雑誌令和から一年、編集者・増田捺冶は今日も歩く。①/3

コロナ禍で全世界が混乱の中、5月1日を迎えた。元号「令和」の時代が始まってから今日で一年となる。2020年は思いもよらずこんな年になってしまった。それはそれでいいじゃないか、と思わせてくれるような夏の風は、台湾でもきっと吹いていることだろう。さて、雑誌令和発刊から一年の今日である。石田祐規と共に編集長を努めた台湾在住22歳・増田捺冶に初インタビュー。全3編。

ーこんにちは。

こんにちは。

ー台湾のコロナの状況はどうですか。

最近一番聞かれることですね。6日間連続で感染者数ゼロ達成、皆マスクは付けているものの多くの人が普通の生活を送ることができてます。

ーやっぱり台湾は強かったですね。

そうですね。国内であれば行きたいところならどこでも行けてしまうし。

ー日本に帰国予定はないんですか?

コロナが落ち着くまではキツイかなあと。今台湾の外に出てしまうとワンチャン戻ってこれなくなってしまうから。

ーふむふむ。台湾では何を?

かと言って何もしてないですね。最近は彼女と別れたので、同居先からの引っ越しとか。先週は台中にソウさんのバイクを取りに行ったり。

ーもともとはどんなところに住んでいたんですか?

台湾大学近くの13階のロフトに住んでいました。

ーお、お高いのでは?

そうでもないですね。二人で割り勘したら、ひとり暮らしと変わらないくらい。

ーちなみにいくら?

一人1万元ちょいです。

ー東京と同じくらい…?

東京の価格からバルコニーと窓を抜いた、みたいな。みんなどうやって太陽光と仲良くしているんだろう。台湾も法律とかで制限してくれないかなあ、窓のない部屋。

ー物件借りるのが楽だと聞いたことがあります。

そう。敷金もちゃんと帰ってくるし。家具も備え付けがスタンダードみたい。今回の引っ越しでは寧ろ「この家具とこの家具が要らないので引き取ってください」みたいなことも大家に言った。

ーどんな場所に引っ越すんですか?

場所はそんなに遠くなくて、「台電大樓」駅から歩いて10分くらいの「水源路」というところのアパート。築60年?70年?わかんない。仲介人の人は「あなたの両親よりも年イッてるぜ」と。ちなみにうちの父親は今年で58歳。妹が先週10歳になった。

ー妹が10歳?めちゃくちゃ離れてる

そう。12個離れてる。

ーということは728氏も父も妹も、同じ干支か!

そうなんですよ。

ーって話が外れました。引越し先は「台湾のアパート」的なやつですか?4階建てで屋上に違法建築が乗っかってるやつ。

そうそう。それです。何故か友達に羨ましがられた。「キマ」ってるよね、みたいな。近所の人もいい感じ。でもカナダ帰り?のオーナーが近所の人に3000元をナマで渡して「世話頼んだぜ」って男気かましてたのにはドン引きしたな。

ーやば(笑)。もう住み始めたんですか?

まだです(笑)。昨日引っ越しを石田祐規に手伝ってもらった。誕生日の日だったのに申し訳ない。

ー引越し費用ってどれくらいかかるんですか?

Lalamoveっていうアプリ使って2トンの車呼んで、500元とか。安いよね。

ー安い!

ネットでいい感じのソファーとか見つけて「叁朝屋」に持ち込むときとかもこれ使ってる。

ー「叁朝屋」もちょうど一年くらい?

そうです。雑誌令和の発送とイベント終えたのが5月3日で、5月4日に台湾戻ってきて大家から鍵をもらって、、っていう一年前だったな。あっという間の一年。まだまだの一年。

https://www.instagram.com/sunchoya/

ー家具はもちろん揃ってるか?

一年数人が生活していたらそれなりに生活感みたいなものはあるんじゃないかな。始まって数ヶ月の頃にも「なんか生活感やばいね」みたいな話をゲストの人が言ってた。「私達付き合って長いみたいだよね~」みたいな気持ち悪さあるけど。

ちょうど昨晩も祐規と話してて、「一年でこんな人集まると思ってなかったよ」みたいなこと言われて。ある意味順調に一年過ぎたと思う。物は言い方だけれど。

ーいいですね。

ただ、本当にみんなが自由に過ごしているかと言われると、それはまだまだかな。もっと多様な人たちが集まっていく中で、「自由」とか「自在」みたいなものがそれぞれの中で確保されるんだと思う。

ー今もある程度多様なのでは?日本人と台湾人が入り混じっていたり。

常にその「多様さ」が確保されているかと言われたらかなり微妙なライン。その中で、何が「叁朝屋」で何が「叁朝屋」じゃないかの判断を時に判断しなくてはならない場面もある。「多様さ」をとりにいく時もあるし、一旦守りに入らなくてはならないときも。

ー何故「叁朝屋」を始めたんですか?

居場所が必要な人たちの持っている「アートっぽい」バイブスを台北のど真ん中に集約させたら面白いのかも、みたいな言い方もできるし、生活の中で他者と共に「アート」をしたかったという言い方もあるし。適当に答えるならこんな感じですかね。

ー真面目に答えるなら?

台北に来てからすぐ、もともと雑誌「MO NOGATARI」を作るコミュニティをその13階のアパートを拠点としてやっていて。そこで提唱していたのが、雑誌という媒体を通したコミュニティ作り、共感の蓄積と越境の試行みたいなものでした。

ーふむふむ。

例えば自分がナニ人で、両親は普通に暮らしていて、兄弟が何人います、どのような教育を受けてきて、どのような文脈を持っています、とか。前提で分断される関係性みたいなものに飽きていた。前提で分断されてしまうのにこんなにも多くの人と顔を合わせて何かを伝えようとするのに意味があるのか、みたいな。

ー雑誌「MO NOGATARI」ってあの菅谷聡さんのインタビューが載ってるやつですか?

そうです!よくご存知で。

[あなたは何処から来たの? #03] 菅谷聡(31):大学院生

ーあれめちゃくちゃ面白かったです。中国語読めないのでwebの日本語版で読みました。

元々はViceのwho are youの企画をサンプリングしてて。

ー続編はないんですか?

石田祐規をインタビューすればいいじゃん、みたいな話たまにあるけど、知り合って長いとキツい感じあるな。でもまた元気出して色んな人インタビューしていきたーい!

ー「叁朝屋」の日本人と台湾人の割合はどのくらいですか?

メンバー全員で数えるなら日本人が3人、台湾人が11人。台湾人のうち日本語が堪能なのが4人。8人が日本語使えて、残りの3人は中国語オンリー。

ー言葉の壁はどのように?

その場にいる人の得意な言語に合わせて使う言語が変わっていく感じ。祐規も一年経って少しずつは慣れてきたなという感じがする。台湾人も叁朝屋に入り浸っていく中で日本語がうまくなっていく人とか。

ーみんなそこでしているんですか?

なんだろう。祐規はYoutube撮ったり仕事したり、最近住んでる作家志望のタカヤは小説読んだり中国語勉強したり。台湾人の百恩は曲書いたりしてる。みんなスモーカー。流石に臭いよね、ってことで今日からリビングは禁煙になりました。たまにやるけどまた解禁されるノリ。

ー外で吸えばいいのでは?

外で吸うと上のおばちゃん住民に怒られる(笑)。

ーなるほど。ゲストはどのくらい来るんですか?

あ、そうそう。あと、月1くらいで日本や台湾国内からゲストが来たりして。ゲストが来ると叁朝屋も刺激になっていいですね。たまに数ヶ月単位で住んでくれる人もいるけど、最近コロナの影響でキャンセルせざるをえない状況で…。コロナ終わったらみんな遊びにきてね。この記事見た人ならみんな大歓迎ー。

ー増田氏は普段「叁朝屋」で何をしている?

最近はレコーディングが一応できるようになったので、レコーディングの部屋で適当にfreestyleしてサンクラに上げたりしてます。友達に影響されて。SOMAOTAっていう奴がいるんですけど。

ー僕も聞いたことあります、SOMAOTA。京都のラッパーですよね。

そうです。本名は太田颯馬です。

ー他には何を?

後はデザインの仕事したり、寝てたりとか。普通。雑誌作ろう作ろうと思って、半年くらい手を動かせてないです。

ー12月のBABFで売り切れた横長の「MO NOGATARI zine -アフターエピローグ、前より前へ。-」良かったですよ。

有難うです。最近はそれくらいかな。あれもかなりギリギリだった。なんでだろう。スローダウン。

 

ーふむふむ。

てかコロナ禍の影響で大きな仕事が消えたりして、正直かなり暇はしてます。生活も正直不安。

ーなるほど。叁朝屋のメンバーと仕事をしたりすることはあるんですか?

たまに仕事を手伝ってもらったり。

ーなんの仕事ですか?

手伝ってもらうくらいの仕事だとWeb制作がメインですかね。あと最近映像撮影の仕事とか。基本的に祐規と一緒にやってる。

ーフリーランス?

いや、自分の会社でやってます。r8studioっていう合同会社を3年前にたてまして。

ー3年前?18歳?

そう。起業精神!みたいなのが流行ってた時期だから寧ろ言いたくなかった。色んな人の協力あって次の6月で4期目迎えます。

ー何がきっかけで会社を?

高3のころに出した「麻布校刊」がめちゃくちゃ売れてしまって。めちゃくちゃと言えども2000冊なんですけど。そのお金を元手にカルチャー文脈のことを続けられるようにプラットフォームを、という流れで。

ーそのあとは映画「_」を撮ったり雑誌「MO NOGATARI」を出したりと。

映画は他の人に言える程のあれではないですけれども。

ー映画「_」はどのような映画なんですか?

沖縄国際映画祭のU25部門のノミネートに通ったんですけど、審査員から「君は頭がいいんだろうね」と苦笑いで言われました。そんな感じの作品です。

ー1時間超えの作品と。

「頭がいい」の言い方は完全にバカにされてて(笑)、映像として構成やキャラ設定が全然ダメなんですよね。ただ、あの鬱憤や葛藤みたいなもの、詰まっている感じはあの時にしか撮れなかったんだなという気がしてます。

ーどのような鬱憤や葛藤だったんですか。

なんだろう。色々あったけど、このまま続いていく日常、みたいなものに対して。アイロニーとか。

ー2017年ですよね。

今とは状況が違うのかも。

ー今撮るとしたら?

なんだろう。台湾の風景が自分の中でかなり思い浮かぶな。前回の映画の上映会が終わった次の日には台湾に飛んできちゃった。あれから3年も経ったね。

ー「何に対して向き合っていけばいいのか分からない」と投稿していましたが。

友人にも強い口調で言われたけど、コロナを前にしてカルチャーやアートは何をすることができるのか、みたいなことに対して、最近は小さなところから向き合っていかざるを得ないなみたいな雰囲気がある。

ーふむふむ。何か準備されていたりするんですか?

ただコロナ禍のタイミングでというか、それより前から一気にみんなが何をしているのかとかが分からなくなってしまって。というか、見えているものしか見えなくなってしまった、という感覚がずっとある。zoomで部屋が見れたから嬉しいとかじゃなくて、内面みたいなもの。

ー台湾はあまりコロナ影響を受けていない?

いや、台湾はコロナの感染はかなり抑えられているけど、政府の政策とかオンラインミートアップの仕方とか隔離とかに対する民衆の反応、かなり鈍いなという印象があります。

ーTwitterにも書いてましたね。

もちろん世界の在り方、個々の在り方みたいなものは日々変わっていくものなんだけども。あまりに鈍くない?みたいな。台湾の人たち、特にカルチャーに近い人達、このままでいいの?みたいなことは思っていて。実際に何ができるかを具体的に考えているところです。それが直近切迫した問題かも。

まあコロナに限った話ではないのだけれど。

ーふむふむ。

そうすると娯楽とかに手を付ける余裕は必然となくなってしまう。

ーなるほど。

ただ、雑誌令和みたいな方法は今でも有効だと思っていて。一年経ってあの雑誌が何を顕在化させて、何を隠してしまったのかとか、未だに考えるところがあります。

ーなるほど。私はもう押入れの中にしまってしまいました。

ですよね。

ー雑誌令和を刊行してから一年が経ちました。

はい。もう令和2年ですね。

ーこれから何しますか?

うーん。正直何もしなくてもいいんじゃないかなとも思い始めているという。流石に冗談だけど。

ーというと?

何かをしなければならない、みたいなことが人を苦しめてしまうこともあるし。自分が何かをすることで他人を傷つけてしまうことについてもきちんと向き合いたい。

ーふむふむ。

ただ、何もできない人もいるし。何かできていたはずのことができなくなってしまった人だっているわけで。その人の分も今日生きてやろうという覚悟をきちんと持てるまでは、何に手を出しても出し切れないものばかりになってしまう気がする。すごく悩んでいる。

ーふむふむ。

今日を生きる、みたいな。雑誌令和の中では多くの人に「昨日」のことを書いてもらったけれども、ああして昇華できたものもあるし、だとすれば「今日」のことはどうすればいいのかという。

給付金の話題が終わった瞬間、多くの人たちの政治熱は一気に冷めて、次の選挙も自民党が当選するかもしれない。オリンピックだって一年後に開催されてしまえば、この怒りだってどこに向けていいかわからなくなる。

ーなるほど。

もしかしたらこれの繰り返しかもしれない、毎日。日常を肯定するためには、お互いの存在を見つめ合って、「今日」のことを忘れて「明日」のことをふと考える瞬間が大事なのかもしれないですね。

ーみたいな雑誌が作られるんですか?

その可能性もあるし。今は何も見えていません。ロマンとかではなくて。

 

続編があります。

 

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増田捺冶(728)

based in Taipei
編集者、filmaker、editorial designer、

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