめ続けたり、殴れそうだったら殴ってみたりとしてみる次第です。
ーなるほど。
祐規には祐規にしかできないことがあるように、俺にしかできないことが、俺にはあるから。もっと多くの人に発見されたいという欲望もあるし。
ーまだまだですね。
今年22になって、すごい人達はちゃんと行くべきところに行っている。年齢と共にそうした焦りがあるのだけれど。今は自分のできることをゆっくりしていくことくらいです。
ー台湾で一緒にスペースをやって一年、728さんにとって給水大臣はどのような役割を果たしているんですか?
祐規は完全にそれを手伝ってくれている。この点に関して言えばただ単に感謝でしかない。
ーなるほど。
だから、俺はきちんとお返しをしたい。もちろんそれは祐規に直接返すことではないんだろうなという感覚があるのだけれど。
ー給水大臣チャンネルの「さぶちゃん」は728さんが撮っているんですよね?
そうそう。もともと「728ってYoutube詳しいよね?」みたいなノリで巻き込まれがちで。だったら俺のやり方を確保するために「さぶちゃん」をたまに投稿しています。
ーシネマトグラフィーなスタイルが好評ですよね。
流行り、なのかな。ってかYoutube的な編集にノるよりかは、何が撮れるか、のゲームに乗っかったままでいたいという欲望が捨てられなかった。
ーちなみに、Youtubeは詳しいんですか?
いや、全然詳しくないです(笑)。強いて言うなら2015年くらいまではなんとか…。YTFFとか行ったことあります!
ー「好きなことで、生きていく」の頃ですかね。
いや、それの少し前ですね。
ーなるほど…。
でも最近は全然詳しくないです。「ヒカル」が流行りだした頃から興味がなくなってしまって。
ーふむふむ。
でも今の時代は、身内でYoutubeなりで小さくやっていくのが正解なのかもしれない。そうするとコミュニティやらの越境が更になくなってしまうのだけれど。例えば最近で言えば「へずまりゅう」みたいな過激な方法で訴えるしかなくなってしまう。
ー案外詳しいんですね。
いや、たまたま。そうでもない
ー好きなYoutuberはいますか?
うーん。昔は過激系とは言われていた「へきトラハウス」が好きだった。
ー二人組の。
そう。あとで3人目が一気に商業化させて、つまらなくなっちゃった。でも二人は「登録者も増えたし、後悔していない」と言っていたのが印象に残っている。
ーふむ。
「へずまりゅう」に突撃されたレペゼン地球の銀太も「もう大人だから」と言っていた。みんな「大人」になっていくんだなー、みたいな。レペゼン地球が出てきた頃には見なくなったけど。
ーそれに対してどう思っているんですか?
うーん、自分も自分でそれをずっと言いたいわけではなくて。誰かに「つまらなくなった」と思われるのは嫌だ。でも、ずっと側にいる人に「つまらなくなった」と言われない限りは救いはあるのかな、なんて。
ー728さんは、詩集も出していますよね。
はい。2018年の時に。
ー雑誌令和を読みました、石田祐規さんはあの詩集を読んで感銘を受けて、そのまま台湾に来たと。
みたいなことを言っていました。俺、バカ過ぎて300冊も刷っちゃって(笑)。誰かに届けばいいなと思っていたので、よかったです。こうして生活が始まったわけですし。
ーどのような詩集なんですか。
なんだろう。東京で18年間生きて、そこで考えたりしていたことを書いています。
ー東京には戻られないんですか?
わからないです。あと5年くらいいるのかなと思っています。でも5年経ったらもう27歳か、とか。でも数年以内に台湾を離れるイメージもない。5年経ったら、東京も全く知らない場所に変わったりするんでしょう。
ー728さんは東京を離れて、4年目ですか?
そうですね。すっかり。台湾にいると四季を思い出さなくなって。
ーふむふむ。
でも、Youtubeで見た、中国で現地採用で働く「日本に帰れない」人のドキュメンタリーのことをたまに思い出すんです。
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/21th/12-296.html
ー僕も見たことがあります。
あの映像の中の人たちのように、このまま日本に戻れないんじゃないか、とか。
ー給水大臣も曲の中で、「故郷の土も踏んでない」と歌っていましたね。
そのイメージはあるんですよね。「台湾は今アツいよね」と言われるけれども。イメージというか、危機みたいな。アジアを舞台にしている分、日本と繋がれなかったら意味がないなと思っているところはある。日本にこだわるなとは言われるけれども。だったらその場所のローカルなところまで食い込める力がないとキツイ。
ーでも728さんは中国語がペラペラなんですよね?
中国語はもう10年近く勉強してて、こっち来て3年、それでも例えば「台湾語」はまだ少ししか喋れないし、とか。同世代のローカルな感覚に近づくためには数年じゃ足りないな、とか。
ーこれから、どうなさるんですか?
例えば今日も、日本語で考えて、中国語で発することをしています。逆がないことはないけど、まだ少ないかな。中国語で考えたことを日本語で発することがあったらいいな。
ーふむふむ。
たまに日本のことを考えたり、台湾で過ごしていく中でやはり帰属意識みたいなものも芽生えてくるし。舞台が分かれているような感覚もある。良くも悪くも。
ーふむふむ。
それでも、僕は僕なりにできることを毎日考えて、やっているつもりです。たまにダウンしてしまうこともあるけれども。あと少し踏ん張るだけで、「故郷」は二度と踏めない土地ではなく、繋がれる新たな場所として自分の中に帰ってくる可能性もある。
ーなるほど。
そんな感じです。
続編があります。
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増田捺冶(728)
based in Taipei
編集者、filmaker、editorial designer、
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